毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
実力狂時代の巻 第八章 真理を求めて

8章 真理を求めて

二 袈裟売り

話は再びもとへ戻って、
南海は普陀山の観音菩薩が弟子の恵岸行者を伴って、
長安大唐国へしのび込んできたのは、
ちょうど、この数日前のことであった。
彼らが癩病やみの乞食坊主に化けて、
城下の城隍廟にひさしを借りたことは
前に述べたとおりである。

水陸大会の前景気で、長安の都は異常な活気を呈していた。
どこを歩いても水陸大会の話でもちきりである。
利にさとい商人の中にはこの大会をあてこんで、
さっそく、玄奘饅頭を売り出したものもあるし、
若い人の間では、玄奘刈りと言って
ユール・ブリンナ張りの頭が大流行をしている。
また全国から集まって来た坊主が
あやしげな歓楽街へひっばり込まれて
悪い病気を移されてはという親心から、
委員会で遊里のサービス券をくばったとかで
物議をかもしている。
いやはや、その盛大なること、
本家本元の西方極楽から来た観音菩薩さえも
舌を捲くほどであった。
「この調子では、今に仏教がますますさかんになって、
 われわれの方でこちらへ引越して来た方が
 暮らしやすくなりそうだね。
 この東方の野蛮国が極楽浄土であるとは、
 いくらお釈迦さまでもご存じあるまい」

観音菩薩がそんな冗談をとばすと、
恵岸行者はすっかり真顔になって、
「まったくでございますね。
 私はわが極楽浄土に戦争でも起ったらどうしようかと
 ひそかに心配していましたが、
 ここへ来て見てすっかり安心しました。
 いざとなれば、この地へ亡命いたしましょう」

「お前は何というバカだろう」
と観音菩薩は言った。
「今の世の中に局地戦争や限定戦争というものは
 あり得ないよ。
 わが極楽浄上に戦争や革命が起ったら、
 たちまち宇宙全体の大合戦に発展して、
 人間も神も仏も一挙にして
 潰減してしまうだけのことだ。
 何故ならば、
 われわれがこうして全智全能の仏面が出来るのも、
 もとを言えば、人間のおかげだからね。
 さあ、愚にもつかないお喋りをしていないで、
 さっそく、工作に着手するとしよう」

菩薩は金襴袈裟と九環錫杖を手に持ち、
例の緊児を懐中にしまうと、
弟子を連れて廟門を出た。

長安の街には水陸大会の選にもれた田舎坊主が
まだうろうろしている。
彼らは癩病やみのみすぼらしい二人の坊主が
身分不相応の立派な袈裟と杖をもっているのを見ると、
つかつかと近づいてきた。

「もしもし、その袈裟と杖は売りものですか?」

「値段次第で売らんこともないがね」
と菩薩は答えた。

「値段次第っていくらですか?」

「袈裟が五千両で、杖は二千両」

「何だと、この気違い坊主奴」
と落第坊主の方が笑い出した。
「こんなオンポロ袈裟と杖が
 両方合わせて七千両とはよくもロに出せたものだ。
 その袈裟を着たとたんに
 即身成仏出来るとでもいうのかね?」

「ああ、出来るとも」

「ふざけるな。せいぜい、癩病やみになるのが
 おちじやないか。アッハハハハ …… 」

頭から二人を笑いとはすが、
二人の方でも落第坊主には用がない。
恵岸行者と肩を並べて東華門のあたりまで来ると、
おりしも宮殿からひきさがってきた
の行列にぶっつかった。
行列の先頭で、三下奴が
「下に! 下に!」
と叫んでいるが、
菩薩の坊主はいっこうに避けようともしない。

馬上にいた宰相は坊主の手に捧げられた
金色燦然たる袈裟に気がついた。
そこで人をやって坊主を近くによんだ。

「その袈裟は売りものかね?」

「売らないこともありませんが、安くはございませんよ」

「安くないとはいくらだね?」

「袈裟が五千両に、杖が二千両」

「バカに高いじやないか。
 何か特別の功徳でもあるのかね?」

「功徳もあれば、禍いもあります」

「というと?」

「立派な人物がこの袈裟を着れば、
 誘惑に負けず、地獄におちいらず、
 また匪賊妖怪から身の安全を守ることが出来ます。
 ところが反対に生臭坊主や助平坊主が
 これを着ようとすると、
 袈裟に足が生えて逃げ出してしまいます」

