二 八戒のラッパ
驚いたのは三蔵法師である。
「いえ、いえ、私は念仏を唱えることは出来ますが、
妖魔と対決するなんて滅相もございません」
「妖魔を退治することも出来ないで、
どうやって西方まで行くのです?」
と国王はききかえした。
仕方がないので、三蔵法師は
二人の弟子に護られてやっとここまで辿りついたのだ
と打明けざるを得なくなった。
それをきくと国王は、
「あなたも話のわからない人だ。
弟子が二人おられるのなら、
どうしてここへ連れて来ないのです?
一緒にお連れになれば、たとえ勲章をさしあげなくとも、
ご馳走ぐらいは致しますよ」
「ええ。でも私の弟子は二人とも容貌魁偉、
とても陛下の御前にお連れすることは出来ないのです」
「ハハハ……」
と国王は笑いながら、
「そう言われると、ますます顔を見たくなったな。
容貌魁偉とはどんな顔立ちだね」
「一人は猪八戒と申しまして、
その名の通り口は豚のように長く、
髪の毛はブラッシのように逆立ち、
耳は扇のように大きく、
のそりのそりと歩くだけで風が起ります。
もう一人は沙悟浄といって身の丈一丈二尺、
顔は藍色で口は血を盛った皿のよう、
目は燃える火のようで、
歯は釘をズラリと並べたようです。
こんなお化けのような弟子を連れて御前へ
まかり出るのは大へんおそれ多いことと存じます」
「何。かまうものか。早速、使いをやって呼んで参れ」
宮中から使いの者が来ると、八戒はすぐに言った。
「これはきっと親書の威力に違いない。
親書を見れば、国王はうちの師匠を国賓として遇するよ。
何しろ近頃は招待外交ばやりで、
どこの国でも悪口を言われないために
特別予算を沢山組んでいるからな」
「待て待て。喜ぶのはまだ早すぎるぜ」
沙悟浄は馬と荷物を宿にあずけると、
それぞれ護身の武器を手に手に使者のあとに従った。
二人が宮殿の中へ入ると、文武百官は驚いて、
ひそひそとささやきあっている。
八戒も負けてはおらず、
「皆さん。何も驚くことはないじゃありませんか。
醜い醜いとおっしゃるけれど、
よおくごらんになって下さい。
床の間の狸の置物と猪八戒の顔は、
見れば見るほどあきの来ない面ですぜ」
国王はさっきから戦々兢々としていたが、
猪八戒の言葉をきくと、怖いやらおかしいやらで
危うく椅子の上からころげおちそうになった。
そばにいた侍従官があわてて扶け起したから
いいようなものを、
でなかったら壇の下までころげおちたかも知れない。
「とんでもない粗忽を致しまして」
色を失って三蔵法師は国王の前にひざまずいた。
「あなたからきいていたからよかったが、
でなければ、私は卒倒したかも知れませんよ」
国王は落着きをとり戻すと、
「ところで、二人の長老の中
どなたが妖魔を退治出来るのですか?」
八戒は話の内容もきかないうちに早合点して、
「そいつは私にお任せ下さい」
さも自信ありげに胸をたたくので、
「どうやって退治するのかね?」
「こう見えても、私はかつての天蓬元帥です。
堕落して今は人間世界をさまよっていますが、
東土からここまでお師匠さまを護って来たのは
この私でございます」
「天界の元帥であれば、さぞかし変化自在でしょうな」
「いやいや、自慢するほどの腕前ではありませんよ」
「そう謙遜なさらなくともいいでしょう。
試みに化けて見せてくれませんか?」
「何なりとお望みのものがあれば」
「じゃ大入道になることが出来ますか?」
猪八戒は悟空の前では小さくなっているが、
悟空のいないところではそう捨てたものでもない。
階前に立って口に呪文を唱え、
「えいッ」と腰を一ひねりすると、
忽ち八、九丈の高さになった。
驚くまいことか。
居並ぷ群臣は腰もぬかさんばかりに呆然としている。
「大したものだ。この調子なら、どこまで届くことだろう」
鎮殿将軍が勇気をふるいおこして叫ぷと、
「何、大したことはありませんや。
虚空に大穴を一つあける程度です」
「いや、もうたくさんだ」
と国王はすっかりあわてて
「あなたの神通力のほどはわかりましたから、
もとの姿に戻って下さい」
八戒はまた腰をひねると、もとの姿になって階前に立った。
「で、妖魔を退治するにはどういう武器を使うのです?」
八戒は腰にさしていた熊手を手にとると、
「これでございます」
「いやはや」
と国王は笑いながら、
「私のところには、簡、鎚、鎗、斧、戟、鎌、
何でもありますよ。熊手は田圃を耕すもので、
とても戦争には使えますまい」
「陛下はご存じないからそうおっしゃるのです」
と八戒はむきになって言った。
「私のこの熊手は
平和と労働のシンボルのように見えますが、
