総武線猿紀行第94回
「海外で特別になった人について」 その10
「80年代以降は多数の海外有名日本人がいる!」
〜〜うう、前回は嘘、ほんとに次で最終回!
多数の投稿ありがとう!
でもこれからもメール大歓迎!〜〜
やっぱりショック受けておりました。
久しぶりにテレビに釘付けでしたが、
ネットもさんざん見てしまいました。
掲示板で一番、骨休めになったのは
友人のかとうけんそう君の
「いぬちゃんBBS」
http://www.manuera.com/kenso/でした。
初期のテレビ生番組で、
多数の普段見られないような
事故に近い発言があったようですね。
そんなこととか、とりあえず人となんでも話すことが
一番大切なことだと思いました。
りりまるさんからのメールです。
ここミシガンでは、昨日は、フォード本社が休業になり、
GM本社も全員が休暇扱いになりました
(つまり、帰りたい人は帰ってよい、と)。
学校も休校になるところがあり、
学校から連絡を受けた親が
職場から学校に子供を迎えに行ったりしたようです。
州政府は、外部訪問者を立ち入り禁止にしました。
テレビ、ラジオは殆ど全てのチャンネルが
テロ攻撃関係の報道を朝から夜までしていました。
1日中テレフォン・ショッピングの番組を流している
ケーブル局や料理番組のケーブル局は、
「本日起きた事件の性質上、放送をお休みします。
被害者やそのご家族に深く同情の意を表します」
みたいなメッセージを1日中画面に出したままお休み。
MTVやVH1
(MTVよりちょっと上の世代のための音楽専門チャンネル)
などいつもならニュースの時間がないチャンネルも
1日中他のチャンネル
(提携してるんでしょう)のニュースを流していました。
アメリカの地方都市の様子が伝わってくるメール、
ありがとうございました。
やっぱり日本とはずいぶん様子が違いますね。
ところで、そんなさなか
9月15日にホントに臨時に(10日間の仕込みで)
「青い部屋」で行ったイベント
「おいしい生活」は、予告通り、
南印度古舞踊家マドゥ・プリヤ (Madhu-Priya) さんの
ありがたい舞台を成功させるための踊りで
始まりました!
このページがつないでくれた縁で連絡がとれた彼女は、
全く本格的なインド古舞踊を披露してくれました。
その甲斐もあって、
ライブはすべて異常な興奮につつまれ、
ここでもチラと紹介した
ジプシーヴァイオリンの古館由佳子さんも
ジミヘンドリックスばりのスゴイ演奏で客のドギモをぬき、
海外でがんばる日本人の見本市のような
イベントにもなりました。
機会があったらまたやりますので、
みなさん来てくださいね!
さて、最終回にしようと思いましたが、
膨らみすぎてしまい、
一回追加ですがこれでホントに最後です。
勝田さんは再び建築家〜今回は磯崎さんの
パラディアム制作前後の様子を伝えてくれます。
建築家委員普及の勝田紀子です。
ちょっと長くなってしまいますが、
磯崎新とパラディアムの関係を、
送らせて頂きます。
磯崎はパラディアムにかかる前に、
ロサンジェルス現代美術館を建築しました。
その時、美術館側の建築変更要求をハネのけ、
自分の信念を貫き通して創りあげました。
その事を聞きつけた、
スタジオ54の(多分)イアン・シュレーガーが、
休暇中だった磯崎の、(内緒にしていた)電話番号を、
どこからともなく手に入れ、
直接電話し、依頼したそうです。
熱意を買ったのか、面白そうな仕事だったからか、
NYに行きイアンさんとバスケ(?!)などし、
親交を深めその場の空気を堪能し、
設計を始めたそうです。
当時パラディアムのあった場所は、
ヤクの売人などがたむろしている恐い場所で、
そこに若手(金の無い)アーティスト達が住み始め、
新しいソーホーと呼ばれ始めた頃で、
それも関係しスタジオ54からの要望もあり、
磯崎自身も(奥様が現代アティストでもある。)
造詣が深いのも手伝って、
パラディアムはキース・へリングや
ケニー・シャーフなどのアーティストなどとの
コラボレーションが行われました。
出来上がったパラディアムは、
「パリのエッフェル塔に匹敵する、
NYの新しいモニュメントになるだろう」
と、言わせしめました。
後は、ご存知の通りだと思います。
う〜ん、アメリカに日本人が出ていったときの
豪放なノビノビとした様子が手に取るように伝わる
文章ですね。80年代のニューヨークは
日本のロック文化にも大きく影響しましたが、
そのアメリカの大元を作っていた人の一人が
日本人だとは。
シドニー あきこさんのメッセージです
えっと海外で有名な日本人情報ですが、
オーストラリアにもいらっしゃいます。
イソガワ アキラさんという洋服のデザイナーさんです。
ブランド名はakirA Isogawa。
京都のご出身だからか、着物地を時々使ったりして、
でも、オリエンタルを売っているだけでないデザインで
人気のある方です。
こちらのファッション雑誌、特にVOGUEには常連です。
パリコレなんかにも出展されてるらしいです。
最近日本にも進出された、と言う噂も聞きますが・・・。
何年か前のAustralian VOGUEの表紙では
あの、ナオミ キャンベルがアキラさんの洋服を着ていて
それはそれは格好よかったのを覚えています。
ちなみにHPはhttp://www.akira-store.au.com/
この人の何がすごいって、もともとワーキングホリデーで
シドニーに来て、ファッション系の学校を卒業してすぐ
自分のお店を持っちゃった、って言うところです。
日本だったら、こんなことなかなかないですよねー。
う〜ん、ファッションも
オーストラリアで有名な方がいらっしゃったんですね。
何かというとフランス、フランスですから
オーストラリアとは盲点ですね。
日本のファッション業界の人は御存じなのでしょうか?
是非オーストラリアにいったらお店に行きたいですね。
ところで、今度「MODE IN FRANCE」という
写真家のウィリアム・クラインが撮った
80年代初頭のファッションデザイナーによる
オムニバス映画
(それぞれのデザイナーの
アイデアを生かした小編により構成される)
超カッコイイ映画が上映されます
音楽はセルジュ・ゲンスブール。
彼のアルバム「ラブ・オン・ザ・ビート」の
写真を撮ったことのお返しでやったようです。
この映画には当時彗星のように頂点にたった
高田賢三が出てきますが、
他に現在女流カメラマンとして有名な
「安珠」が出てくるのです。
彼女は80年代前半
フランスのトップモデルとして活躍しており、
ヴォーグ誌などで
かなりフューチャリングされていたのです。
彼女はそれはそれ、として
こちらから聞かないと当時の話をしませんが、
むしろフランスの読者の人に聞いた方が
そのことは知っています。
どうですか??それにしても、いやあ、いるいるいる。
こういうことを子供に教えたら、
みんながんばるだろうなあ!
海外活躍・名士録、
子孫のためにも作っておくべきじゃないでしょうか?
(次号、ホントに終わりますよ〜)
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