虚実1:99 総武線猿紀行 |
総武線猿紀行第225回 「え、その場面ホント? 『ラストサムライ』を2倍楽しもう!」 〜佐伯先生と新春・武士の勉強〜その12〜 キスが好きな武士もいたかもしれないンダヨ! え〜、しばらく休ませていただきました。 いよいよ、ラストコーナーです。 我々の頭がいかにまやかしで作られていたか、 鮮やかに整理していきたいと思いますので、 最後までガシっとお付き合いください! 文末の著書を読むコーナーに注目です。 それにしても風邪、すごい流行ってて、驚きますね。 小学校が閉鎖だけでなく、 遅く登校する時間割を採用したり。 仕事でも、ぶったおれる人が当たり前なので、 会合がとんでもまるで違和感ありません。 僕は、それほどひどくならなかったですが、 問題は、花粉症との区別。 僕は今のところスギはひどくないですが、 セキと鼻水に関しては、 11月からなんらかの花粉が関与し、冬はダメ。 よく自分を観察してると、 風邪をひいたと思っていたのが花粉ぽかったり、 花粉だと思ってたのが風邪だったりすることがあります。 のどの痛み方、セキの出方と規則性、 かゆみとの関連などから、勝手に推測しているのですが、 とにかく風邪かどうかの見極めは肝要。 なにせ抗生物質の投与の是非とかかわってくるので、 ここは重要な問題です。 花粉症で抗生物質呑んでもしょうがないし、 体にスゲエ悪いし。 耳鼻科は粘膜の状態などから どちらかを見破るようですので、 なるべく行きたいものです。 武士は、風邪なんていってられません。 花粉症のことを話したらなんていうか? 「緊張が足らん!」のひとことでしょうな。 そんな武士にハウスダストと花粉のお注射してみたい! 武士と友達になってみたい‥‥。 レンタルDVDにアイリッシュウィスキー、 フィッシュ&チップスでも片手に、 佐伯先生による、確かにお得なウンチク、 新春、新しいジャパネスクなひとときを貴方に‥‥。 先生、こんにちわ。 「こんにちわ」 さて、やきそばサーカスさんからの質問です。
先生に答えていただきましょう。 「馬の話。 江戸時代までの日本の馬は、 今よりずっと小さかったようです。 差があったというよりも、全体が小さいから、 その中で大きな馬は珍重されたということでしょう。 1894年の日清戦争で、 日本の馬が小さくて 軍馬としては力不足だということになり、 アラブ種やサラブレッドを大量に輸入したことから、 日本の馬の標準は大きく変わったようです。 現在、日本で普通に見る馬は、 ほとんどそういう輸入種ですね。 木曽馬などが、わずかに保存されてはいますが。 弓矢の戦いの話。 外国のことはよく知らないのですが、 馬上で弓を射るという技術を重視する点は、 歩兵の大集団を中心とした中国よりも、 西北アジアの騎馬民族に似ているのかもしれません。 弓は両手を使わなければ射られないわけですから、 馬を走らせながら弓を射るというのは、 なかなか難しいことです。 そこで、ヤブサメや犬追物(いぬおうもの)などが、 武士の大事な伝統芸として伝えられたわけです。 これは世界的にもわりあい珍しいことかもしれませんね」 なるほど、やぶさめは今でも NHKの地方ニュースなどで出てきますが、 大事にしたい文化ですね。 やきそばサーカスさん、よろしいでしょうか? 有意義な質問ありがとうございました。 それでは再び、HN joeさんからの質問です。
これはちょっと質問がよくわからない部分もあります。 こんなことありましたっけ? とにかく答えていただきましょう。 「いや、私も思い出せないのですが‥‥。 江戸時代の農村では、名主とか庄屋とかと呼ばれる人が 責任者になっていました。 名主・庄屋には、侍出身もいたようですが、 しだいに有力農民が 交替で務めるようなところが多くなっていったようです。 いずれにしても、領主の下の存在で、 天皇に会いに行ったりはできません。 勝元は『大藩の殿様』兼『村の庄屋』 なんでしょうかねえ‥‥」 そうそう、庄屋というのは興味あります。 農民なのか? それともただの管理者なのか? 最初はサムライ出身がやっていた場合もあるんですね。 時代劇に出てくる庄屋のイメージは サムライっぽくないけど。 再びHN joeさんの質問です。
