虚実1:99 総武線猿紀行 |
総武線猿紀行第218回 「え、その場面ホント? 『ラストサムライ』を2倍楽しもう!」 〜佐伯先生と新春・武士の勉強〜その5〜 忍者って本当は存在しないンダヨ! 武士は人前で踊らないンダヨ! 地震や津波について、コワイ報道が続いてますね。 関東だってピ〜ンチ! その一方で、こんな話も読みました。 「今回の津波で動物はほとんど死ななかったそうです。 有名なのは、象が観光客を乗せたまま山へ逃げて、 助かったという話。 それは新聞に出ていましたが、 象だけではなかったようです。 まだ先住民で伝統的な暮らしをしていた村は、 動物の異変に気付いたり、 言い伝えにそって、すぐ山に逃げ助かったそうです。 暮らしの中で、 まだ自然や動物とのコンタクトが多いからでしょう。 逆に言うと、そういう伝統や、 自然とのコンタクトが壊されてしまった 「リゾート」と呼ばれる地域で、 破壊が大きかったのは非常に象徴的であり、 示唆的だと思います。 (中略) きっとこのようなリゾートは真っ先に 自然災害に遭うのではないかと思われます‥‥」 TVでは、動物の地震予知機能を クローンで大量に培養などというニュースがありましたが、 クローンというのがそもそも、予知力を弱めそう。 まず、自然と共生するのが 一番ということなんでしょうね〜。 昔の武士はどう自然体だったんでしょうか? レンタルDVDにブランデー、ジャーキーでも片手に、 佐伯先生による、確かにお得なウンチク、 新春、新しいジャパネスクなひとときを貴方に‥‥。 先生、こんにちわ。 「こんにちわ」 さて、武士と農民が一緒に楽しく過ごす、 歴史上は実際にはありえない、 和気あいあいの村祭りの最中に、 政府軍は刺客を送ってきます。 なんとその扮装は忍者ですね! 「近代化を推進する明治政府が、 忍者を送り込むわけですからね〜。 これはどうにもおかしいですね。 どうもアメリカには 武士と忍者の区別がつかない人が多いみたいですけど。 明治政府が忍者部隊を持っていたってのは‥‥。 だいたい黒装束で戦う忍者そのものが、 本当は存在しない、架空の存在ですし」 え? 忍者って、本当はいなかったのですか? ショックだなあ。 じゃあ「忍者武芸帳」の白土三平先生は SFを描いていたことになる? 「そうですよ? 知らなかった? 戦国時代から‘忍び’と呼ばれる人たちはいたけど、 諜報活動とか、もっと地味な役割だったはずですよね。 近代になって、立川文庫なんかの大衆文学の世界で イメージがふくらんでいくわけです」 大ショック。 そういえば、1960、70年代は、 白土先生の忍者物とともに、 「サイボーグ009」とかのSF戦記ものも 大ブームだったわけで、 それらはみんな 少年のための架空の戦隊という意味だったわけですね。 このように日本人だって史実を誤解しているわけですから、 外人が日本人のことを 「今でもチョンマゲしてんじゃないの?」 とか誤解してても、笑うことできないですね。 「この映画は、外人にとって ヴィヴィッドな日本の色々な要素がゴチャマゼになって、 並べられているわけですね。 富士山、鳥居、寺、そして忍者と‥‥」 そう考えると映画の制作会議で監督が 「お前ら、日本のシンボルとして欠かせないもの、 思いつくもの全部あげてみいや!」 といって、黒板に 「フジヤマ、ブシ、ニンジャ、ジンジャ、テラ、 ゲイシャ、カタナ、セップク、スシ、ミソ‥‥」 と箇条書きに書いているんじゃないか? と思える様子が見えてきますね。 それをおさえることが映画の成功につながる。 この村からは、富士山が見えてます。 富士のすそ野あたりの村が この映画の舞台になっているわけですが、 武士の反乱がその地域であったという史実は もちろんないですね。 けっこうここは上九一色村のあたりだったりして。 130年後に別の人たちで反乱がおきるという。 ところで、村祭りで、勝元は狂言をやってますね。 「狂言なのかな? よくわからないんですが、 いずれにしても武士が たくさんの人々の前で踊っているというのも、 そうとうシュールな場面です」 芸能は士農工商のさらに下の身分の、 河原乞食の役割だったわけですからね。 そんなことを武士階級をするわけがない。 エドワード・ズイック監督自身の解説によれば、 「勝元は歌人でもあり、それは侍の文化が、 戦うことのみならず、美学、芸術、歌作を含むからだ。 この映画は、侍のある一面を称えるものだ。 もちろん、農民の苦労の上に成り立つ文化であり、 アーサー王や円卓の伝説の騎士的文化と同様ではある。 それは彼らがもっとも深く最も重要な意味で 日本文化に、寄与したと、僕は思うからだ」 ということです。 武士が、すっかり西欧的な 「文化人」のイメージになってますね。 まあ、歌ぐらいは詠むだろうけど、 なんでもかんでも武士に期待するというのは、 ちょっと無理がありますよね。 やっぱり、そして騎士道とも対比させてます。 妄想が大きいな〜。 武士のイメージに、明治以来、 西洋騎士道のイメージが入ってきているという説に リアリティが出てきます。 「江戸時代は平和でしたから、 個人としては、和歌はもちろん、 絵を描く武士も芝居好きな武士もいたでしょうけど、 現代人が尊重する「芸術」のようなものは、 武士が作ったとは言いにくいでしょう。 むしろ、町人が育てた面の方がはるかに大きいはずです。 だいたい、美術や演劇などを 「芸術」として尊重すること自体、 西洋の感覚ですよね。 西洋の騎士だって そんなに芸術に貢献してないと思いますけど、 日本の武士は、そういう意味での「文化」とは あんまり関係ないですね」 第五回のまとめ 忍者は架空の存在である! 武士は人前で踊らない! 武士は「文化」とあまり関係がない! この映画は、 日本についての典型的ビジュアル・イメージが ズラっと羅列されている! 残念、ギリ! それでは佐伯先生の著書 「戦場の精神史」を読んでみましょう。 122ページ 「ヤクザ」を例に引くと 武士の精神を理解しやすいというのは、 私たちが彼らから遠い 平和な社会に生きているためかもしれない。 戦国時代に生まれた「武士道」は、 たとえば、ちょっとしたことでも殺し合う 「喧嘩好き」の精神を含んでおり、 これはヤクザにそっくりだと、私たちには感じられる。 しかし、名誉を失うよりも戦いや死を選ぶ精神は、 平和な江戸時代の、 儒教道徳を身に付けた武士にも受け継がれてるし、 さらに言えば、日本の武士だけのものでもない。 ヨーロッパの騎士たちが育てた文化も、 侮辱に対しては過敏に反応し、 名誉を守るための決闘などを好む面を持っていた。 たとえば、幕末に来日したシーボルトは学生時代の決闘で、 顔に33ヶ所もの傷を負っていたという。 サエキの解説: 武士とヤクザ。 任侠も武士道と通じる面があるのでしょうか? ケンカ好きということになると、 ピンと来るイメージもありますね。 しかし、名誉を重んじるということについては、 昨今は、そういった行動パターンを 現代人がとらなくなっているので、イメージがわきにくい。 名誉を汚されたので、会社で部下が上司に、 子会社の人が親会社に決闘を申し込む、 とかいうことになると、 どの会社も月曜日から血まみれになるでしょうね。
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2005-01-23-SUN
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