虚実1:99 総武線猿紀行 |
総武線猿紀行第229回 「え、その場面ホント? 『ラストサムライ』を2倍楽しもう!」 〜佐伯先生と新春・武士の勉強〜その16〜 「復讐は連鎖していくンダヨ! by 法然の父」 お笑いブーム、すごいですね〜。 エンタの神様とか、わりと見ます。 最近ではアジャ・コングならぬ 魔邪(マジャ・コング)とかがお気に入りです。 しかし、ひとつ気になる点があります。 そのほとんどが、 既成のタレントなどへのつっこみというか、 かなり細かい批評のようなものになっている点。 あるいは世相のそうとう細かいところにつっこんでる点。 あれは切られる方も大変ですが、 切る方も大変なんじゃないでしょうか? ものすごく繊細すぎる作業だから。 見ていると、同じ人の演芸中、 フっと落ちる瞬間があってコワいことがある。 うわ、来週、大丈夫なんだろうか? って。 ブームというには、あまりにも構造が繊細。 子供たちも、大きくなったらお笑い芸人になりたい! とかいってますが、こう変化が激しいと、 自分が大人になったときに、 状況が全く違いそうなことには 気づいているかもしれません。 切られる痛み、切る商売の痛み。 そんなことを考えながら、 このシリーズも本日で大団円、 次回、総集編として “5分で分かる「サムライの真実」!”を付けます! レンタルDVDに、八海山、仕上げはヘギそばで! 佐伯先生による、確かにお得なウンチク、本当に新しい春、 新しいジャパネスクなひとときを貴方に‥‥。 先生、こんにちわ。 「こんにちわ」 ついに、最終講義になってしまいました。 lc-kさんからの質問を紹介しましょう。
lc-kさんありがとうございました。 確かに歴史を勉強している人にとっては、 ズレの多い状況だと思います。 先生いかがでしょうか? 「いや、それはたくさんいるんですよね、 いい年をした方々が。 しかし、そういう人の誤解を解くために、 歴史や古典文学の研究を しているわけではありませんが‥‥。 そういう誤解に対する 特効薬のようなものを探すのは難しいですね。 ラストサムライの場合は、 そもそも“フィクションの部分”も何も、 最初からフィクションであるという 前提で作られているわけですが‥‥。 ただ、あそこに描かれる“武士”像は、 近代、ある程度長い時間をかけて作られてきた 武士への誤解を、思い切り誇張したようなものですから、 現代日本人に信用されてしまう下地も、 それなりにあるわけです。 まあ、一番簡単なのは、戦争のたびに、 勝元がやったような玉砕主義をとっていたら、 日本人は戦国時代にとっくに死に絶えてます、 というようなことでしょうか。 現実には、あの村のように 死に絶えた村人がいつの間にか復活、 というような事は起こらないので‥‥」 ありがとうございました。 僕は、やっぱり映画シーンのディテイルについての 誤解度が大きいのではないか? と思います。 そこで、このシリーズで明らかにした矛盾点を、 チャートにして次回、 「5分で分かるサムライと日本の真実!」 として提示します! それを使って、もしテストをするなら、 なかなかだれも 100点は取れないのではないかと思うのです。 今、日本はそういった誤解がピークに達しながら、 歴史の転換点を迎えていますが、 一方で、歴史に対する誤解は、 いつでもだれでも持っているとも思うのです。 さて、やきそばサーカスさんの質問です。
答えていただきましょう。 「いや、特にそういうことはないと思います。 平安後期以降の大きな合戦では、 最初は弓で戦っていても、最後はほとんど、 刀で相手の首を取るところまで行きます。 場合によってはその首を刀に突き刺して、 まだ血がボトボト出てる首を高く突き上げて、 『この首は俺が取ったぞ!』と宣言する、 なんてことをやってたりするわけで、 ヤワな神経ではつとまりません」 なるほど。痛そうですね〜。 三島由紀夫のように、武士の魂というと、 なにかとセップクがフューチャリングされますが、 刀でクビを突き出す「メシトッタリ!」も 武士の本領なのですね。 さて、本当にいよいよ講義もおしまいですが、 このシリーズの中で何かお気づきになったこと、 お感じになったことを教えていただきたいです。 「気がついたというか、言い足りなかったことですが、 『武士道』は敵討をとても重視するということは、 今の日本人には忘れられているようですね。 『忠臣蔵』は今でも人気がありますが、 曽我兄弟とか荒木又衛門とか、戦前までの日本人は、 敵討(仇討ち)の物語が大好きで、 知らない人がないくらいでした。 そういう戦前までの 『武士道』的感覚を残している人にとっては、 夫の敵を討たないどころか、愛してしまう小雪さんは、 絶対に許せない非国民だったろうなと、 話をしながら改めて感じました。 でも、一方で、復讐の感情を肯定する人が、 日本の社会に増えてきているような気もします。 主君や親、あるいは夫の敵は絶対に許さず、 執念深くつけねらって、 場合によっては手段を選ばず倒す、 すると今度はその子孫や縁者が、敵をつけ狙う。 世間は、それをとめるどころか、 敵討ちをしない人間を許さない‥‥。 日本がそんな社会にもどることはないでしょうが、 復讐の感情を無制限に肯定してゆくと どうなるか考えるためには、 日本の古い物語も知っていた方が いいだろうと思います」 えっと、復讐は、システム的には、永遠に連鎖する、 あるいは拡大していくということですね? 「そうです。 法然の父親は敵に殺されたのですが、 死ぬ直前、息子(法然)に 『けして敵討をしようと考えてはならない』 と言い渡しました。 復讐は復讐を呼び、無限に連鎖する恐れがあるからです。 少年時代の法然が父の教えを守らなければ、 浄土宗も、ひいては浄土真宗も生まれなかったわけで、 日本文化はずいぶん違うものになっていたでしょう。 敵討をもてはやした伝統の一方で、 そうした敵討を禁ずる反武士道精神も、 日本の重要な文化伝統なんだと思うんです。 だから、『武士道』とさえ言わなければ、 敵をもてなし、 あまつさえ愛してしまう小雪さんの態度も悪くない。 日本はいろいろな思想や宗教を取り入れながら 変化してきた国ですから(どこの国もそうですけど) 決して単純ではない、 いろいろな伝統があることを知って欲しいですね」 そうですか、そんな昔に、 復讐の連鎖を想像した法然の教え、 先駆的かつ、深いですね。 そういった教えこそ、現代にこそ、必要かもしれませんね。 でも、どこでそれを教えてくれるのでしょう? 考えてみたら、そういうギリギリの社会的道徳、 だれも教えてくれない状況だな、と思います。 TVではもちろん教えてくれませんし。 ではでは、今後のご予定、などあれば。 学生などの募集など。あれば。 「ふだんは青山学院大学で日本文学を教えています。 今年の入試は終わりましたが、 これから大学を受ける人で、 日本文学に興味のある人は、是非来てください。 また、専門の中心は『平家物語』です。 『物語の舞台を歩く―平家物語』(山川出版社) という本が、つい先日出ました。 物語の内容をわかりやすく説明しながら、 あまり知られていない 歴史の真相や裏話をいろいろ盛り込んで、 あちこちの観光ガイドも兼ねた本にしたつもりです。 是非ご覧ください。」 佐伯先生、本当に長い間どうもありがとうございました! みなさん、国文学は、国を知り、世界を知り、 己を考え、歴史をふりかえり、 自分の行く先を考える重要な学問です! 我こそと思わん者は、青山学院はもとより、 どこでもいいです、国文学の門を叩かれんことを!
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2005-03-20-SUN
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