毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第四章 やっばり悟空

三 女の出る幕

三人は一緒におちあって、
いかにして妖魔を退治するかという相談になった。
「この二人の子供を囮につかって
 化け物をおびき出すんだな」
と悟空は提案した。
「囮にしておびき出すってどうするんだ?」
と八戒がきいた。
「お前と悟浄とで子供を宝象国へ連れて行って、
 金鑾殿の上からでも投げおとせばいい」
「とんでもない。
 そんなことをすりゃ妖魔は俺たちを放しはしまい。
 子供の生命と引きかえはご免だよ」
「だからお前たちは戦うふりをして
 ここまで誘導してくれはいいじゃないか。
 あとは俺が一人で引き受ける。
 俺が宝象囲まで乗り込んで行ってもいいが、
 そうすると宝象国が戦塵の巷に化して
 無辜の人民までが迷惑を蒙るからな」
「そりゃその通りだが、
 しかし、子供を投げおとすのは不賛成だ」
と沙悟浄は強く首を振って、
「いくら化け物の子供だといっても、
 子供に罪はないじゃないか?」
「お前はまるでお師匠さまのような口をきくじゃないか」
と悟空は笑った。
「庭を掃いても蟻の生命を傷つけるな、
 灯をつけても蛾の生命を助けてやれか。
 ハハハハ……。
 万事そんな具合だから、
 お師匠さまのように自分が窮地に陥るんだよ。
 はっきり言えばだ、この世の中は食うか食われるかだ。
 生命の一つや二つ惜しんでいたら、
 こっちが食われてしまうぜ」
「しかし、俺はどうしても嫌だな」

王女から恩を受けているだけに、
沙悟浄は何と言われても意見を変えようとしない。
「それじゃお師匠さまを助けるのはやめだ」
と悟空は癇癪玉を破裂させた。
「待ってくれ」

仕方なく沙悟浄はみこしをあげた。
「どうせ人の子供じゃないか。
 いちいちかまっていちゃこちらの身が持たないよ」

更に八戒に促されて、
二人は化け物の子供を一人ずつ抱えると、
王城へ向って出発して行った。
それを見た王女はびっくり仰天して、
「どうして子供を放してくれないの?」
と崖の下から叫んだ。
「あなたの言う通り沙悟浄を放してやったじゃないの?」
「そんなに大きな声を出さなくてもいいぞ、王女さま」
と悟空は笑いながら、
「お前の子供たちがお祖父さんに会いたいというから
 連れて行ってやったんだ」
「嘘もやすみやすみに言いなさい。
 うちの黄袍郎はそのへんの有家無象と違うんだから、
 覚悟はしているんでしょうね」
「ハハハハ……」
と悟空は大きな声を立てて笑いながら、
「時にこの世の中で最大の罪は何か知っているかね?」

何くわぬ顔をしてきいた。
「そんなことを私にきいてどうするんです?」
「いや、なに。ただご存じかどうかと思ってな」

王女はしばらく考えていたが、
「知っているわ」
と答えた。
「知っているなら、言って見なさい」
「親不孝でしょう?
 世に非は数々あれど、親不孝にすぎたる罪なし、
 と子供の時読んだ本にも書いてあったわ」
「その通りだ。
 そのことを知っているのに、
 何故、骨肉を分けた親のいうことをきかないで、
 途ならぬ恋にふけったのだ?」

それをきくと、王女はうつむいたまましはらく黙っていた。
苦しみのためか悲しみのためか、
耳の根まで真赤にしている。
「そりゃ私だって
 父や母のことを思わない日とてありませんでしたわ。
 でも私はだまされてここへ連れて来られたのです。
 何度、死のうと思ったかわかりませんわ。
 ただそうすると、私が父や母をあざむいて
 駈落ちでもしたのかと思われかねないでしょう。
 それを思うと、死ぬに死ねませんわ」

