毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
三蔵創業の巻
第四章 八戒登場す

一 援軍をたのむ

黒大王が一瞬早く槍先を孫悟空目がけて突き刺してきた。

あわや串焼になるかと思われたが、
次の瞬間、如意棒がカチリと槍を受けとめていた。

二人は部屋の中から庭へ、庭から第三門、第二門、外門と、
互いに秘術の限りを尽しながら、
遂に洞門の外へ出てしまった。

さて、今度の一騎打ちは前回の比ではない。
二人は洞門前の広場から更に雲に包まれた山の項きまで、
砂をとばしたり石を走らせたりして死闘を続けたが、
一向に勝敗がつかない。

既に太陽は西に落ちかかって、
真黒い魔王の顔までアカアカと燃えている。
「おい、孫悟空」
と黒大王は相手に呼びかけた。
「今日はもう日が暮れたから、
 お互いにやめようじゃないか」
「バカを言え。戦争の時は戦争の時らしくやったらどうだ」
「しかし、一生懸命精を出しても時間外手当はつかないぜ。
 もっともお前は人の家来だから、きびだんごの
 一つぐらいにはありつけるかも知れんが……」
「何を!」
悟空は如意棒をとりなおすと、
問答無用とばかりに躍りかかって来た。
が、黒ん坊は一陣の風と化して洞窟へ逃げかえると、
石門を堅くとざして、
どんなに挑戦されても出て来ようとしない。
悟空は仕方がないので、
またも空手のまま観音院へひきかえしてきた。
彼の姿を見た三蔵法師は大喜びであったが、
「袈裟はとりかえせなかったのか?」
ときいた。
「これをごらん下さい」

小妖怪から奪いとった招待状を袖の中からとり出すと、
「あの化け物とここの泥棒和尚はこの通り同志なんですよ」

黒人王から金池上人にあてた手紙をひろげながら、
三蔵はきいた。
「その化け物とお前と腕前はどうだね?」
「そうですね。残念ながら私の方が絶対に上だとは
 言えないかも知れません」
「この手紙を見ると、熊羆生と書いてあるから、
 この化け物は熊の精かも知れない。
 どうして熊が精になることが出来たのだろう」
「この私だって」
と悟空は笑いながら、
「もともとは猿の出身ですよ。
 ただ知恵と暴力を使って出世術道を驀進して、
 斉天大聖と謳われたまでのことです。
 怪物になるかならないかは
 要するに修行次第だと思いますよ」
「しかし、お前と互角の腕前だとしたら、
 どうしてあの袈裟をとりかえすことが出来るだろうか?」
「心配は要りませんよ」
と悟空は相変らず自信満々であった。
「腕は互角でも猿と熊では
 脳味噌の構造に違いがありますからね」

その夜、三蔵と悟空は焼け残った寺の建物の中で
床に就いた。
三蔵は盗まれた袈裟のことが気になって
なかなか寝つけない。
七転八倒しているうちに東の窓が白みかかってきたので、
「悟空や、早く袈裟をとりかえしに行ってくれ」
とそばでねていた悟空をゆり起した。

悟空がはね起きると、坊主たちも起き出してきて、
朝飯の用意をはじめた。
「お前たちはよおくお師匠さまのお世話をするんだぞ。
 では、お師匠さま、行って参ります」

出て行こうとする悟空の袖を三蔵はつかまえた。
「行って参りますって、どこへ行くのだ?」
「これからちょっと観音菩薩のところへ
 一走りして来ようと思うのです。
 お師匠さまの袈裟が盗まれたのも、
 もとを言えば、観音菩薩が自分の管轄下にあるこの寺に
 泥棒和尚をのさばらせたからです」
「行くのはよいが、いつ帰って来る?」
「なあに、朝飯前には帰って来ますよ。
 一番遅くとも昼前には帰って来ます」

そう言ったかと思うと、
悟空の姿はもうその場には見当らなかった。

間もなく悟空は、南海は観音菩薩の住む
落伽山へとやって来た。
見ると、雲の下に竹林が見渡す限り続いている。
その中に菩薩の幽居があった。
「菩薩にちょっとお目にかかりたいのですが……」

案内を乞うと、弟子たちが出て来て、
「おや、あなたは三蔵法師について
 天竺へ行ったのじゃないのですか?」
「だから、そのことでちょっとボスに相談があるのです」
「そうですか。ではちょっとお待ち下さい」

やがて奥から連れて来るようにと知らせがあった。
悟空が中へ入ると、観音菩薩は蓮台の上に坐っていた。
「私に相談とはどんなことだね?」
「ほかでもないが、
 私のお師匠さまはいまあなたの観音禅院にきています。
 あなたはそこで人々から線香を焚いてもらったり、
 お賽銭にあずかっているのに、
 近所に黒熊の精をのさばらせて、
 お師匠さまの袈裟を盗ませるとはどういうわけですか?」
「私が盗ませた?」
「泥棒が多いのは警視総監が税金ドロポーだから、
 というじゃありませんか?
 お賽銭をもらっている以上、
 責任もちゃんととって下さい」
「何を、呆け猿めが」
と菩薩は言いかえした。
「政府の法に服さない山城野盗が袈裟を盗んだことが
 この私と何の関係がある?
 もともとお前が師匠の袈裟を慾張りどもに
 見せびらかしたからこんなことになったのではないか。
 自分のことは棚にあげておいて、
 何でもかでも私に押しつけるなんてけしからん。
 私にお前が本当は何をしに来たか
 わからないとでも思っているのかね」

きいていると、
どうやらこの男とも女ともつかぬ怪物中の怪物は、
人の世の過去も未来も知り抜いている様子である。
脅迫では到底屈服しそうにないと見抜いた悟空は、
三蔵法師から習いおぼえた
泣きの一手を応用することにした。
「お願いでございます。菩薩さま」
と悟空は菩薩の前に膝をついた。
「実はあの化け物は
 かえせと言っても袈裟をかえしてくれないし、
 お師匠さまはお師匠さまで、私が悪いと言って、
 例の呪文をとなえて私を苦しめるのです。
 菩薩さまが手をよごしたくないお気持は
 重々わかりますが、どうか私を助けると思って、
 ひとつ手をかして下さい」
「手をかすってどうするのかね?」
「一緒に来て袈裟をとりかえしていただきたいのです」

涙を流さんばかりに頼むので、
多情仏心の菩薩は遂に心を動かされて、
「あの化け物はなかなか神通力があるから、
 お前ではどうにもならないかも知れない。
 三蔵法師の顔に免じて、私が一走りしてくるとしようか」

菩薩は蓮台から立ちあがると、
悟空と一緒に南海から一路黒風山へと向った。

2000-10-22-SUN

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