毎日読む小説「西遊記」
（邱永漢・著）
三蔵創業の巻
第五章　黄塵万里

第五章　黄塵万里

三　八戎の初功労

「大王のところへ行って、
　虎先鋒が坊主を一人
　つかまえて来ましたと報告して来い」

洞門へ着くと、化け物は門番に言いつけた。
やがて奥から中へ入るようにと伝えてきたので、
虎は三蔵を両手にかかえて、
黄風大王の前へすすみ出た。
「ご報告申しあげます。
　山中を巡視してまわっていたところ、
　三蔵法師とやらいう坊主をとらえましたので、
　夕食のお惣菜にでもと思って持参致しました」
「なに、三蔵法師？」
と黄風大王は驚いて言った。
「三蔵法師と言えば、西方へお経をとりに行く坊主だろう。
　その弟子に孫悟空という男はいなかったか？
「ええ、弟子が二人いました。
　一人は熊手を持った口のとがった男で、
　もう一人は鉄の棒を持った雷のような男です」
「そいつだ、そいつだ。
　チエがあって、力があって、とても手ごわい奴だそうだ」
「なあに、大した奴じゃございませんよ。
　私が“抜け殻戦法”をつかったら、
　簡単にひっかかってしまったぐらいですから。
　大王は安心してまずこの坊主から平らげて下さい」
「いやいや、食べるのはよいが、あとがおそろしい。
　四、五日様子を見て、
　もしあの弟子たちがさわがないようだったら、
　それからゆっくり堪能することにしよう。
　向うに連れて行け」

三蔵法師は金しばりにしばりつけられると、
裏へひき立てられて柱につながれたのである。

そんなこととは知らない悟空と八戒は、
虎が何かにつまずいて崖の前にかがみ込んだのを見たので、
悟空が鉄棒をふりあげて力任せに殴りつけた。
「アイタ」
と叫んだのは悟空白身で、見ると虎だと思ったのは、
石の上にかぶせた虎の皮なのである。
「しまった。うまくしてやられたぞ」

二人してあわててもとのところへ戻ってきたが、
三蔵の姿ははたして見当らない。
「どうしよう。師匠は捕らえられてしまったらしいぞ」

悟空が言うと、八戒は突然ぼろぼろと涙を流しながら、
「探しに行くとしても、これではどこか見当もつかないぞ。
　困った、困った」
「泣くことはないよ、八戒」
と悟空は八戒の方をむきながら、
「泣けば山の烏に笑われるばかりだ。
　それより一緒に探しに行こう。
　どうせこの山の中に違いはないんだから」

二人は丘を越え、崖を渡って、山奥へ入って行った。
森の中、石の間をぬって
谷川の流れおちる音がきこえて来る。
「やあ、あすこに化け物の住居らしいのがあるぞ」
「どれどれ」

見ると、崖の下に広場があって、
「黄風嶺黄風洞」と門前に大書されている。
「八戒、お前は馬と荷物を山の凹みに避難させて、
　しばらくかくれていてくれ。
　二人一緒に顔を出すよりその方がよさそうだ」
「わかったよ、兄貴。
　必要なときはいつでもとんで来るから
　大きな声で呼んでくれ」

八戒が荷物を担い、馬をひいて林の中へかくれると、
悟空は、穿いていた虎のパンティをボンと叩いて、
つかつかと洞門へ近づいて行った。
「やい、化け物」
と悟空は声を張りあげながら、
「俺の師匠をおとなしくかえすか、かえさねえか。
　あっさり出すなら、
　俺もこの洞門ごと叩きこわさないで勘弁してやるが、
　さもないと、虱つぶしにつぶしてくれるぞ」

それをきいた小妖怪がびっくりして奥へとんで行った。
「大へんです、大へんです。
　雷のような顔付をした男が
　門前にやってきて怒鳴っています」
「だから言わんこっちゃない」
と黄風大王は虎先鋒をよびつけて、
「俺はお前に野牛か猪か鹿でも
　つかまえて来いと言ったのに、
　要らんこと坊主をひっばってくるから、
　こんなことになってしまったじゃないか」
「大王、ご心配になるほどのことはありません。
　私に兵隊を五十人ほど貸してくだされば、
　ついでに彼奴も生捕りにしてご覧に入れます」

虎先鋒は五十人の小妖怪を選び出すと、太鼓を鳴らし、
旗をふりながら、威風堂々と洞門から出て来た。
「やい、そこでわめき散らしているのはどこの小僧だ？」
「何を、敷物野郎！　
　俺の師匠をかっさらって行っておいて、
　どこの小僧もないだろう」
「いかにもお前の師匠をかっさらったのはこの俺だ。
　一人では俺の親分の食卓が淋しすぎると思って、
　わざわざ、おいで下さったというわけだな？」
「だまっておれば、大きな口をききやがる。
　さあ、そこを動くな」

悟空はギリギリと歯を鳴らしながら、
如意棒をふりあげると、
ジリジリと相手に近よって行った。
虎先鋒は両方の手に一ふりずつ大太刀をふりかざして、
相手の隙をねらっている。
「えいっ」
「やあ」

辛うじて如意棒を受けとめたものの、
化け物は五、六回も打ち合いをしているうちに、
すっかりへとへとになった。
しかし、さっき洞門の中で大言壮語した手前、
おめおめと逃げかえることも出来ない。
化け物は如意棒を巧みにかわすと、
洞門と反対の方向へ向って駈け出した。
「やい、待て」

悟空はおくれじとあとを追って行く。
「待て、待てえ……」

その叫び声をきいて、八戒が顔をあげると、
化け物がこちらに向って駈けてくる。
八戒はたづなを放すとすぐ熊手をもちなおして構えた。
「えいッ」

うしろにばかり気をとられていた化け物は、
「あッ」
と叫ぶ間もなくその一撃でぷっ倒れたのである。
見ると、それは鮮血に染った一匹の老虎であった。
「八戒。出かしたぞ」

あとから追いついて来た悟空が言った。
「師匠の行方はわかったかい？」
「うむ。あの洞窟の中にとじこめられているらしい。
　こいつの上にまだ何とやらいうボスがいるらしいんだ。
　俺がもう一度、行って挑戦して見るから、
　お前はここで待っていてくれ」
「よし、よし。その化け物の親分をおびき出して、
　もう一度、こっちへ追って来てくれ。
　俺がこの熊手でもう一かきかいてやるから」

思わね手柄を立てた八戒は、
鼻をピクピクと動かして上機嫌である。

悟空は死虎を片手でひきずると、
再び黄風洞へとやって来た。

2000-10-28-SAT

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