やっとそれだけいうと、
王女は目からポロポロと涙をこぼした。
「その話は猪八戒からきいて知っている。
 俺がここへ来たのもあなたを助け出して
 ご両親のところへ送り届けるためだ」
と悟空は言った。
「そんな生命知らずの冒険は
 およしになった方がよろしいわ」
 と王女はすぐに言った。
「昨日、あなたの二人のおとうと弟子が
 束になってかかって行っても
 まるで歯が立たなかったのですから」
「ハハハ、
 あんたは人を見る目はお持ち合わせでないと見えるな。
 屁はいくら大きな音がしても仕方がない、
 秤はどんなに小さくても千斤の重さに耐える、
 というじゃないか。
 顔形だけで人を判断するのは
 屁と秤を一緒くたにして論ずるようなものですよ」
「じゃあなたには
 化け物を退治するだけの自信がおありになるの?」
「自信がなけりゃ大きな口はきかん」
「そんなことを言って私を瞞すんじゃないでしょうね?」
「女をだますのは猪八戒の十八番だ」
「その方法を私に話して下さらない?」
と王女は膝をのり出してきいた。
「あなたにここにいてもらいたくないんだ。
 そばで泣いたり喚いたりされると腕が純るからな」
「私が泣いたり喚いたりするものですか。
 好きでここにとどまっているわけじゃありませんもの」
「しかし、十三年も一緒になっておれば、
 全く情が移らないということはないだろう。
 断っておくが、子供の遊びじゃないんだから、
 俺の一なぐりは生命のやりとりなんだぜ」
「何でもおっしゃる通りにするわ」
と王女はあっさりと頷いた。

そこで王女を人目につかないところへかくすと、
悟空は揺身一変、
忽ち王女に化けて洞門の中へと入って行ったのである。

さて、一方、猪八戒と沙悟浄は一人ずつ子供を抱えると、
宝象国へとやって来た。
「さあ、この辺から子供を投げおとそうか?」
と八戒が言った。
「こんなところから落された日には
 一たまりもないだろうな。
 いくら化け物の子供でもあんまり可哀そうだ」

遙か下界の御殿の屋根の石段を見おろしながら、
沙悟浄はためらっている。
「な、兄貴。子供のことは俺に任せておいてくれぬか?」
と決心したように沙悟浄は言った。
「子供をどうするんだ?
 へんに仏心を出して生かしておいたりすると、
 あとでとんだ禍根を残すことになりかねないぜ」
「子供に罪はないよ。
 そりゃ鬼の子はやっぱり鬼になるかも知れないが、
 親に似ぬ子という言葉もある。
 鬼の子が親に似なければ、鬼にはならないだろう。
 俺はもう少し人間というものを信じたいよ」
「どうしたんだ?今日はまたえらくおセンチじゃないか」
「いや、ちょっとわけがあってな。
 子供を捨てたことにして、
 どこかへかくしておこうじゃないか」
「ああ、わかった。お前は王女に恩を売る気だな。
 子供を殺してしまったんじゃ金にならないが、
 生かしておきゃうまくすると
 いい金蔓になるかも知れんからだろう。
 そうときまりゃ俺もわかりの早い男だ。
 山分けを約束してくれるなら
 子供はお前に任せてもいいよ」
「何でも兄貴の言う通りするよ」

そう言って沙悟浄は猪八戒から子供を受取ると、
近くの林の中へ連れて行ってかくした。
それから牧場へ行って二匹の羊を盗み出すと、
また上空へあがって来て上から投げおとした。
「やあ、やあ、天から化け物がふってきたぞ」

くるくると宙返りをしながらおちて行った二匹の羊は、
御殿の階前にあたって粉々に砕けてしまった。
「黄袍怪はどこにいる! 黄袍怪の子供を捕えて来たぞ」

八戒が声を大にして叫んだ。

銀安殿で砕いつぷれていた妖魔は
夢うつつに自分の名前をきくと、
むっくりと頭をもたげたが、
中空に八戒と悟浄の姿が見えるだけで、
宿酔のためか頭がぐらぐらしている。
「沙悟浄が帰って来たとはおかしいぞ。
 あいつは昨日、俺の家にしばりつけておいた筈だが、
 畜生、また女房の奴が放したのかな。
 俺の子供を生捕りにしたって本当かな。
 いや、大方、俺は夢を見ているのだろう。
 ああ、大分酒を飲みすごしたようだ。
 まるで船に揺られているようだ。
 やっぱり家へ帰って見よう。
 犯人をあげるには
 科学的に物的証拠を固める必要があるからな」

