三 巻返し戦術
さて、沙悟浄をしばりあげはしたものの
黄袍怪は殺そうともしなけれは、殴ろうともせず、
悪口すらも浴びせようとしない。
「三蔵法師は文明国の人間だから、
少しは礼儀をわきまえているはずだ。
俺が生命を助けてやったのに、
逆に俺をつかまえに来るとは
ちょっと常識では考えられん」
妖魔はしばし考えあぐんでいたが、
「うむ。そうだ。これはひょっとしたら、
女房の仕掛けたワナかも知れんぞ。よおし」
血相を変えた妖魔は女房の部屋へとびこんで行った。
鏡に向って髪を梳いていた王女は
鏡に映った妖魔の形相を見ると、
急に笑顔になってうしろをふりかえった。
「まあ、そんな怖い顔をして、どうなさったの?」
「どうもこうもあるものか」
と黄袍怪は怒鳴りかえした。
「お前のような毒婦には会ったことがない。
お前がどんすを着たり、
ダイヤを身につけたり出来るのも誰のおかげだ?
欲しいものは何でも手に入れてやっとるのに、
それでもまだ満足しないのか」
凄まじい勢いに圧倒されて、
王女は思わず良人の前に両膝をついてしまった。
「今日に限って、
あなたは何でそんな薄情なお話をなさるの?」
「俺が薄情か、お前が薄情か、天知る地知る人は知るだ。
お前が俺に相談しないで、
あの糞坊主を逃がしてやった理由がやっとわかったぞ。
お前はあの糞坊主に手紙をことづけたのだろう?」
「まあ、何のことなんですの?
私には何のことだかさつばりわかりませんわ」
「しらをきるのもいい加減にしろ。
お前が何をやったか、ちゃんと証人がいるぞ」
「証人ですって?」
「唐僧の二番弟子の沙悟浄だ。
お前が白状しないなら、俺が実証して見せてやる。
俺はこれでも探偵小説は沢山読んでいるんだから」
王女の顔が青ざめた。
しかし、いくら追いつめられたからとて、
いや、追いつめられれば追いつめられるほど、
自分の罪状を素直に認める気になるものではない。
「そんなに怒ることはないわ。
証人がいるのなら、ちょうどいいじゃないの。
これから私と一緒に証人のところへ行って
きいて見ましょう。
もし本当に私が手紙を書いたのなら、
私は殺されてもいいわ」
「よし」
妖魔は王女の髪の毛をやにわにふんづかまえると、
沙悟浄の前までひきずって行った。
「やい。坊主。お前たち二人がここへやって来たのは、
この女がおやじのところへ手紙を出したからだろう。
それで国王がお前たちをここへよこしたのだろう」
相手が八戒でなくて悟浄であって何よりだった。
がんじがらめにしばられていても、
悟浄は義理堅い男だったからである。
「手紙を書いたのはこの女に違いないが」
と悟浄は思った。
「しかし、お師匠さまを助けてくれたのもこの女だ。
もし俺が本当のことを言ったばかりに
この女が殺されたりしたら、それこそ
恩に報いるに仇をもってするようなものじゃないか。
どうせ俺は助からない身の上だ。
長い間、お師匠さまに目をかけてもらいながら、
これといった手柄もたてなかったんだから、
せめて死ぬ時くらいは
お師匠さまのためにご恩返しをしてやろう」
そこで沙悟浄は声を大にして叫んだ。
「何を抜かすか。化け物奴。
俺たちがここへやって来たのは、ほかでもない。
宝象国へ行ったら、
国王が失踪した王女さまの人相書を出して見せたんだ。
途中でこんな女の人を見かけなかったかときかれて、
お師匠さまがのぞいたら、
何とここにとらえられていた時に見た女と
そっくりじゃないか。
それでお前が誘拐犯人だってことがわかったんだぞ」
黄袍怪はそれをきいた途端に、
手に持っていた大刀を投げ出して、
両手で王女を抱きあげた。
「許してくれ。俺が悪かった」
「だから言ったじゃないの。
私の首すじはこんなに憧れあがってしまったわ」
「そう怒るな。怒ると俺は泣きたくなるよ」
と妖魔は女の首すじを撫でながら、
「これもお前を愛すればこそだ。
どうもお前のことになると
俺はふだんの冷静さを失ってしまってな」
妖魔は女を部屋へ連れて戻ると、
乱れ髪を梳く手伝いまでしながら、
一所懸命、女のご機嫌をとり結ぼうとする。
そういう親切心を見せつけられると、
女の気持はもともと水ものだから、
すぐまたもとへ戻ってしまった。
「ね、あなた。
あなたが本当に私のことを思って下さっているのなら、
あの和尚さんの縄をほどいてあげて下さらない?」
「そんなことを言ったって、あいつは刺客だぜ」
「でもあんなに堅く縛っては可哀そうだわ。
息も出来ないじゃないの?」
女にせがまれると妖魔は部下に沙悟浄の縄をほどき、
代りに鎖につないでおくように命じた。
「やれやれ、情は人のためならず、というが、
あの女は俺の善意を知ってくれたと見えるな」
と悟浄は人知れず喜んでいる。
黄袍怪は女と向い合わせで
しばらく酒をくみかわしていたが、
何を思ったか、突然、中座すると、
服を着換えて、大刀を腰にさした。
「な、お前」
と王女の身体にさわりながら、
「お前は家にいて、子供たちを見ていてくれ。
それからくれぐれも注意しておくが、
あの坊主を逃がしてはいけないよ」
「そんな恰好をして、どこへおでかけになるの?」
「これからお前のお父さんに会いに行って来る」
「私の父に会いに行くって?」
と王女は驚いてききかえした。
「私の父に会ってどうするんです?」
「お前のお父さんは俺の岳父じゃないか。
たまには挨拶に行くのが礼儀というものだろう」
「駄目ですわ。そんな恰好じや」
「どうして?」
「私の父は自分の力で国を建てた人じゃなくて
父祖の社稷が受けついだ親譲りの王様よ。
だからあなたのような恐ろしい顔をした人を見たら
きっと卒倒してしまうわ。
父を驚かすくらいなら、行かないにこしたことはないわ」
「それじゃ美青年に化けて行けばいいだろう?」
「あなた、美青年に化けることが出来るの?
