毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
実力狂時代の巻 第六章 一粒の麦 |
五 明日ふる雨 さて、話は再び長安の郡へ移る。 長安の城外には河という河が流れている。 この河には色々な種類の魚が棲んでいるが、どうも近頃、 黄金色の鯉ばかり選んで釣って行く者がある。 黄金色の衣裳をつけた鯉といえば、水中の貴族であるから、 平民どもが誘拐されるのとはわけが達う。 たちまち水中の社会問題と化して、大騒ぎになった。 ある日、河を巡行していた夜叉が通行人の立ち話から、 その張本人をつきとめた。 夜叉はとるものもとりあえず水晶宮に急行すると、 竜王に報告をした。 「申しあげます。申しあげます」 「何ごとだ?」 「誘拐団の本部がわかりました」 と夜叉は言った。 「長安城の西門街に 占いの看板をかかげた袁守誠という先生がいるそうです。 だまって坐ればピタリとあたるという評判で、 黄金色の鯉を持って行くと、 その秘訣を一課目ずつ伝授すると公言している由、 今のぅちに何とか手を打たなければ、 遠からずわが水府は絶滅に瀕してしまいます」 「うむ、身の程知らぬ憎き奴め!」 竜王は剣を持つと、 すぐにも陸上へ乗り込んで行く気勢である。 群臣がそれをひきとめて、 「耳にはさんだ言葉を信じてはいけません。 もし大王が勢いに任せて陸上へあがれは、 長安には一大風雲がまき起るでしょう。 玉帝の命令に従わないで越境行為に出たら、 あとで譴責を受けます。 それより事の真相をつきとめることが第一で、 対策はそれからでも遅くはありません」 「なるほどそれもそうだ。 じゃひとまず様子を見に行って来るか」 竜王は兵を起すことをやめ、単身、陸へあがると、 揺身一変、たちまち一人の白皙の美青年に化けた。 美青年の竜王は長安城下へ入り、 人通りの多い繁華街をぷらぶらと歩いた。 西門大街へ到着すると、 果して売卦先生の看板がかかっている。 「ふむ、ここだな」 と頷きながら竜王は門を叩いた。 「どういうご用件ですかね?」 と言って戸をあけた先生を見ると、 なるほどききしにまさる端正な容貌の君子である。 「明日の天気を占ってもらいたいと思いまして」 と竜王は言った。 「天気なら気象台へ行っておききなさい」 「いや、気象台のいぅことなどアテにならない。 傘を持って出れば日が照るし、傘をおいて出ると、 必ずのように雨にあいますよ」 「それならば気象台の発表と反対のことを すればよろしいでしょう」 「ところが時々、あたることがありますからね」 と竜王は笑った。 「その点、先生の予言は 確率百パーセントときいておりますので、 是非先生のご意見を伺いたいと思って参上しました」 先生は微笑を浮べながらきいていたが、 「ではお答え致しましょう。 今夜は暗雲低迷、明日は雨です」 「明日の雨は何時からふります? そして、降雨量はどれだけあります?」 「午前八時から雲が張り、十時に雷が鳴り、 十二時から降りはじめて、 午後二時には雨量三尺三寸〇四八になります」 「本当でしょうね」 と竜王は念を押した。 「もし先生のおっしやる通りなら、 五十両、耳を揃えてもって来ますが、 雨が降らなかったり、時間や雨量に食い違いがあったら、 ただじやおきませんよ」 「その話なら明日の午後になってからまたききましょう」 と言って占い先生は青年を送り出した。 占星館を出た竜王は内心ほくそえみながら 水晶宮へ戻った。 「明日の天気のことで、 あの大道易者め、俺と賭けよったよ」 「そいつはまた驚いた度胸でございますな」 と群臣は笑った。 「きっと大王が雨を司る長官であることを 知らなかったのでしょう。 もう勝ったも同然ですよ」 ところが、そこへ玉帝からの聖旨を持って 金衣力士が現われた。 竜王があわてて衣冠を整え、恭しく聖旨を受けとると、 さっき占い先生が予言したのと寸分違いがない。 驚きのあまり竜王は口をきくことが出来なかった。 「ご心配には及びません」 と軍師が竜王に耳打ちをした。 それをきくと、竜王はニヤリと笑った。 翌日、竜王は、風伯、雷公、雲童、電母をひき従えて 長安城の上空へ来た。 ただし、時間を二時間ずつずらして、 午後四時まで雨を降らせ、降雨量は三尺〇四〇で停止した。 部下を帰らせると、竜王は再び白皙の美青年に化けて 占星館の戸を叩いた。 「さあ、生命だけは助けてやるから、 たった今、ここから出て行け。 インチキ野郎奴!」 竜王は机を蹴りとばし、 手あたり次第にそこいらにあるものを抛り出した。 しかし、守誠先生はいささかも動揺の気配を見せず、 「私のせいじやない。 私には罪はない。 あなたのような手をつかって 他人を瞞すことは出来るかも知れないが、 この私を瞞すことは出来ない。 あなたが誰かぐらいのことは私にはわかっていますよ」 「なに?」 「あなたは河竜王だ。 あなたは玉帝の命令を無視して職権を濫用した。 馘になるだけではすまないだろう」 それをきくと竜王の顔色がサッと蒼ざめた。 思わず知らず占い先生の前にひざまずいた。 「賭けに熱中したあまり、 とんでもないことになってしまいました。 どうか私を助けて下さい。 先生、私の生命を助けて下さい」 「私の力ではどうにもならないことだ」 と占い先生は冷たい表情のまま言った。 「あなたを助けることの出来る人は この世の中にたった一人しかいない」 「それは誰です? その人の名を教えて下さい」 と竜王は叫んだ。 |
2000-10-02-MON
戻る |