妖魔は痛む頭を抱えて起き上がると国王に挨拶もしないで、
山へ戻って行った。
洞門を入ろうとすると、
そこに王女が顔中涙だらけにして泣きぬれている。
「おいおい、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも、
 あなたは昨夜どこへ行っていたのです?」
「お前のおやじのところへ行っていたんだよ」
「嘘ばっかり。
 きっとろくでもないところへ行って
 浮気をしていたんだわ。
 だからこんなことになってしまったのだわ」
「こんなことって何だ?
 まるで亭主に先立たれたような泣き方じゃないか」
「子供たちをさらわれたのよ」
「何だと?」
「今朝、猪八戒がやって来て、
 沙悟浄を奪った上に
 二人の子供まで連れて行かれちゃったの。
 あなたはいないし、子供は連れて行かれるし、
 一体、どうしたらいいかわからなかったわ」
「本当にうちの子供だったのか」
「お祖父さんに会いに連れて行ってやると
 無理矢理引張って行かれたわ」
「しまった」
と思わず妖魔は叫んだ。
「じゃさっき殺されたのは子供たちだったのか。
 よおし。こうなったら、
 あの二人の皮をひんむいて仇を討ってやるぞ。
 な、お前、いくら泣いたって
 死んだ子供はもう生きて帰っては来ないよ。
 それより少し落着きなさい。
 あんまり泣いたりすると心臓に毒だよ」
「みんなあなたのせいだわ。私、死んでしまうわ。
 ああ、胸が痛い。胸が痛い」
「どれどれ、どこが痛い。ああ、そこなら大丈夫だよ。
 俺のこの舎利丹で上を撫でればすぐよくなる」
「舎利丹って何なの?」
「俺の持っている宝物だ。
 ここは人が見ているから奥へ入ってから出してやろう」

妖魔は王女に化けた孫悟空の手をとると、
奥の部屋へ連れて行った。
そして、
口の中から卵ぐらいの大きさの玉を一つ吐き出して、
悟空の前へさし出した。
「まあ、きれいな玉だこと。
 こんな素晴らしい物を持っていらしたことを何故、
 今まで私に教えて下さらなかったの?」
「これは俺にとって生命のような大事なものだ。
 これを胸の痛いところにあてて軽く撫でたら
 立ちどころに痛みがとまる。でも取扱いに注意してくれ。
 でないと大へんなことになる」
「おとしたら、われてしまうから?」
「そうじゃない。
 指先ではじいたりすると俺の本相が現われてしまうんだ」

やれやれ、と王女の悟空は盗み笑いをした。
悪党に正直者が多いとは全く本当だ。
それもその筈、嘘は弱い者の武器だからな。
しかし、皆さん、女房に本当のことを
打ち明けたりするものじゃありませんよ。
こういう場合も考えられますからね。

悟空は妖魔から舎利丹を受けとると、
胸にあてるようなふりをして、
いきなり指先でポンとはじいたのである。

びっくり仰天した妖魔があわててとりもどそうとすると、
王女はもう一方の手で妖魔を払いのけて、
あっという間に、舎利丹を自分の口の中へ入れて
そのままのみ込んでしまった。
そして、自分の顔を一撫で撫でると、
もとの悟空の姿を呪わしたのである。
「あれ。お前、
 どうしてそんないやらしいトンガリ口になったんだね?」

