毎日読む小説「西遊記」 （邱永漢・著）

実力狂時代の巻 第四章　苦節五百年

一　勝敗は兵家の常 「どいたどいた」 如意棒を風車のようにふりまわしながら、 孫悟空は洞門の中からおどり出して来た。 そのすさまじい勢いにのまれて、 洞門を包囲していた九曜星はちょっと逃げ腰になったが、 すぐ気をとりなおすと、 「やい、生命知らずの悪タレ猿め！ 　お前が天界で犯した罪の数々は 　ひとつ残らず知れているぞ。 　仙桃ドロポー、仙丹ドロポー、洒ドロポー」 「ワアハハハ …… 」 と悟空は大声をあげて笑いころげた。 「いかにもおっしやる通りだ。 　おっしゃる通りだが、それがどうしたというのだ？」 「神妙に縄につくなら、 　子分たちの生命は見逃がしてやるが、いやといって見ろ。 　この山ごとペシャンコにしてくれるぞ」 「何を小癪な」 と猿王は歯をむきながら怒鳴りかえした。 「パウア・ポリティックの世の中に何の実力があって、 　そんなデカイことをいいくさる？ 　俺がしばれるなら一人一人とはいわず 　束になってかかって来い」 それをきくと九曜星は一せいにおどりかかって来たが、 猿王はいささかもひるむところがなく、 如意棒を振りあげると、右に左にと応戦し、 相手がへとへとになってもまだ余裕綽々と 棒をふりまわしている。 かなわないとみた九曜星はてんでに武器を投げすてると、 雲を霞と逃げ出した。 「何というおそろしい怪力だろう。 　我々ではとても歯が立ちません」 味方の陣地へ戻って報告をすると、 李天王は当初の作戦を変更して新たに四大天王と 二十八宿に出動命令を発した。 相手が物量で来るなら、こちらも物量で対抗するぞ。 猿王は独角鬼王、七十二洞の妖王を第一線に、 四健将の率いる猿軍を督戦隊に繰り出すと、 これまた一せい反撃に出た。 空は寒々として怪しげな霧に包まれ、 その中にかすんで見えるのは旗や幟の峰々、 槍また剣の山々である。 やがて不気味な霧の被膜を打ち破るかのように 太陽が輝き出した。 と、花果山を覆う鎧の海は 一夜にして雪が積もったようにキラリキラリと照り映え、 ふと見あげる雲の間に林立する刀や戟の森は 稲妻のように見る者の目を奪う。 広い空には鳥の姿一羽認められず、 かつて平和だった山野にはただ驚きあわてて逃げまどう 狼や虎の立てる砂けぶりばかりである。 孫悟空にとってはまさに天下分け目の大決戦であった。 如意棒を片手に握ると、彼はあたかも無人境を行くように 中空へ向ってとびあがった。 その威風堂々たる姿を見ると、天兵たちは 風に吹かれた葦のように背を伏せて逃げ出して行く。 くびすをかえすと今度は風が反対に吹いたように 反対側になびいて行く。 むらがる天兵たちを追い払い、蹴り散らして行くうち、 悟空は四大天王と李天王太子親子に 取り囲まれてしまった。 しかし、六人の天将が四方八方から斬り込んで来ても、 一本の如意棒を孫悟空の手から叩き落すことができない。 そうこうしているうちに太陽が西に傾き、 やがて暗闇が谷間を覆いはじめた。 事面倒と見た悟空は、身体の毛を一握り抜きとると、 口の中へほうり込んだ。 大急ぎでそれをかみくだいて、プッと吹き出しながら 「変れ！」 と叫ぷと、 たちまち千人の孫悟空が手に手に如意棒を持って現われる。 さすがの猛将たちもこれにはびっくり仰天、 あわてふためきながら退却をはじめた。 それを見ると孫悟空はあとを追わずに、 毛をもとの身体におさめ、すぐさま水簾洞へ舞い戻った。 橋のたもとには、四健将が悲壮な顔をして立っている。 彼らは悟空の姿を認めるとクックッと 喉をならしながら泣き出した。 「どうしたんだ。俺の顔を見て泣く奴があるか？」 「今日の一戦で、七十二洞の洞主も独角鬼王も 　描虜になってしまいました。 　もし大王も一緒につかまっていたら、 　どうしようかと皆で心配していたところです」 「勝敗は兵家の常だ」 と悟空は平然としていい放った。 「ずいぶんひどい戦いだったが猿軍の損害はどうだった？」 「私どもは戦況が不利になると、すぐ洞中に待避したので、 　幸いにも損傷はありませんでしたが …… 」 「それじゃ、ますますもって 　 泣くことはないじやないか。ワッハハハ …… 」 と悟空は強いて豪傑笑いをしながら、 「さっきは分身法を使って奴らを撃退したが、 　戦いは明日からだ。 　皆の衆、今夜はとにかく腹拵えをして十分休養をとるがい。 　俺も明日は大いに頑張って今日の仇を討ってやるぞ」

2000-09-19-TUE

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