毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
三蔵創業の巻 第六章 三蔵部屋の誕生 |
四 メリイ・ウイドウ 紅い葫蘆を恵岸へかえし、 観音菩薩の高恩を謝した一行四人は再び道を西へとった。 その年も無事にすぎて、 また百花咲き乱れる春がめぐってきた。 或る日、野道を歩いているうちに日が暮れかかってきた。 「どこにも家らしいところが見当らないようだが、 今夜はどこに泊ったものだろうか」 三蔵がつぶやくともなくつぷやくと、 悟空がその言葉尻をとらえて言った。 「お師匠さま。出家は風を食べ水に宿り、 月に臥して霜に眠ると申すじゃありませんか。 何故、家のことを心配なさるのです?」 「兄貴」 とそばから八戒が口を出した。 「何故家の心配をするのかわからないのなら 教えてやろうか。 家を探すのは第一に飯にありつくためで、 第二に落着いて眠るためさ」 「そんなことぐらいわかっているさ」 と悟空も負けずに言いかえした。 「お前の口ぷりから察するに お前は高老荘が忘れられんのだろう。 出家とは家を出ると字にも書く通り、 家のことは忘れてしまうものだ」 「家のことよりも、俺のこの肩の荷物を見てくれ」 と八戒は言った。 「これだけの荷物を背負って、 雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズスタコラスタコラと テクシーで行くんだぞ。 俺がだまっているのをいいことにして、 俺にばかり重労働を押しつけるじゃないか」 「お前、誰に話をしているんだ?」 「もちろん、兄貴にだよ」 「そいつはお門違いだ。 お前と沙悟浄は荷物と馬の世話をやる、 その代り俺はお師匠さまの面倒を見る。 お互いに分業をやるのが資本主義社会の常識じゃないか」 「そんなことは俺にもわかっている。 兄貴が管理職にありついて労働組合から抜けて以来、 つらい仕事は皆我々に押しつけて、 自分は絶対にやる気がないことも 俺はちゃんと見抜いている。 しかしだ、お師匠さまの乗っているあの馬、 あんなにまるまると肥って元気のよさそうな馬に、 お師匠さま一人だけをのせるという手はないだろう」 「何を言い出すのかと思ったら、 馬に肩代りをさせようという肚か。アッハハハ……」 と悟空は笑いながら、 「あの馬は同じ馬でも荷物を運ぶ駄馬じゃないぞ。 姿こそ馬になっているが、 もともとは西海竜王の三太子だ」 「そいつは本当かね?」 「俺が嘘をいうものか!」 「しかし、それにしては バカにのろのろと歩いているじゃないか。 本当の竜馬なら、一日に千里は走りそうなものだ」 「お前がそれを見たいのなら、見せてやろうか」 悟空は耳の中から如意棒をとり出すと、 指先でグルグルと回転させながら、 馬の尻ッベたを軽く叩いた。 「ヒヒヒーン」 と声高くいななきながら、 三蔵を乗せた馬は迅雷の勢いで駈け出した。 「それッ、続け」 馬上の三蔵法師は馬からふりおとされまいとして、 必死になってしがみついている。 馬は馬上の人におかまいなく、山道を駈けあがり、 崖をのぼりつめてからやっと速度をおとして並足になった。 見ると、松の木蔭に家の屋根らしきものが覗いている。 近づいてよくよく見ると、 山を背に松や竹に囲まれた美しい邸である。 「お師匠さま。お怪我はありませんでしたか?」 あとから追いつめた悟空がきいた。 「バ力猿め! 私が下手糞の騎手だったら、今頃はもう極楽浄土だよ」 「私じゃなくて、八戒の奴が悪いんです。 馬の足がのろいと言って文句をつけたのは 奴なんですから」 そう言っているところへ荷物を背負った八戒が フーフーと息せききって追いついてきた。 「やれやれ、えらい目にあった。 馬は見えなくなるし、肩の荷は骨の中にめり込むし……」 「ごらんよ。あすこに家が見えるじゃないか!」 と三蔵は言った。 言われて三人の弟子が一せいに顔をあげると、 なるほど立派な建物が建っている。 一行は疲れを忘れて、邸へ通ずる道を登りはじめた。 「こいつはきっと金持の邸宅に違いないぞ」 と八戒が言った。 「俺が行ってきいてみよう」 と悟空が中へ入ろうとすると、三蔵がひきとめた。 「待て待て、 我々出家は遠慮ということを知らねばならない。 向うから人が出て来るまでここで待つことにしよう」 八戒は馬をつなぎ、三蔵はそばの石に腰をおろし、 四人して家の中から人が出て来るのを 今か今かと待ちかまえたが、 いくら待っても人の出て来る気配は見えない。 しびれをきらしたセッカチ猿はぴょんと塀をとび越えると、 庭の中へ入って行った。 見ると、南に面して広々とした部屋が三つあり、 入口に「寿山福海」と横額がかかっている。 両方の柱には紅い地に金泥の色も美しく、 絲飄弱柳平橋晩 雪点香梅小院春 と書かれていた。 悟空が庭へ入ると、 物音をききつけて一人の中年の女が 小走りに走り出て来た。 「どなたでございますの? だまって人の家の中へ入って来たりなさるのは」 「やあ、どうも失礼致しました」 と悟空はあわてて頭をさげた。 「私どもほ旅の僧でございます。 一行四人、一夜のお宿をおかりしたいので ございますが・・・・。」 「まあ、旅の和尚さんでごぎいますの」 と女はあだっぽい声で言った。 「ほかのお方はどちらにおいででございます? どうぞお入りになって下さいませ」 「ハイ、どうもあり難うございます」 悟空がよびに戻ると、三人は喜んで家の中へ入ってきた。 見ると、出て来たのは女だったので、 八戒は忽ち目を皿のように輝かした。 もう中年ではあるが、 絹の着物に刺繍をほどこしたモダンな靴、 流行の尖端を行く髪形に、金の簪、 話をする度に揺れる耳飾り、白粉をぬり立てなくたって、 結構まだまだ使いものになる女であった。 「さあ、見苦しいところでございますけれど、 どうぞお入りになって下さいませ」 見苦しいどころか、旅に出て以来、 こんな豪華な邸に通されるのははじめてである。 すぐお茶の用意がされて、 四人はそれぞれ椅子につかされた。 「まことに恐縮ですが、 ここは何というところでございましょうか?」 と三蔵がきいた。 「ここは西牛賀洲でございますの」 と女は尋ねられもしないのに、 自分からすすんで身の上話をはじめた。 「私は賈という姓でございますが、主人は莫と申しますの。 この通り家屋敷も田畑も、 まあ、何不自由ないだけのものは揃ってございますが、 主人との問に娘が三人生まれただけでございましてね、 ええ、その主人も先年なくなってしまいましたわ。 今年ようやく喪もあけまして、 どこかへまたお嫁に参りましょうかと 思っておりますのですけれど、 何せ家業や娘をほって行くわけにも参りませんのでね。 そこへちょうど、 四人さんでお見えになられたのでございますから、 これも何かのご縁でございますわね」 三蔵は耳に栓をしてきこえないふりをしたが、 八戒はピクピクと耳を動かしてきき入っている。 |
2000-11-02-THU
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