毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第五章 山高ければ谷深し

一 ホシはどこだ

悟空はすぐ斗雲にとびのると、上空めがけてまっしぐら。
たちまちのうちに南天門へ到着した。

南天門の守衛たちは悟空の姿を見ると、
さわらぬ神にたたりなしとばかりに、
悟空に背をむけて素知らぬ顔をしている。
「ちょっと通るぜ」

悟空は門を通り抜けると、真直ぐ通明殿の下へやって来た。
侍従長の邱弘済真人があわててとび出して来た。
「今度はまた何用でおいでになったのですか?」
「ホシを探しに来たんだ」
と悟空はぶっきら棒に答えた。
「ホシを探しに? ホシって何のことです」
「実は宝象国というところにさしかかったら、
 王女誘拐の化け物にあって、
 うちのお師匠さまがひどい目にあわされたんだ。
 それで俺が奴と一騎討ちをやったら、
 突然、姿をくらましてしまいやがった」
「じゃ犯人を深しに来たのですか?」
「俺は地上をくまなく探しまわったが、
 地上には影も形も見当らない。
 地上にいなければ、
 天上とむかしから相場がきまっている。
 それにホシというからには、
 天界のどこかにもぐり込んでいるに違いなかろう」

天界は神々の住むところであるが、
天界の住人は絶対に悪事を働かないと
いいきるだけの自信は、さすがの侍従長にもなかった。
「早速、陛下に上奏してご裁可を仰ぐことに致しましょう」
「ですが、どうやってホシを見つけ出すんです?
 天界と来た日には、
 どいつもこいつも星でないものはないんだからな」
「それは至って簡単ですよ。
 天界の星という星はいずれも軌道がきまっていますから、
 アリバイがはっきりしています。
 聖職にありながら軌道を脱線して、
 温泉マークなどにしけ込んだ奴がいるかどうか
 調べればよいわけでしょう」
「しかし、皆でグルになって、
 アリバイを申し立てたらどうします?」
「我々はそんな卑怯なことはやらん」
と侍従長は言った。
「なるほど天界から誘拐犯人を出すのは不名誉なことだが、
 しかし、神様だって女に弱いということに変りはない、
 過ちを犯した者を皆で庇いあうのは
 下界の人間のやることで、
 我々は天界の尊厳を維持するために
 不行跡な者はドシドシ処分する方針ですよ」

そう言って邱弘済真人は霊霄殿に上奏し、
直ちに九曜星や十二元辰をはじめ、
東西南北、中央五斗、河漢群辰、五岳四涜、
普天神聖などの星々の身元調査をしたが、
一人として軌道を離れた者はいない。
そこで斗牛宮のそとを調べると、二十八宿の中で、
奎星というのが行方不明になっていることがわかった。
「奎木狼が下界へおりたようでございます」
と侍従長は玉皇上帝に報告した。
「いつから天界を留守にしている?」
と上帝はおききになった。
「十三日前にちょっと用を足して来ると言って
 出かけたっきり、帰って来ないそうでございます」
「天界の十三日だと地上でははや十三年になるな」

玉帝はそう言って、すぐ二十七宿星に
脱線した奎星をよび戻してくるようにお命じになった。
二十七宿は天門を出ると、
手分けをして口々に仲間の名をよんだ。
「おい。何を大騒ぎしているんだ?」
と奎星は霧深い山あいから顔を出しながら言った。
「玉帝が貴公をお呼びだぜ」
「玉帝が俺に何用だろう?」
「さあ、何用だかわからないが、
 あんまりいい話じゃなさそうだぜ」
「しかし、俺はこの通り霧の中にいたんだぜ。
 なあ、そうだろう。
 そぅ言って俺のアリバイを立証してくれよ。
 君らは長い間の仲間じゃないか。なあ、頼むよ」
「よしよし、君には悪いようにはしないから、
 とにかく急いで玉帝のところへ出頭しろよ」

