虚実1:99 総武線猿紀行 |
総武線猿紀行第227回 「え、その場面ホント? 『ラストサムライ』を2倍楽しもう!」 〜佐伯先生と新春・武士の勉強〜その14〜 「先生との対話! 日本のサムライは寺で鎮魂してたンダヨ!」 東京も雪だったりしたですね〜。 花粉もスゴイですが、気温の変化もスゴイ! 冬コートってどうしてますか? みなさん。 もうしまったかな。タイミング悩みますね〜。 アパレルの人たちもこんなに気候が変動すると 大変ですよね。 マフラーってかなり売り上げ減ったんじゃないかな。 昔、といってもほんの6、7年前までは、 3月前半、いや、3月後半まで冬でした。 さらに昔、火鉢だけで暮らしていた生活も大変ですが、 厳寒の農作業、ましてやイクサなんていったら、 どんなに大変だったでしょう? その一方、時代の変化みたいなものは、 江戸開府みたいな要所をのぞけば、少なかったでしょうね。 明治からの激動、それは大きな変化でした。 現在もそれが続いているといえます。 歴史は、一枚はがすと、なんとも面白い姿が表れますね。 いよいよこのシリーズもあと少しです。 最後までよろしくお付き合い下さい! レンタルDVDに麦焼酎、とうがらし柿の種でも片手に、 佐伯先生による、確かにお得なウンチク、 新春、新しいジャパネスクなひとときを貴方に‥‥。 え〜、いよいよ、全体をさらいます。 特に面白かったのが、寺と神社が一緒だった話し。 廃仏毀釈(明治初年に仏教を排斥する運動が起きた) という言葉は知っていましたが、 それまで神社がお寺と融合しているような状態とは 知りませんでした。 おみくじ、祝詞に神主VSお経にお坊さん というようなことがらについて、 相容れない印象があるのですが、廃仏毀釈以前、 現在よりもそれらは融合していたのでしょうか? 「神社によって違うわけで、 伊勢神宮は仏教を拒否し続けてきました。 一方、たとえば八幡なんかは 別名「宮寺」といったぐらいで、 神社だか寺だかわからない形を続けてきたわけです。 明治元年(1868)に政府が出した神仏分離令では、 「仏像を神体にしている神社は仏像を取り払え」とか、 「神社にいる僧は還俗せよ」とか命令しています。 つまり、それまでの神社は そういうものだったわけですね。 それでも多くの場合は、 一応、神社は神社、寺は寺であったわけですが、 神社の中に寺があるとか、 寺の中に神社があるというのが当たり前でした。 そのため、明治初期には、 寺の部分を壊すとか、分離するとか、 祭神そのものを変えてしまうなんていうことが、 全国で起きたわけです。 山伏の修験道なんて神道とも仏教とも言えないので、 困ったと思います。 羽黒山に行くと、 その頃に一度捨てられたのを拾い集めた、 仏像とも神像とも言えない 奇怪な像がたくさん展示されています。 また、 『うちの近くの神社には何で梵鐘があるんだろう?』 って思ったら、調べてみてください。 きっと、寺の名残ですよ」 そういえば、千葉県市川の八幡神社にも鐘がありますが、 あれが仏教の名残なわけですか? 「そうです。法漸寺という寺がありました」 なんだ! あの鐘は寺の鐘だったのか? どんな寺だったんだろうな? それと関連して、勝元が寺っぽい家に住んでたり、 坊主っぽい所作をしているところは、 イメージとして強烈です。 明治以来、兵士は神社にまつられたりしてますが、 それ以前、武士は仏教を信じていたのか? それとも神道を一般に信じていたのでしょうか? 「“武士は禅宗に帰依して精神を鍛えた” というようなことが、歴史の本にもよく書いてあります」 武士は信仰深かったのですか? 「確かに武家政権は禅宗と仲が良かったわけですが、 武士が他の階級に比べて信仰が深いかというと、 それは疑問ですね。 戦国頃までの武士は、 ふだんは人をたくさん殺す仕事ですから、 上層の武士なら、殺した相手の鎮魂を仏様に御願いする、 という意味での信仰は、あるのが普通だと思います。 そして、晩年は、それまでの罪深さへの反省から、 出家して熱心に仏道修行に励むという人も、よくいます。 でもそれは、やはり罪深いとされた 猟師や芸能者でも同じです。 江戸時代に武士の精神を導いたのは、主に儒教です。 これは、深く学んだ武士も多いと思いますが、 政治的な道徳のようなものですから、 宗教とは少し違うでしょうね。 神道や禅によって 思想的に深められた「武士道」なんていうのは、 近代に創作された幻想と言い切ってよいでしょう」 なるほど、禅宗と武士は関係が深いのですか。 それは禅宗の教えによるものだったりするのでしょうか? 殺生がらみの鎮魂とかに かかわりが深い教義なのでしょうか? 「別にそういうわけではないです。 むしろ、教義的には禅と鎮魂は関係が薄いでしょう。 普通の歴史教育では、 武士が個人として自立しなければならなかったことと 禅宗の教義の関連を説くことも少なくないと思いますが、 それは怪しいと思っています。 また、鎌倉時代に伝わったという、 伝来時期の問題が大きいのではないでしょうか。 武家政権がパトロンとなる時に、 それまでのいろいろなしがらみのある宗派とは違う、 新しい宗派を選んだ、 というのが基本的な問題だと思います」 そうか! 伝わってきてホヤホヤで、 鎌倉時代に禅宗は新鮮な宗教だったんですね。 兵士についての扱いは、 国家神道にシフトしたということだと思いますが、 それは明治初頭から敷かれた方針なのでしょうか? また、明治以降の兵士は、 人殺のトムラう気持ちを 神道に求めていたと考えられますか? 「“神道”という統一的な宗教が、 日本に伝統的にあったわけではありません。 ただ、あちこちにさまざまな「カミ」がいたわけですね。 ケガレを払うというのは 日本の神々の多くがやっていたことでしょうが、 明治以降の靖国神社を中心とした国家神道は、 それとは別にできた新興宗教です (現在、靖国神社が批判される論拠の一つは そこにあります)。 仏教による鎮魂の代わりに、国家による鎮魂という、 新しい教義に基づく宗教を作った といえばいいでしょうか。 それは、日本が近代国家になるために 必要だったのかもしれませんが、 伝統的な「神道」とは違うものを たくさん持っていると思います。 “贖罪”は、従来の神道からの 継承とは言えないのではないでしょうか」 う〜〜ん、靖国神社は新興宗教だったのですか。 もしかすると、明治になってからの兵士は、 「武士が仏教で鎮魂する」の伝統を絶たれたわけですね。 「そのとおりです。 もちろん、個人としては、それぞれの故郷に帰れば、 いろいろな鎮魂のされ方があったでしょうが」 それでは佐伯先生の著書 「戦場の精神史」を読んでみましょう。 264ページ ともあれ、「武士道」はこのように、 その時々の状況に応じて、カメレオンのように姿を変えた。 <サエキの解説> 「武士道」と僕らが一般に信じてきたことは、 明治になってから作られたもののようですが、 その前もその時々で変わってきたようです。 できれば、それらを見渡して、 日本人のよりリアルな姿を、 もう一度イメージし直したいものですね! 佐伯先生に質問を受け付けます! いよいよ質問受付もあとちょっと! 「ほぼ日」までよろしくお願いします。
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2005-03-06-SUN
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