妖魔は自分の怖ろしい形相を忘れて叫んだ。
「何を言ってやがるんだ。よくよく俺の顔を見ろ」
「じゃお前は百花羞じゃないのか?」
「俺のこの顔に見覚えはないか。
 お前は自分のご先祖さまの顔も知らんと見えるな」
「どこかで会ったことのある顔だ」
「思い出せなかったら、思い出すまで待ってやろう」
「見覚えのある顔だが、今ちょっと思い出せん。
 お前は誰だ。どこからやって来た?
 俺の女房をどこへかくした?」
「思い出せなかったら、教えてやろう。
 俺は三蔵法師の一番弟子孫悟空だ。
 お前の五百年前のご先祖さまだ」
「バカな!」
と妖魔は叫んだ。
「そんなバカなことがあるものか。
 俺が唐の坊主を捉えた時、
 唐の坊主は自分には二人しか弟子がないと言ったぞ。
 お前は孫悟空の名をかたるペテン師だろう?」
「俺は一緒に来なかっただけのことだ。
 師匠は人の好い男でな、
 俺がさかんに化け物を退治するものだから、
 残酷だといって除名しやがったんだ」
「ハハハ。除名されてもまだ地位に恋々としているのか。
 それでも男の中の男と言えるか」
「何をつべこべ抜かすか。
 たとえ破門されても先生は先生だ。
 お前のような畜生に人倫の大道はわからんだろうが、
 師匠をいじめられて俺がだまっていると思うか。
 それにお前は蔭で俺のことを何と言った?」
「俺がお前のことを言ったって?」
「言い逃れしようたってその手には乗らんぞ。
 俺はちゃんと猪八戒からきいているんだから」
「ああ、あいつか。
 あいつの言うことを信じちゃいけない。
 あいつはお喋り婆さんだ」
「まあ、いいさ」
八戒にしてやられたことに、気づいたが、
悟空は今更ひっこみがつかない。
「それより、せっかく俺が来たというのに
 バカに待遇が悪いじゃないか。
 酒がなければ、お前のその頭でもいい。
 お茶の代りに一打ちしてくれる」
「カンラカラカラ……」
と妖魔は思わず大きな口をあけて豪傑笑いをした。
「俺と一喧嘩やるつもりだって?
 それなら俺についてこの中へ入って来たのは
 とんだ失策だったぜ。
 ごらんの通りここには俺の手下が何百人も控えている」
「何百人が何万人でも束になってかかって来い。
 多ければ多いほど目標が沢山あって張り合いがあるわい」

妖魔はそれをきくと、直ちに手下に号令をかけて、
悟空を十重二十重にとりかこんだ。
悟空は怖れてひるむどころか、勇気リンリン、
如意棒を握りしめるや、「変れ」と一声、
忽ち三頭六腎になって六本の手に三本の如意棒、
あたかも猛虎が羊の柵に跳り込んだような勢いである。
哀れ、哀れ、小妖怪どもは頭を粉のように砕かれ、
血は水のように流れ、行くところ人もなき有様。

ただ一人、
老妖魔だけは悟空のあとを追って洞門の外まで出て来た。
「やい。逃げるな。強盗、詐欺師、押売り」

声をきくと、悟空はうしろをふりかえって、
「さあ、来い。お前なら相手に不足はない」

片や大刀をふりあげ、片や鉄棒で身構え、
山の項きから中空まで
死物狂いの決闘が展開されることおよそ五、六十回。
「この野郎、なかなかやるわい。
 よしよし、ひとつ計略にひっかけてやれ」

悟空は棒を大上段に構えると、
はたして妖魔は素早く大刀を横に払ってきた。
とっさに悟空は棒で相手の大刀を払いのけると、
下からくぐるようにして、
「えいッ」と相手の頭の上から打ちおろした。

たしかに手応えがあったと思った。
ところが相手の姿は一瞬消え失せて、
影も形も見えないではないか。
「おかしいぞ」

驚いて悟空はあたりを探しまわり、
更に中空へあがってあちこち見渡したが、
沓として行方は知れない。
「ハ ハン、わかったぞ」
と悟空は拳を叩いて大声をあげた。

2000-11-25-SAT

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