毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
実力狂時代の巻 第八章 真理を求めて |
三 スーパーマンの教え 翌日、太宗は丞相・魏徴に 玄奘法師を宮殿に連れてくるように言いつけた。 魏徴がそのむね、化生寺まで伝えに行くと、 玄奘はすぐ壇上から下りて、丞相について御殿に入った。 「毎日ご苦労さまです」 と太宗はいたわりの言葉を賜わった。 「何かお礼にさしあげるものはないかと思っていたところ、 たまたま昨日になって二人の僧侶が 珍しいものを持って来てくれました。 それであなたをお呼びしたのです」 「どうも有難う存じます」 と玄奘が頭をさげると、 「よかったら、これを着て私に見せてくれませんか」 玄奘は恐縮しながら、 袈裟をほどいて身につけ、手に錫杖をもった。 すると見よ ── 階前に立ったその姿は まさしく釈尊の再来ではないか。 文武百官の拍手喝采するなかを、 御前からひきさがった玄奘法師は、 太宗が用意してくれた儀杖隊に送られながら 長安の街を賑やかに行進しはじめた。 広い大通りも、 この華やかなパレードを見ようとする老若男女で埋まり、 人々は口々に、 「羅漢に生きうつしだ」 「菩薩が天から下りてきたようだ」 「まあ、とても性的魅力があるわ。 まるで映画俳優のようじゃないの」 と勝手な噂をしている。 やがて、玄奘の一行は化生寺へ戻った。 僧侶たちは錦欄袈裟を身につけた玄奘の姿を見ると、 讃嘆の声をあげた。 玄奘は本堂へまっすぐ入り、 仏前に焼香しながら両手を合わせた。 既に太陽は西におちて、寺の鐘が、 「ゴーン」 「ゴーン」 と鳴りひびいている。 せまりくる暗黒をはねかえすように、 「南無阿弥陀仏!」 の歌ごえは寺の中一ぱいにこだましていた。 大会が始まって七日目になると、 玄奘は再び太宗皇帝を寺に迎えた。 「どうだ。われわれもお寺詣りに行くとしようか」 と観音菩薩は弟子の恵岸を誘った。 「ひとつには大会が どんな具合に運ばれているか知りたいし、 二つには袈裟を着た玄奘法師の姿を見てみたいし、 三つには一体、如来の教えがこの国で どんな具合に扱われているかきいてみたいのでね」 「そうですね。では参りましょう」 二人は群衆の中にまぎれて、化生寺へと向った。 もみくちゃにされながら、ようやく山門に辿りつくと、 なるほどこれは東方の大国にふさわしい 壮大華麗な大寺院である。 「われわれもちょっと顔負けだな」 と苦笑しながら、坊主姿の菩薩は山門をくぐった。 中へ入ると、 一段と高い壇上に玄奘法師の坐った姿が見える。 そのまわりを雲のような群衆がとりまいていた。 玄奘法師は受生度七経をよんでいる最中であった。 それが終ると、安邦天宝篆の講義がはじまった。 それから続いて、勧修功巻の講義になった。 菩薩は我慢しきれなくなって、壇のそばへ近づくと、 手で壇を叩きながら言った。 「和尚さんよ。さっきからきいていると、 あなたは小乗仏教の講義ばかりしているじゃないか。 少しは大乗仏教の講義をしたらどうだね」 その声をきくと、玄奘はあわてて壇からとびおりた。 「大乗とか小乗とか、それはどういう意味でしょうか? 私もこれまでそういう区別があることは うすうすきいておりますが、 この国では私がいま講義したような教典しか 伝わっていないのです」 「それは皆、小乗仏教なのです。 原始時代の仏教なのです」 と菩薩は答えた。 「小乗仏教は自己中心の思想ですから、 この思想によって 人間を奈落から救いあげることは出来ません。 魂の孤独を救うためには、 どうしても大乗仏教によるよりほかないのです」 「大乗仏教の真諦をきわめるためには どうしたらよろしいでしょうか?」 「それにはただ一つしか方法がありません。 危険を怖れず、自ら仏典を求めて西域へ行くことです」 二人がそんな会話をかわしている間に、 玄奘の講義を妨害する者が現われたむね、 太宗のところへ報告に行った者があった。 