毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第一章 まあまあ、丸く

一 顔を借りる

孫悟空は考え込んでしまった。
一たん根を枯らしてしまった人蔘樹を
もう一度生きかえらせることは、
つぶれた会社に会社更生法を適用してもらうのとは
わけが違う。
「なあに、大丈夫だ」
と胸を叩いて見せたものの、
実のところてんで自信がなかった。
「悟空や。どこへ行って誰に頼むつもりかね?」

縄を解いてはもらったが、
枯木に花を咲かせるまでは人質にされるので、
三蔵法師は心配でたまらない。
「わからなかったら海の向こうへききに行けと
 いうじゃありませんか?」
と悟空は考えた。
「これから東洋大海を渡って、
 三島十洲を隅々まで尋ね歩いてみますよ」
「何日ぐらいかかるかね?」
「三日もあれば十分だと思います」
「それじゃ三日以内に帰ってくるんだよ。
 三日たっても帰って来ないようだったら、
 私も身のふり方を考えなけれはならんからね」
「ハイ、わかりました」

悟空はすぐに出発の用意をすると、
鎮元大仙に向って言った。
「なあ、先生。俺はこれからちょっくら出かけてくるから、
 お師匠さまの世話を頼みますよ。
 万が一、留守中に虐待したりしたことがわかったら、
 もちろん只ではすみませんぜ」
「そのことなら儂がひきうけたよ」

鎮元大仙がうけあってくれたので、
悟空は斗雲に乗って五荘観をとび出すと、
あっという間に東洋大海を横断して、
東の涯の蓬莱仙境へとやって来た。

ここは金波銀波の洗う常緑の島。
雲や霞に包まれた島の美しさは、
玉帝の付なる王母娘娘も時々遊びに来るところだけあって、
さすがに世外桃源の趣きがある。

空からとびおりた悟空は、島の中の一本道を歩きはじめた。
しばらく行くと、白雲洞というところがある。
洞窟の前には松林があって、
見ると木の下で福星と禄星の二人の老人が碁を打っている。
一人は既に髭の毛が薄れてちらほらと頭の皮膚が見えるが、
目尻がさがっていて
見るからに人が好さそうな爺さんである。
この爺さん、ふだんはまことに好々爺だが、
囲碁の形勢が悪化すると、
今までさがっていた目尻を俄かにつりあげるので、
かねてから「イカリの福星」という綽名がある。
向いあったもう一人は年齢不明国籍不明、
髪の毛は妙に房々としているが、
顔の表情が七面鳥のように千変万化で、
布陣の如何によって赤くなったり青くなったり、
石を持つ手の動きより
心理作戦をねらった口の動きが早いので、
ふだんから「ボヤキの禄星」と異名をとっている。

イカリの福星は一病息災という奴で、
身体は弱いがそのためにいついつまでも長生きし、
至って子煩悩、ポヤキの禄星は話上手で
時々高座から巧みな話術で民衆を煙に巻いたりするが、
自分では労力と時間の浪費だったとうそぶく。
しかし、実際には莫大な利益をあげて
白雲洞の中に立派な書斎をたて増すという金儲け上手。
共に世事から超然として一見勝敗には
至って恬淡なようだが、こと碁のことになると、
決してあとへひかない執念深さがある。

もう一人、そのそばで、観戦をしているのが寿星である。
寿星はその名前に反して年が若く、
容貌挙動いずれも至って子供っぽいが、
自分では「年をとった年をとった」というのが口ぐせで、
人から寿星翁と呼ばれて至極ご満悦。
無類の酒好きで、近頃はありとあらゆる仕事を断って、
もっばら観戦記だけかいているが、
血圧が思わしくないというのに、
奥さんを杖代りに連れ歩いて
相変らず酒だけはやめようとしない。
岡目八目といって、大体、そばで見ていれば、
対局者の気づかないことに気づくのが当り前だが、
だまって観戦記だけ書いておれば、
さも強そうに見えるものを、これまた見るに見かねて、
ついちょっかいを入れて、とんだ馬脚を現わす。
世間の人はそんなこととは知らないから、
蓬莱島の仙人たちは世外桃源をたのしんでいるように
錯覚しがちだが、なかなかどうして、
実際に暴力をふるってつかみ合いこそしないが、
つかみ合いしかねまじき緊張した場面が
展開されることしばしばなのである。