いざとなれば絶好の武器に早変りするのでございますよ。
天の河の水師提督をやっていた時分だって、
この熊手一本で八万の水兵を指揮しましたし、
ここに至る道々、虎や狼をやっつけるのも、
この一本で十分、間に合ってきました」
それをきくと国王はいたく喜んで、
早速、後宮に、酒をもって来るようにと命じた。
酒が杯に満たされると国王は、
「さあ。長老。
この杯を飲みほしてから出かけて下さい。
無事、娘を連れ戻してくれれば
必ず十二分のお礼を致します」
杯を両手に受けとった八戒は、
根は慾探く出来ているが、
物の順序はよく心得ていると見えて、
そのまま三蔵法師の方へ向きなおると、
「お師匠さま。このお酒は本来なら
お師匠さまがいただくべきものですが、
陛下がそう申されますので、私がお先にいただきます」
グッと一気に飲みほすと、
空になった杯を三蔵の前にさし出した。
「いや、私は酒はいただきませんから、
沙悟浄にあげなさい」
沙悟浄が酒を注いでもらっている間に、
八戒のまわりには見る見る雲が集まり、
やがて熊手を握って仁王様のように胸を張った八戒を
上空へと押しあげはじめた。
「やあやあ。猪長老は雲に乗ることも出来るんですな」
国王が感心して見ていると、
酒を飲み終った悟浄が三蔵の耳もとにささやいた。
「お師匠さま。あなたが黄袍怪につかまっていた時、
私たちは二人で力を合わせて戦いましたが、
互角に持ち込むのもやっとでした。兄貴ひとりだけでは
とても太刀打ちが出来ないと思います」
「そうだ。お前も一緒に行って助太刀してやるがいい」
言われて沙悟浄がまたしても雲に乗ると、
国王はびっくりして三蔵の袖をつかまえ、
「長老。あなたはここにいて下さい。
あなたまでとんで行くと私は心細くなってしまいます」
「ご心配にならなくとも」
と三蔵は長大息しながら、
「私も陛下と同じようなナマ身の人間にすぎないのです。
だからああいう離れ業は残念ながら出来ません」
さて、
あとからとび立った沙悟浄は
間もなく猪八戒に追いついた。
「おや。何しに来たんだ?」
と八戒はふりかえってきいた。
「兄貴の助太刀に行けと言われてきたんだよ」
「そうか。そうか」
口では偉そうなことをいったものの、
一人ではおっかなびっくりだった八戒は喜んで、
「二人で力を合わせて、
あの妖魔を生けどりにしてやろうじゃないか。
この国で名前を売る絶好のチャンスだぜ」
程なく目的地に着くと、八戒は熊手をとりなおして、
力任せに波月洞の洞門をひっかいた。
石で出来た頑丈な洞門も八戒のバカ力で
いくつも穴があいてしまった。
「大へんです。この間の坊主がまた二人してやって来て、
洞門を壊しにかかっています」
「何。猪八戒と沙和尚がやって来たと」
と黄袍怪は驚きの色をなして、
「俺は奴らの師匠を見逃がしてやったのに、
何だってまた俺の門を破りに来たんだろう」
「何か忘れ物でもしたのかも知れません」
「阿呆抜かすな。
忘れ物をとりに来る奴が、門を壊すものか」
妖魔は急いで武装を準えると、大刀をふりかざして、
門のところへ出て行った。
「こら。小僧。
俺はお前たちの師匠の生命を助けてやったのに、
何だってまた俺の門を壊したりするんだ?」
「人に売った恩はよく覚えていると見えるな。
アッハハハ……」
と八戒が笑った。
「何だと?」
「宝象国の第三王女をさらって来て、
恩をかけているのもお前だそうじゃないか。
何をかくそう。
国王に頼まれて誘拐犯をつかまえに来たんだ。
悪いことは言わねえから、さっさと自分で
奥へひっこんで縄をかけて出て来るがいい」
無礼千万な八戒の挑戦をきくと、黄袍怪の怒るまいことか。
歯ぎしりをしながら、グッと目をむいた妖魔は
手に握った大刀をふりあげるや、
八戒めがけておどりかかってきた。
八戒は素早く身をかわすと、熊手で応戦する。
沙悟浄が宝杖片手に横から打ってかかる。
今度の戦闘は両方とも本気だから、前回とはわけが違う。
追いつ追われつ、およそ八、九回も打ち合っているうちに、
八戒はだんだん息がきれてきた。
「おい、悟浄。すまんが、ちょつと代ってくれぬか。
俺は小便がしたくなったよ」
いうなり八戒はいきなり駈け出してしまったので、
沙悟浄も一緒になって逃げ出そうとしたが
一瞬早く妖魔に襟首をつかまえられて、
そのまま洞門の中へひきずりこまれてしまった。
「こいつをしばっておけ」
妖魔が命ずると、小妖魔はよってたかって
悟浄をがんじがらめにしばりあげてしまったのである。
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