毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
実力狂時代の巻 第六章 一粒の麦

6章 一粒の麦

四 肉親からの解放

金山寺をあとにした玄奘は
江州とは逆の方向へ向って歩き出した。

彼は自分が出家になったことを後悔していた。
もし出家になっていなければ、懐に刀をしのばせて
単身江州へ乗り込んで行ったに違いない。
しかし、法明和尚も言ったように殺戮は仏家の禁戒である。
人を殺したくとも、
まずその殺意そのものを殺すことを教えている。
血の気の多い青年僧にとって、
この禁戒を破ることは怖しかった。
と言って、敵をも許すほど諦念にも徹しきれないのである。

母の顔を見た瞬間から、
彼の決心はきまったも同様だった。
それはもし自分の手で刀を握ることが出来ないなら、
他人の刀を借りることである。
借刀殺人 ── それもまた殺人には変りがないが、
今の場合それが母を悪党の手から救う唯一の方法だと
彼は考えた。

そこで彼は托鉢をしながら、山を越え、
河を過ぎて、長安の都へと向った。
殷開山丞相の邸宅は皇城東街というところにある。
襤褸をまとった玄奘はその門前に立つと、
「拙僧は丞相の親戚ですが、おとりつぎ願いたい」
と申し出た。
門番は怪訝そうな顔をして乞食坊主の姿を眺めていたが、
本当に親戚なら粗末に扱うことも出来ないので、
門前に立たせたまま奥へひっこんだ。
やがて出てきて、
「丞相には坊さんの親戚は
 心当りがないと申しております」
「江州から参ったと申して下さい」
と玄奘は念を押した。

今度は一時間近くも待たされた。
ようやく門番が現われて、
「どうぞ」
と中へ通された。
美しい庭園を抜けて正庁へ入ると、
そこには殷丞相と夫人が待っている。

玄奘は二人の前に膝をつくと、
「私は陳光蕊の息子でございます」
「お前が光蕊の息子? 儂の外孫だというのか?」
と丞相はびっくりした。
「娘は結婚当初、流産をしたっきり
 子供が生まれないときいているが……」
「ハイ、それには次のようなわけがございます」
と玄奘はこれまでの経過を手短かに喋った。
そばできいていた夫人は袖を顔にあてながら、
「昨夜、私は満堂嬌が家へ帰ってきた夢を見たんだよ。
 あの娘は泣いていましたよ」
「しかし」
と丞相は言った。
「お前が儂の孫であるということをどうして証明する?
 何か、たとえばお前の母親の手紙なり
 お守りなりでも持っていないかね?」

そう言われるまで、
玄奘はそんなものが必要であるとは思ってもいなかった。
彼は懐から肌身離さず持っていた
母親の肌着をとり出して見せた。
「これはあの娘が嫁入りの時に持って行ったものですわ」
と夫人は叫んだ。
「間違いありません。
 私には見覚えがございます」
「ウーム」
と丞相は唸り声を立てた。

翌朝、殷丞相は早々に入朝して、
太宗皇帝に拝謁仰せつかった。
「恐れながら申し上げます。
 さきに陛下のご命令にょり私の女婿陳光蕊は
 家族を同伴して江州へ赴任致しましたところ、
 道中、劉洪という逆賊に殺害され、
 妻を奪われ、その上、長い間、
 替玉になって江州を支配していることがわかりました。
 どうか陛下には兵を発して逆賊を討たれますよう、
 伏してお願い申し上げます」

皇帝はいたく驚かれ、早速、御林軍六万に命令を発し、
殷丞相を総大将として江州に向けて急行させた。

殷承相の軍隊は江州の北岸に陣地を布くと、
まず江州の同知、州判の二人を呼び、
彼らに意を含めて道案内をさせた。
夜半に河を渡った官軍は、まだ夜の明けない中に
劉洪を城下に囲み、何なく捕虜にした。

殷丞相は役所に入ると、娘に出てくるように伝えた。
しかし、満堂嬌は父親に合わせる顔がなかった。
いくら待っても彼女が姿を現わさないので、
玄奘は不安になって母親の住んでいる
邸宅の方へ急行した。
玄関を入ると、
「大へんです。大へんです」
と召使の女が顔色をかえてとび出してきた。
「どうした?」
「奥さまがご自害なさっておられます」
「なにッ」

玄奘は母親の部屋へとびこんで行った。
見ると、天井の梁から一本の帯が垂れていて、
そこに盛装した満堂嬌の四肢がぶらさがっている。
玄奘はすぐ帯を切って母親を抱きおろした。
「お母さん! お母さん!」
と呼びつづけるが、もう遅い。

机の上に遺書がおいてあった。
ひらいて見ると、たった一行。

  よく父のために仇をとってくれました。

と書いてある。

父のため、という言葉が巨弾のように
玄奘の眼の中へとび込んできた。
「父のため、父のため …… 」
と玄奘は繰りかえした。
「なぜ親のためとは書いてくれなかったのだ。
 なぜ母のためとは書いてくれなかったのだ!」

すでに死んでしまった父のためというよりは、
悪党の手から母親を救い出したい一心だった。
この場合、悪党に復讐することは、
父の仇を討つことになると同時に、
母を救う道であると玄奘は信じて疑わなかった。
だが、母を救おうとして彼が打った手は、
意外にも彼の母を殺す手であったとは!

世間では、玄奘という親孝行息子が
父の仇敵を討ったというのですっかり評判になった。
また満堂嬌が良人の仇敵が討たれるまで耐えしのび、
それが実現するのを見てから
「二夫に従った」自分を恥じて
自縊したことを賞讃した。
しかし、世間の評判に反して、
玄奘の受けた精神的な打撃は何にもまして大きかった。
母親を殺したのは自分であることを
彼だけが知っていたのである。

外祖父に従って金山寺へ入った時、
玄奘は法明和尚の顔をまともに見ることが出来なかった。
「お前はこの寺に残るかね?」
と殷丞相がきいた。
「いえ」
と玄奘は答えた。
「お前のお師匠さんも、
 この寺でお前の習うことはもう何もないと申しておった。
 この際、長安へ出た方がよいと思うが、どうだろう」
と殷丞相は言った。

玄奘としてもそうするよりほかなかった。
いよいよ、別れる時がくると、法明和尚が言った。
「人生の不可思議について、お前はよい経験をした。
 僧侶としてのお前の人生はこれから始まる。
 もうお前は肉親の愛によって
 悩まされることはないだろう。
 では御機嫌よう」

玄奘は外祖父について長安に入り、
都下の洪福寺に僧籍をおくことになった。

2000-10-01-SUN

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