「あの場面にいるのは何のための人たちかわかりませんが、 天皇のまわりには常に女官がいても、 おかしくありません。 みやびな生活のためとかということもあるでしょう。 が、前近代の天皇の最大の仕事は、 血統を絶やさないこと、 つまり子供をなるべく多く作ることですから。 天皇家が一夫一婦になったのは、 ごく最近のことですよね」 確かに、女性天皇問題がこれだけ問題になる背景には、 結婚の晩婚化と少子化が影響してるでしょうね。 一夫多妻制が前提だった明治以前。 そうか。一夫多妻か。 そうした状況下で、オトコが確保され、 男性天皇が継続していったわけですか。 その方向性にもう一度戻そう、 という論議はさすがに、今は出ませんね。 再びHN joeさんの質問です。
もちろん、普通叫びますよね。 とにかく無礼なシーンではあります。 ここで、僕も質問ですが、 女性は昔、自分の体を隠すように行動したのですよね? でも水浴びもしたいし、どうしてたんでしょうか? 接吻に関しては、武士は似合わない感じもするんですが。 武士のキスシーン‥‥。 「町の女性は、タライに水を入れて庭で水浴び、 というのが普通じゃないでしょうか。 田舎では川で浴びたかもしれませんね。 西鶴の『好色一代男』の最初に、少年時代の世之介が、 遠眼鏡(望遠鏡)で隣家の女性の水浴びをのぞく 有名な場面があります (挿絵つきですから、 興味のある人は新潮古典集成などで)。 そこでのぞかれた女性は、 びっくりして声も出せなかったと描かれてます。 ですから、小雪さんの反応も、 そんなに変でもないでしょうが、 オルグレンは世之介か!? それから、接吻はとっても古くからあります。 『口を吸ふ』とかって表現で、 平安時代の文献から出てきます。 亀にキスして、かまれてケガをした男の話とか。 たぶん接吻が好きな武士もいたでしょうね」 そうか武士もキスしてたかもしれない‥‥。 それでは佐伯先生の著書 「戦場の精神史」を読んでみましょう。 253ページ 雑誌「武士道」が発刊された翌年にあたる 1899年(明治32年)新渡戸稲造の 「BUSHIDO,THE SOUL OF JAPAN」 がアメリカで刊行された。 好評を得たこの書物は、翌年日本でも英語版が刊行され、 後に日本語に訳されて「武士道」の書名で刊行された。 現代までの「武士道」論におけるこの書の役割は まことに大きい。 「武士道」が潔癖な倫理・道徳というような 印象を持つようになったのは、 主に新渡戸「武士道」の影響である といっても過言ではあるまい。 だが、これまでの「武士道」が、 大きな変貌をとげてきたとはいえ、 その変化の歩みをたどることはできるのに対して、 新渡戸の「武士道」は、 それまでの歴史からは断絶した、新しい武士道である。 新渡戸の武士道が、 かつての「武士道」と全く異なることは、 新渡戸自身が「武士道」の先例を全く知らず、 ほとんど自らの造語と思っていたという点に、 端的に表れているだろう。 (次回に続く) <サエキの解説> お札にもなった新渡戸稲造ですが、 彼の「武士道」という本が、 現在の武士道論の中心にあります。 ほとんど疑問も持たれずにその本が引用されてますが、 まずアメリカで英語版が刊行されたのですね。 「ブシドー、ソウル・オブ・ジャパン」 今でも売れそうなタイトルです。 DIVAやヒップホップR&Bアルバムの タイトルにしてもおかしくありません。 まず、重要なことは、 これがそれまでの武士道論の歴史から 断絶した存在であること。 そして、もっと重要なことは、 新渡戸さん自身がそうした武士道の先例を知らないで 創作的に書いた本であったらしいのです! (次回に続く) 佐伯先生に質問を受け付けます! いよいよ質問受付もあとちょっと! 「ほぼ日」までよろしくお願いします。
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2005-02-24-THU
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