毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
実力狂時代の巻 第五章 宗教大攻勢 |
第五章 宗教大攻勢 一 宗教攻勢 それから五百年の歳月が流れた。 地上では無数の人々が次々と生まれ、 また次々と死んで行った。 喜びも悲しみも谷川の水が大河に落ちて、 やがて遠い海へ運ばれて行くように、 永遠の忘却の彼方へと押し流されて行った。 けれども永遠に死せざるものにとって 五百年は退屈で変化のない繰返しにすぎない。 或る日、釈迦牟尼如来は雷音寺に諸仏、阿羅、掲諦、 菩薩、金剛、比丘僧、比丘尼らを集めて言った。 「あの妖猿を平らげてから、 どのくらいの時日が経っただろうか。 世の中は平和に越したことはないが、 こう平和がつづくと、 張り合いがなくなるから妙なものだね。 何か面白いことでもないものだろうか」 「ちょうど、秋のはじめですから、 盂蘭盆会でも開いたらいかがでございましょうか?」 と仏の一人が言った。 「そう、それがいい」 如来は早速、 秘蔵の宝盆にさまざまの珍しい果物や花を盛らせ、 弟子の阿難と迦葉に命じて皆の衆に頒ちあたえた。 それを有難く押しいただきながら、 「お釈迦さま。 どうぞ私たちにお教えを賜わりとう存じます」 と皆の衆は仏前にひれ伏した。 前もって歓待されたせいでもなかろうが、 皆、心からお説教をききたがっている様子である。 そこで如来は一段と高い壇上にのぼり、 彼一流の冗舌をふるって、 滔々三日にわたる長談義をはじめた。 何しろ西方極楽では、道端でも汽車の中でも、 人と見れば相手を選ばずに大演説をぶちまくる奇習がある。 その雄弁家揃いの極楽浄土でも、如来といえば 居並ぶ雄弁家たちを黙らせるほどの名演説家だから、 まず天地人三界から説きおこして、虚無寂減の真理に至り、 さらに名生まれて死始まる人間世界の微に入り細に入り、 波の寄せてはかえすように、いつ果てるとも知れない。 聴衆たちは恍惚とし忘我の境に入ってしまった。 その有様を眺めながら、釈迦如来は満足を覚える半面、 何とはなしに物足りなさを感じた。 こう信者ばかり身辺に集まったのでは、 いくら完璧なる人格者でも今に堕落してしまうかも 知れないと思ったのである。 「徳には自ら隣あり、と申します」 と如来は言った。 「われわれのこの極楽浄土には 貧苦も病苦も失恋苦もないけれども、 地上のあの四大部洲をごらんなさい。 東勝神洲の人民は天を敬い地を尊び、 心爽やかな日を送っていますが、 北倶蘆洲ではさかんに殺し合いをやっています。 もっともこれは生活難が原因ですから、 この土地で共産主義以外の教えをといても 解ろうとはしないでしょう。 またわが西牛賀洲では人間が無欲で殺生を好まず、 専ら精神主義に徹しようとしていますから、 たとえ真理を会得しないまでも、皆長寿を保っています。 しかるにただ一つかの南瞻部洲は、 人も神もともに享楽主義者で、金と女のことで年中、 争いが絶えません。 われわれが宗教攻勢に出るにもってこいの土地は、 まさにこの地域だと思います。 善をすすめ、幸福への道を伝えるのですから、 誰もわれわれを帝国主義者だと言って 非難するようなことはありますまい」 如来がそう言うと、聴衆の中からマバラに拍手が起った。 それを見まわしながら、如来はさらにつづけた。 「しかし、いくら真理であっても、 こちらから押売りに行ったのでは、 ゴム紐売りと間違えられて 玄関払いをくらう可能性があります。 こちらに戦争を終焉させて 平和をもたらす妙薬があることを何となく匂わせて、 向うから買いに来るように 仕向けなければなりません」 すると、今度はさっきより一段と大きな拍手が起った。 物事はこういう具合に平たくいえば 衆愚でもよくわかるのだな、と如来は改めて考えた。 