「それじゃ金さえ出せば買えるというものじゃないな」

「だから、私は売らないと言っているのです。
 その代わり金で買えるものでもないことを
 知っている人物には、
 タダでさしあげてもよろしいのです」

「これは、これはお見それ申しました」
と宰相はあわてて馬から下りながら、
「長老さまもご存じのようにわが太宗皇帝は熱心な信者で、
 このたびは国をあげて水陸大会を開いております。
 この袈裟は都僧綱の玄奘法師には
 うってつけと存じますから、
 ひとつ私と一緒に陛下のところへおいで願えますまいか」

玄奘法師のためときいて、観音菩薩は心よく承知した。

宰相は二人の癩病やみの坊主を案内して、
さっき出て来たばかりの東華門をもう一度中へ入った。

「どうした?」
と簫の顔を見ると、太宗皇帝はきいた。
「何か急用でも出来たのかね?」

「ハイ。さっき御門を出ましたら、
 このお二人のお坊さんが
 袈裟と錫杖を売っているのに出会いました。
 見れば見るほど立派な品物で、
 玄奘法師にならよく似合うと思って、
 ご案内申しあげたのでございます」

なるほど菩薩の手にささげられた袈裟は
目もくらむばかりの光を放っている。
この袈裟が五千両で、あの杖が二千両だときかされても、
もともと税金で暮らしを立てている太宗皇帝は
少しも驚かなかったが、
ただどうしてそんなに高いのかその理由を知りたがった。

「この袈裟を有徳の士が身につけると」
と菩薩は説明をはじめた。
「自然この袈裟にふさわしい振舞いを
 するようになってくるのです。
 ちょうど、横綱を締めると、どんな相撲取りでも
 横綱らしい風格が出て来るように…… 。
 ごらん下さい。
 この袈裟は氷蚕からとった生糸で、
 天の織女が心を砕いて織りあげたものです。
 この袈裟には神気が漂い、坐れば万神自ら集まり、
 歩けば七仏自ら随い、
 行くところ通ぜざるところはありません」

「われわれは要するに衣裳にすぎないという衣裳哲学だな」
と大宗皇帝はサーター・リザータスを
思い出しながら言った。
「して、その錫杖にはどんな働きがあります?」

「この杖は九環錫杖といって
 人間が永遠の巡礼であることを象徴しています。
 このふしくれだった格好を見て下さい。
 人はたとえ死に近づこうとも、
 なお巡礼であることから免れ得ないのです。
 そして、その意識を人々にうえつけるために
 この杖は存在するのです。
 したがって、この杖を握れば、千尋の谷、万丈の山でも
 これを越えて行かずにはいられなくなるでしょう」

それをきくと、太宗皇帝はいたく喜んで、

「勝手な話だが、ひとつその袈裟と杖を
 私に譲ってくれませんか。
 実は私は宗教立国を志して、
 目下、化生寺で水陸大会をひらいています。
 その中に玄奘法師という
 まだ年は若いが年に似合わない立派な僧侶がいますので、
 それに贈りたいと思うのです」

菩薩と恵岸はお互いに顔を見合わせた。

「玄奘法師にさしあげるのでしたら」
と菩薩は言った。
「私どもとしても願ったりかなったりです。
 失礼ながら、代金は結構でございます」

そう言って、そのまま御殿から出て行こうとした。
太宗はあわてて簫に二人をひきとめさせた。

「さっきあなたは袈裟が五千両、
 錫杖が二千両と言っていたじゃないか。
 私がほしいと言ったとたんに
 タダでよろしいとはどういうわけです?
 私が帝威をかりて
 人民の財産をかすめとるとでも思っているのですか?」

「いえいえ、けっしてそういう了簡ではございません。
 以前から私は人格高潔な僧侶に会えば、
 これをさしあげようと思っていたのです。
 陛下が仏門のためにお力を尽していらっしやるのを見て、
 ますますそういう気持を強くいたしました」

と、どうしても代金を受取ろうとしない。
太宗は二人がすこぶる謙譲なのを見て、
都下の光禄寺でもてなしをするようにと
おつきの者に命じたが、
二人はこれをも固辞して
悠々と御殿から出て行ってしまったのである。

2000-10-08-SUN

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