太宗はただちに妨害者を逮捕するよう命令を下した。 やがて巡邏が二人の癩病やみの坊主をひきたてて 入ってきた。 二人の坊主は太宗の御前につっ立ったまま 頭をさげようともしない。 見ると、先日の和尚だったので、 「これはまた一体どうしたのだね」 と太宗はきいた。 「さっきあの和尚の説法をきいていると、 いずれもわが西方では子供も相手にしなくなった 小乗仏教ばかり。 あんなことではとても世が救えないと思って、 私が抗議を申し込んだのですよ」 と菩薩は答えた。 「というと、西方では宇宙森羅万象について 従来と違った新解釈が生まれたわけですか?」 「そのとおりです。今は原子時代ですからね。 古典にも新解釈が必要です。 たとえばあなたの国では、 紅楼夢という貴族の恋愛小説が階級批判の諷刺小説だと 最近言われているそうじやありませんか。 あれなどはこじつけも甚だしいけれど、 西方でも新しい思想が抬頭しつつあるのは事実です」 「それはどこに震源地があるのですか? また一体どんな内容の思想なのですか?」 「西方、天竺国の思想的中心は大雷音寺で、 その教祖は釈迦牟尼如来でございます。 そこには大乗仏法の経典が 三つの蔵にぎっしりつまっていて、全部合わせると、 無慮一万五千一百四十四巻にのぼるのです。 これこそが人間を救うことの出来る唯一の思想なのです」 「あなたはその内容を いくらかでも記憶していらっしやいますか」 「もちろん、覚えていますとも」 「それでは、あなたに壇上にのぼっていただきましょう」 太宗は自ら立って、 癩病やみの坊主を壇の方へ案内して行った。 菩薩と恵岸行者は一礼をすると、 壇の上に軽々ととびあがった。 「準備はよいか」 と菩薩は小さな声で言った。 「ハイ」 と恵岸行者。 「では」 癩病やみの坊主は、 「えいッ」 と一声。 たちまち本来の姿へ戻って群衆の前に立ったのである。 見よ。 無限の悲哀に耐えて細い眼をあけた 慈母観音菩薩の奥床しい姿。 その手に握られた花瓶から垂れた みどりしたたるばかりの川柳。 その左には千斤の大鉄棍を高くかかげた木叉太子恵岸行者が グッと天の一角をにらんだまま立っている。 「ああ、観音菩薩だ」 「スーパーマンだ」 口々にそう叫びながら、人々はその場にひれ伏した。 すると、壇のまわりに雲がむくむくと湧きはじめ、 その上に立った菩薩と行者は 雲にのったまま上空へ上空へと昇って行き、 ついにまったく見えなくなってしまったのである。 太宗は茫然として我を忘れた。 この地上の国で王よ皇帝よとたてまつられているのが、 ひどくバカバカしいことのように思われてきた。 「人間が人間である限り、 人間は救われることがないに違いない。 人間が救われるためには人間の制約から脱出して、 天地自然とともに生きるスーパーマンになることだ。 大乗仏教とはきっとスーパーマンの教えに違いない。 現に一万五千一百四十四巻の経典の内容について 説明していただきたいと言ったら、 菩薩は難しい説教など何ひとつしないで、 まるで人工衛星のように 空高く昇って行ってしまったではないか。 天竺国ではきっとスーパーマンの研究が 盛んに行われているに違いない。 そして、三蔵の経典を読んだものは 誰でもああやって天上地下を 自由自在に飛びまわることが出来るに違いない。 誰か私に代って天竺国まで 使いに行ってくれるものはいないものだろうか」 人間の王である太宗皇帝は、 猿の王にすぎないかの孫悟空のように、 思い立ったら王冠を捨ててでもとんで行くほどの 強烈な冒険心は持っていなかった。 彼には君臣とか父子とか名誉とか権勢とか、 その他さまざまの人間のきずなが多すぎて、 とてもそのきずなから逃れられるとは 思っていなかったのである。 「哀れなるかな、人に王たる者」 である。 |
2000-10-09-MON
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