「平和の妙薬とはどういうものでしょうか?」 と諸仏がきいた。 「三つの蔵におさめられたあのお経だよ」 と如来は答えた。 「以前にもこの土地から小乗仏教の経典を持って かの地に行った者があります。 しかし、あれはニセモノで、 本当に世を救うことは出来ません。 皆さんもご存じの通り、私のもとには 天を論じた“法”が一蔵、地を論じた“論”が一蔵、 鬼を論じた“経”が一蔵、合わせて三蔵三十五部、 一万五千一百四十四巻の経文があります。 この中には天地宇宙森羅万象が ことごとく論じ尽されており、 これを読破してしまえば人生が嫌になり、 人間は争うのがバカバカしくなります。 幸い東方でもわが西方にこうした秘宝のあることが 薄々ながら知られてきました。 そこで苦難を物ともせず、また万里を遠しとせず、 かの地から経典を求めに来る熱血漢を 探し出す必要があります。 この難事業に挺身する人物を探し出すのは なかなか容易なことではありませんが、 皆さんの中でこの大任をはたしてくれる勇者は ありませんか?」 皆の者はお互いに顔を見合わせた。 ご馳走をするといえば、勇躍して駈けつける者も、 責任を負わされることだと、 おいそれとは引き受けようとはしないものである。 ただひとり観音菩薩だけが蓮台に近づくと、 「私が行って参りましょう」 と言った。 如来はすっかり喜んで、 「あなたなら全く申し分がありません。 私も安心してお任せ出来ます」 「ついては私に何かご注意がございませんでしょうか?」 と菩薩がきいた。 「一番大切なことは南瞻部洲からここまでの道程を 実地に調べて見ることです」 と如来は言った。 「そのためにはあまり上空をとばず、 地形の見きわめのつく低空をスレスレに行くことです。 しかし、黄金をやるといえば生命を賭ける人間は 無数にありますが、古ぼけた経典ではよっぽど ツムジの曲がった人間でないととびつかないでしょう。 一旦とびついても、あんまり難儀が重なると、 人は善への意志を喪失しがちなものです。 ですから、途中で落伍しないよう、念のため、 この五つの宝物を持って行って下さい」 そう言って如来は弟子に命じて 錦襴袈裟一枚、九環錫杖一本を持って来させた。 「この袈裟と錫杖は、お経をとりに来る人にあげて下さい。 もし堅固なる意志を持った人間がこの袈裟を着用すれば、 輪廻の運命から脱却することが出来ますし、 またこの錫杖を手に握れば、 災難を免れることが出来るのです」 それからさらに三つの金の輪をとり出すと、 「これは緊箍児といって、三つ同じように見えますが、 それぞれ使い方が違います。一つ一つに呪文があって、 もしいうことをきかない者があれば、 この輪を頭にかけてやると、根が生えたように 抜けなくなり、呪文をとなえると輪が次第に縮まって 頭の中に食い込んで行きますから、 目の玉がとび出すように痛みます。 これから東土へ行く途中、 あなたがこれと思う妖魔にあったら、 彼らにお経をとりに来る人の弟子になるよう 説いて下さい。 善人は自分の善を守ることに汲々とするはかりで、 悪を防ぐ手段を知らないから、 誘惑されて悪の道へ入らないまでも、 悪党に滅ぼされてしまう可能性があります。 その点、悪党の中の悪党なら、 悪党に対抗するあらゆる手段を知っていますから、 彼らを味方につければそれだけ心強い。 ただ何分にも根が悪党ですから、 いつどこで謀叛を起すか油断がならない。 そんな時に備えるのがこの三つの輪です」 「なるほど」 と菩薩は如来の用意周到なことに改めて感心しながら、 「ではこれをちょうだいしてまいります」 と御前をひきさがった。 |
2000-09-23-SAT
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