仕方がないので、奎星は天門を入ろうとすると、
そこにはすでに孫悟空が来ていて、彼の姿を見ると、
「この野郎、承知しねえぞ」
と殴りかかって来んばかりの勢いである。
奎星は居並ぶ群星の自分を見る目付が
普通でないことに気づき、
「ああ、もうかくしたところで駄目だ」
と思い諦めて、真直ぐ般下へすすみ出て
ひざまずくと腰の間から金牌をとり出した。
「奎木狼」
と玉帝は簾の中から声をかけた。
「天界は地上の人間が入ろうと思っても
 なかなか入れないところなのに、
 お前はまた何だって天界から逃げ出したりしたのだ?」
「逃げ出したわけではございません、陛下。
 清らかなこの天界をけがすのをおそれて、
 わざわざ地上へおりたのでございます」
「それはまたどうして?」
「かの宝象国の第三王女は、ただの人ではございません。
 もとは披香殿の御殿女中だったのでございます」
「二人でしめし合わせて駈落ちをしたというわけか」
「ハ、ハイ」
と奎星は青くなって答えた。
「彼女の方が世俗の生活にあこがれて、
 先に宝象国の王女に生れかわったのでございます。
 それで私も約束を守らないのは男の恥だと思い、
 妖魔に化けて山中に洞を構え、
 彼女を迎えて愛の巣をかまえました。
 これも思い思われたからのことで、
 暴力で女を自分のものにすることは
 英雄豪傑といえども出来ることではございません」
「私もそう思うよ」
と玉帝は微笑を浮べた。
「ハッ」
と奎星は額を段の上にすりつけて恐縮している。
「むかしなら、二人重ねて四つに斬るところだが、
 今は天国も自由恋愛時代になったからな。
 お前は少し早まりすぎたようだ。
 ただ無断で職場を放棄した以上、
 このままもとの職場へもどすわけには行かぬ」

このまま奎星を宥せば、他の者もまた職場を離れて
自由恋愛に耽ることをおそれた玉帝は、
一まず奎星を太上老君のボイラー焚きに左遷し、
その後の業蹟を見た上で復職させる条件のもとに
減俸を命じた。

孫悟空は玉帝のこの処置に満足し、玉帝に一礼すると、
「では皆さん、また会いましょう」
と言って天界をあとにした。
「あの猿め、相変らず田舎者だな。
 化け物をつかまえてやったのに、
 お礼を述べることも知らないんだからな」

お側の者がそう言って笑うと、
「なあに。
 奴がだまってひきさがってくれるだけで結構だよ」
と玉帝はおっしゃった。

さて、
上界から碗子山へ舞い戻った悟空は王女を探し出して、
奎星が玉帝の前で述べたことを申し伝えた。
「そんなこともあったのかしら。
 私には全然覚えがないけれどね」

王女は黄袍怪を憎んでいたが、黄袍怪がいなくなり、
しかも彼が自分を思うあまりに
化け物にまで身をおとして地上へおりてきたのかと思うと、
急に彼のやさしかったことを思い出して、
涙もろくなってきた。
それを見た悟空は、
「だから言ったじゃないか、
 俺の一なぐりは生命のやりとりだって。
 お前さんの亭主がいなくなったからって、
 俺を恨みっこなしだぜ」
「あなたを恨んだりなんかしないわ。
 でも私の子供たちを返してちょうだい」

言われて悟空はしどろもどろになった。
「子供は猪八戒が連れて行ったよ。
 猪八戒にきいて見るがいい」

そう言っているところへ猪八戒と沙悟浄がとび込んできた。
「化け物はどこだ? おや、一匹もいやしないじゃないか」
「化け物はもう全滅したよ」
と悟空は言った。
「全滅したのなら、
 王女さまを宝象国へお連れしようじゃないか」
と沙悟浄が促した。
悟空は沙悟浄のそばへ近よると、小さな声で、
「困ったことになったよ。
 王女は俺に子供をかえせといって泣きつくんだ」
「子供なら返してやればいい」
「しかし、子供たちは空の上から投げおとしたじゃないか。
 生きたままかえしてくれと言っているんだぜ」
「生きたままかえしてやればいいよ」
「死んだ者を生きかえらせることは俺には出来ん」
「心配しないでも俺にまかせとき!」
と今度ばかりは沙悟浄がポンと胸を叩いて見せる番である。