孫悟空が白雲洞へ呪われたのは、ちょうど、
そうした緊張した場面が展開されている最中であった。
暴力沙汰になったら大へんだとハラハラしていた寿星は、
悟空を見ると、
「やあ、珍しい人がやって来たぞ」
と言って立ちあがった。

福星と禄星が顔をあげて見ると、
何百年ぷりにそこに悟空が立っている。
お互いにいい口実が出来上ったので、
三人は碁盤をかたづけて、悟空を迎え入れた。
「今時、突然おいでになったのはどういうわけですか?
 何か特別のご用事でも?」
「いや、仲間に入れてもらおうと思って来たんだよ」
と、かつて天界でお前、俺の仲間だった悟空は答えた。
「しかし、大聖はこの頃、
 西方へお経をとりに行く唐僧のお供をして
 なかなか忙しいそうじゃないですか?」
と消息通の寿星がききかえした。
「実はそのことで、
 ちょっと困ったことが起ってしまったんです。
 それであなたたちに一肌脱いでいただきたいと
 思ってきたんだが」

そう言って、悟空は万寿山の話をはじめた。
「万寿山の五荘観といえば、
 鎮元大仙の仙宮のあるところじゃありませんか?」
と三人の老仙人は驚きの表情を見せながら、
「まさかあんたは
 人蔘果を盗んだわけじゃないでしょうな?」
「ハハハハ……」
と悟空は笑いながら、
「ちょっと失敬することは失敬したが、
 話にきいていたほどうまいものではなかったよ」
「あきれたドロポー猿だ」
と三人はびっくりして、
「あれは匂いをかいだだけで三百六十年は長生きをする、
 一つ食べたら四万七千年生命がのびるという
 天下の珍果だ。
 あれを育てあげたおかげで、
 鋲元大仙は我々よりもまだ勢力のある
 宇宙の実力者になったんですよ」
「ところが、その人蔘樹を俺が根こそぎにしてやったんだ」
悟空が人蔘樹をひきぬいた経過を喋ると、
三人の仙人はますますあきれて、
しばらくは物も言えないでいた。
「大へんなことをしてしまったものだ」
とややあって寿星が言った。
「あなたも私たちも神仙の仲間だが、
 あの鎮元大仙は地仙の元祖で、
 耗々の実力ではとても太刀打ちの出来る相手でない。
 もしあんたが鳥や獣を打ち殺したのだったら、
 私の持っている黎米丹で生きかえらせることが出来るが、
 あの人蔘果では手のくだしようがない。
 折角だが、ここにいる三人の力ではどうにもならないよ」

それをきくと、
悟空はしかめッ面をしたまま黙り込んでしまった。
「我々ではどうにもならないけれど」
と人の好い福星は、
「よそへ行けはいい処方があるかも知れない。
 そんなに考え込むことはないじゃありませんか?」
「もちろん、そうすりゃいいことぐらいは俺も知っている。
 海角天涯、さては三十六天のすみずみまで行くことは
 そんなに難しいことではないが、如何せん、
 俺んとこの師匠は尻の穴が小さくて、
 三日しか待てんというんだ」
「そんなことを言ったって
 出来んものは仕方がないでしょう」
「ところがそぅすると緊箍児経という手が向うにはある。
 あれをとなえられると、
 俺は頭を抱え込んでしまうんだよ」
「アッハハハハ……」
と今度は三人が腹を抱えて笑い出した。
「世の中はうまく出来たもんだ。
 もし緊箍児というクサリがなければ、
 あんたはとっくの間に
 雲がくれしてしまっているだろうからな」

何と言われても、救いを求める身だから、
悟空は腹を立てるわけには行かない。
「まあ、そう心配するほどのことでもないよ」
と福星が言った。
「鎮元大仙とは満更面識のない仲でもないのだから、
 我々がこれから行って何とかとりなしてさしあげよう。
 我々三人が行けば、いくら大仙でも
 我々の顔を立ててくれるだろうし、
 三蔵法師も三日や五日は期限を猶予してくれるだろう」
「そうしてくれると、オンの字だ。頼む。頼みます」

現金なもので、俄かに元気をとりもどした悟空は、
三星を拝み倒すと、自分は雲に乗って、
また別のところへとびたって行ったのである。

2000-11-11-SAT

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