三 竹のカーテン
さて、悟空を追放した三蔵法師は八戒を先頭に、
沙悟浄をうしろに従えて、白虎嶺を越えた。
このあたりは一面松林の繁る密林が続いている。
行けども行けども道らしい道はなく、
八戒は手に持った熊手で、松の技をなぎ倒し、
草や潅木を払いのけながら少しずつ前進して行く。
畑をおこすには自信のある八戒も
さすがにへとへとになった。
「八戒や」
と三蔵法師がうしろから声をかけた。
「一日中、何も食べないで、お前、腹は空かないのか」
言われた途端に八戒は全身から力が抜けてしまった。
「それを今、言うのは罪ですよ」
「いや、実は私も腹ペコなんだ。
お前、どこかへ行って
食べ物を恵んでもらって来てはくれぬか」
「お師匠さま」
と八戒は熊手を投げ出して言った。
「まあ、馬から下りてしばらく休憩をしていて下さい。
私がどこかへ行って食べる物を探して来ますから」
「どこかって、どこへ行く?」
「どこだろうとかまわないじゃありませんか。
食べ物さえ手に入れてくればいいのでしょう?」
八戒は再び熊手を肩にかつぐと、
西の方へ向ってとぼとぼと歩き出した。
どのくらい歩いただろう。
しかし、遠くで狼の吠える声がきこえるだけで、
どこにも人家の煙らしきものは見当らない。
「やれやれ。とんだことになってしまったものだ」
と八戒はぶつぷつ言い出した。
「悟空がいた時分は、うちの師匠が飯といえば飯、
茶といえば茶、障子やフスマは近づくと
ひとりでに開くものと思っていたが、
さて、自分が家計を受持って見ると、
今更のように米や薪の高いのが身にしみるな。
子を持って知る親の恩か。
つまらぬことになったものだ。
前のように月給袋のまま女房に渡して、
飯がまずいの、 サービスが悪いのと
文句を言っていた方がよかったなあ」
腹は減るし、瞼は重くなるし、
といって空手で帰って行くことも出来ない。
「俺がもしこのまま帰って行ったら、
師匠は俺がこんな遠くまでやって来たと言っても
ウソだというだろう。
どうせ信じてくれぬのなら、
この辺で少し道草でも食った方がとくだ。
ああ。女と睡魔には全く勝てないな」
ひとり言を繰り返しているうちに、とうとう瞼が重なって、
八戒は草農の中でねこんでしまった。
そんなこととは知らない三蔵と沙悟浄は
林の中で待っていたが、
待てど暮せど、宵待草のやるせなさである。
「八戒はどうしてこんなに遅いんだろうな」
「本当ですね」
と悟浄もイライラしながら言った。
「きっと西方では坊主にお布施をする人が多くて、
八戒は腹がふくれるまで食べているのですよ。
彼奴は食前食後に駅弁などを食べる習慣があって、
駅の弁当売りが皆顔を覚えているくらいですから」
「そういえば八戒を使いに出したのはまずかったな。
彼奴の帰りを待っていたら日が暮れてしまうかもしれん」
「私が行って探して参りましょうか?」
「そうだ。その方がいい。
食べ物があろうとなかろうと、
かまわないから見つけたら、
ひっぱってかえって来ておくれ」
沙悟浄が手に宝杖を握って松林を出ると、
三蔵はしばらくの間、おとなしく坐っていたが、
やがてそれにもあきあきしてひとり立ちあがった。
ちょっとその辺を散歩して見ようと思いながら
歩きだしたが、草が深くて東も西もわからない。
林を出て咲き乱れた野花に見とれているうちに、
いつしか夕空が赤く輝き出した。
ふと顔をあげると、
遠くにキラキラと光っているものがある。
よくよく見ると、
それは夕日に照り映えた黄金色の塔らしかった。
「あれはどこかのお寺らしいぞ。
八戒や悟浄はどこへ行ったのだろう。
実直ぐあすこへ行けば、ご飯や茶にありつけたのに、
よくよく仏様とは縁のない奴等だな」
三蔵は馬や荷物を林間に残したまま、
塔の方向へ向って歩き出したり渓流にかかった橋を渡り、
坂を登ると、塔門の下へ出た。
見ると竹簾がかかっているだけで、人の気配は見えない。
三蔵は竹簾をあげろと、そっと中を覗いたが、
思わず、あッと叫びそうになった。
そこには白い牙の生えた化け物が、
黄色い衣を着たまま石の寝床の上でねむっていたのである。
三蔵は人の気配を感じなかったが、
妖魔はすぐに人の気配を感じた。
ギラギラとした目を物憂そうにひらくと、
「おい。門のところに誰か来たらしいぞ。行って見て来い」
小妖怪どもは走って行ったが、やがてすぐ戻ってきた。
「大王。申しあげます。
そとに坊主らしいのが一人やって来ています。
見かけはゲイ・ボーイのようですが、
若鶏のように嫩かそうな肉付きです」
「ハハ……」
と妖魔は笑いながら、
「とんで火に入る夏の虫とはこのことだ。
お前たち、急いでつかまえて来い」
さっきから三蔵法師は
夢中になって逃げ出そうとしていたが、
心があせるばかりで足が言うことをきいてくれない。
転がるように走っている中に
忽ち小妖怪に頼りかこまれてしまった。
「大王。坊主をとらえて参りました」
むくむくと起き出した妖魔が目をひらいて見ると、
なるほど眉目秀麗な青年僧が入口のところに控えている。
「ここへ連れて参れ」
「ハイ、只今」
小妖怪どもにひき立てられて、
青年僧は妖魔のそばへ近づいて来た。
「お前はどこの誰だ。
何用あって俺のところへやって来た?」
「ハイ、私は大唐長安国の三蔵法師と申すもので、
大唐皇帝の勅命により
西方へお経をとりに参るところでございます。
途次、宝堵が見えましたので、
お参りしようと思ってお寄りしたのです」
「ハッハハハ……」
と妖魔は笑いながら、
「ちょうどいいところへ来てくれた。
俺は昨夜も人間ステーキの夢を見て
涎を垂れていたところだ」
妖魔は三蔵を柱に縛りつけると、手に大刀を握ったまま、
「おい。お前はほかに何人連れがある?
まさか一人で西方極楽へ行くほど
生命知らずじゃあるまい」
「ハイ、私には猪八戒と沙悟浄という
二人の弟子がございます。
只今、托鉢に行っておりますが、
ほかに松林の中に馬と荷物をおいてあります」
何という正直者だろう、
と妖魔はあきれたように目を丸くした。
人間は性来、嘘つき揃いだとばかり思っていたが、
一銭の収入まで青色申告するバカ正直者があろうとは!
しかし、正直者だからといって
税務署が税金を負けてくれないように、
妖魔が三蔵を釈放してくれるわけはなかった。
「大王。その弟子どもも捉えてまいりましょうか?」
と小妖怪が言った。
「いや、それには及ぶまい」
と妖魔は無気味な笑いを浮べながら、
「奴ら帰って来て坊主が見当らなければ、
ここへやってくるだろう。
むかしからとび込んできた商人は崩しやすい、
というじゃないか。
こちらから出て行くより門をしめて待つに限る」
妖魔は家来に命じて洞門の扉をしめてしまったのである。
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