じゃ、念のため、私に見せてちょうだい」
言われて、妖魔が身体を動かすと、
忽ち流行の先端を行くような美青年が眼前に現われた。
「まあ、素敵。
これなら私の父もきっと大喜びであなたを歓迎するわ。
でもあまりお酒の量をすごしちゃ駄目よ。
馬脚をあらわしたら
何のために行ったかわからなくなってしまうから」
「わかっているよ。子供じゃあるまいし」
妖魔は雲に乗ると、忽ちの中に宝象国へとやってきた。
役も侍従長のところへ行くと、
「三番目の婿殿が来ましたとお伝え下さい」
と案内を乞うた。
係官が奥へ報告に入ると、国王は驚いて、
「私には二人しか婿がいない筈だ」
「三番目はきっと化け物に違いありません」
と群臣が言った。
国王は青くなって、三蔵に縋るように、
「どうしたものだろうか。入らせた方がよいか、
それとも入らせないことにしようか」
「陛下」
と三蔵法師はおそるおそる口を出した。
「化け物といわれるほどの者は
過去未来を知っているばかりでなく、
雲にも霧にも乗ることが出来ます。
たとえ玄関払いをくらわせても
向うの方から無断で入って来るでしょう」
仕方がないので、国王は青年を通すようにと命じた。
やがて入ってきたのを見ると、
映画に出てくるような美青年で、
しかも宮殿内の礼儀作法まで心得ている。
誰一人として化け物だと
口に出していうものがないはかりでなく、
気を揉んでいた当の国王が
その上品な容貌動作にすっかり惚れ込んでしまった。
「お前は私の婿だと言っているそうだが、
どこの何という者だ?」
「私は碗子山というところに住んでいる者でざいます」
「その碗子山とやらはどこにある?」
「ハイ。ここからおよそ三百里ほど
東に行ったところにございます」
「そんな遠くにいて、
どうして私の娘と知り合ぅことが出来た?」
「そのことでございます」
と思わず美青年は微笑を浮べた。
「実は私は子供の頃から弓道や馬術を習い、
猟を業として参りました。
そうです。忘れもしません。
あれは今から十三年も前のことでございます。
或る日、私が手下の若や犬を大勢連れて
山の中を通っていたら、
突然、人間を口にくわえた竜虎にぷっつかったのです。
すかさず私は老虎に一矢を報いました。
そしたら竜虎は口にくわえていた人間を離しました。
見ると世にも美しい女で、
虎の口にくわえられてびっくりしたのでしょう、
意識を失っていました。
すぐ家へ連れて帰って手当をしているうちに、
やっと息を吹きかえしました。
どこの誰ときいても王女のオの字も口に出さないので、
私はただの民家のお嬢さんだとばかり思っていたのです。
でなかったら、私は王女さまをここへお連れして
多少なりと恩賞にあずかろうとしたでしょう。
でもお嬢さまは何もおっしゃらなかったし、
しばらく私の家で暮しているうちに、
いつとはなしにお互に思いが通じて、
とうとう一緒になったのでごさいます。
お嬢さまは情の深いお方で、
私が虎を屠殺しようとしたら、
助けておやりなさいとおっしゃいました。
そう言えば、私がお嬢さまとめぐり合えたのも、
もとを言えば、この老虎のおかげですから、
私も考えなおして、縄をほどいて
老虎を山の巾へ放してやったのでございます」
一同はシーンとなった。
不思議な話に思わず心を奪われている様子である。
「ところが、老虎は山の中へ逃れると、
一所懸命修行して遂に妖精の仲間入りをしました。
きくところによると、西方へお経をとりに行こうとして、
はるばる、大唐国からやって来た坊さんは
これまででも一人や二人ではなかったそうです。
それが悉くこの宝象国にさえ辿りつけなかったのは、
この老虎の餌食になったからです。
おわかりでございますか。
陛下のおそばに坐っている唐僧は、
実は本物の唐僧ではなくて、老虎が化けているのです」
そう言って手をあげると、
美青年の女婿は三蔵法師の方を指ざしたのである。
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