沙悟浄は天を駈ける代りに地を縮める方法で
王女を宝象国へ運ぷ提案をした。
王女は言われた通りに目をつぷった。
耳の中で風の鳴る音をきいたような気がした。
「目をあけてごらん」

言われて、そっと目をひらくと、
すでに金鑾殿の中に立っているではないか。

王女はすぐ国王や皇后のところへ走りより、
「お父さま。お母さま」

あとは涙をこらえるのに一生懸命である。
「孫長老のおカによって、
 やっとこうしてお父さまやお母さまに
 お目にかかることが出来たのでございます」
「黄袍怪というのは何者だね?」
と国王はきいた。
「陛下の婿殿は天界の奎星だったのです」
と悟空が答えた。
「王女さまを恋い慕う一念が
 遂に化け物と化して地上をさまようこと十三年。
 いまようやく命運尽きて
 天界へ呼び戻されてしまったのです」
「すると、
 このこ人の子供というのは天国に結ぶ恋じゃなくて、
 天界の人が地上におとして行った
 愛の結晶というわけだね」

沙悟浄が林の中にかくしておいた子供を連れて来ると、
国王はまじまじと見つめながら言った。
「まあ、そういうことになりますか」
と悟浄は相抱く母と子の姿に目を細めながら、
我がことのように喜んでいる。
「それよりも、
 早くあなたたちのお師匠さんを助け出さなくちゃ」

国王にせかされて、三人はあわてて御殿を退去すると、
家臣たちに案内されて猛虎の檻のあるところへ
おりて行った。

他の人が見ると、檻の中にいるのは虎だが、
悟空の目にはちゃんと三蔵法師が映っている。
術をかけられた三蔵は口をきくにきけず、
走ろうに走れないで、
じれったい思いをしているところであった。
「おやおや、
 お師匠さまは立派な人格を売り物にしていた筈だのに、
 何だってこんな醜い恰好になったんだろう。
 口では道徳や仁義を唱えているが、
 これが本相なのかしら」

悟空がわざと憎まれ口を叩くと、
「兄貴、冗談を言っている時じゃないよ。
 早くお師匠さまを助け出してくれ」
と八戒が言った。
「つべこべ言うな」
と悟空も負けてはいない。
「お前がお気に入りなんだから、
 お前が自分で助け出せばいいじゃないか。
 来る前にもちゃんと言っただろう。
 俺は俺の悪口を言った化け物の仇をとったら
 もうそれで用事はないと」
「まあ、そんなことをおっしゃらないで、
 どうかお師匠さまを助けてあげて下さい」
と沙悟浄は悟空の前で最敬礼をしながら、
「むかしから坊主の顔は立てなくとも
 他の顔を立てろと申します。
 もし我々にお師匠さまを助けるだけの力があれば、
 わざわざ兄貴をわずらわしたりは致しません」
「俺だってそのくらいの理窟はわかっているさ。
 さ、早く水を一杯くんで来てくれ」

八戒がとんで行って水をくんでくると、
悟空は口に呪文を唱え、やがてそれが終ると、
口に水をふくんで、ブーッと虎に向って吹きかけた。

すると虎の姿は消えて、三蔵法師は正気をとりもどした。
「やあ、悟空じゃないか。お前、いつここへ来た?」
「お師匠さま」
と沙悟浄が言った。
「あなたが無事にもとの姿へもどれたのも、
 悟空兄貴のおかげなんです」

話をきくと三蔵はいたく喜んで、
「すまん。すまん。本当にお前には迷惑をかけた。
 無事、大命を果たして唐土へ戻ったら、
 お前に最高勲章をいただけるように上奏してあげよう」
「勲章なんかどうでもいいですよ」
と悟空は笑いながら、
「それよりもあの頭の痛くなるお経を
 読まないようにして下さるだけでオンの字です」

2000-11-26-SUN

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