毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第五章 山高ければ谷深し

三 八戒小説をつくる

「アッハハハハ……」

八戒の姿が山の中へ消え去ると、
悟空は腹をかかえて笑い出した。
「こらッ」
と見かねて三蔵は怒鳴りつけた。
「お前は何という友情のない男だ。
 八戒を斥侯に出しておいて
 うしろで手を叩く奴があるか!」
「私は別に八戒を笑っているわけじゃありませんよ」
「じゃ何を笑っているのだ?」
「まあ、いまにおわかりになりますが、
 八戒はああやって出かけたものの、
 きっと斥侯もやらなければ、
 化け物に近づこうともしないで、
 そこいらで道草を食うにきまっていますよ。
 そして、帰ってきたら
 ありもしない嘘出鱈目の報告をしますよ」
「どうしてそれがわかる?」
「そりゃわかりますよ、お師匠さま」
と悟空は言った。
「何年も同じ釜の飯を食っていて
 猪八戒がどんな男かわからないでどうします。
 嘘だと思ったら、
 ちょっとあとをつけて行って見ましょうか?」
「ああ、いいとも。
 だけどあんまりいじめたりしちゃいけないよ」

この前のこともあるので、三蔵はすぐ賛意を表した。

悟空は八戒のあとを追ぅと、途中で揺身一変、
たちまち一匹の虻になりすまし、
八戒の耳のうしろの毛の中にもぐり込んだ。

そんなこととは知らない八戒は、
およそ七、八里ばかり進んだかと思うと、
突然、熊手を投げ出し、クルリとうしろをふりかえって、
「こんにゃく坊主にやくざ馬丁、
 それから腰抜け悟浄め!
 みんなでお経をとりに行こうと言いながら、
 自分たちは左団扇で涼しい顔。
 えりにえらんで俺だけを斥候かモッコか知らんが
 目茶苦茶にこきつかいやがる。
 よしよし、こうなったらどこかで一ねむりして、
 帰ったらいい加減に辻褄を合わせてやればいい」

八戒は熊手をとりあげると、また歩き出したが、
しばらく行くと頃合いの草叢が見つかったので、
その中へもぐり込んで腰をのばした。
「ああ、いい気持だ。
 俺がこんなところにいるとは、
 いくらお釈迦さんでもご存じあるまい」
「なにを!」
と悟空はすぐにも正体を現わしたかったが、
そこをグッとこらえて、今度は啄木虫に変身した。
そして、グーグーいびきをかき出した八戒の唇の上から、
チクリと突っついたからたまらない。
「お化けだ、お化けだ。アイタタクタ……」

手でさぐると、指先にベットリ血がついている。
驚いて顔をあげると、目の前に啄木虫がとんでいるので、
「この野郎。
 馬丁にいじめられるのは仕方がないとしても、
 お前まで俺をなめてやがる。
 だが待てよ。こいつは俺が見えないで、
 俺の唇を腐った木か何かと間違っているのかも知れない。
 まあ、いいや。口を懐の中へかくしてしまえば、
 いくらお前でもつっつくことは出来まい」
と、今度は口をかくしてまたねようとする。
そこで、悟空は、
うしろへまわって耳の附け根にチクリとやった。
「アイテテテ……。この野郎、
 俺に自分の巣でも占領されて怒っているのかな。
 やれやれ。これじゃうっかり安眠も出来ねえや」

仕方なさそうに起きあがると、
八戒は熊手を片手にまたスタコラ歩き出した。
啄木虫の悟空は、おかしくておかしくて笑いがとまらない。
「何という阿呆だ。大きな目をしていて
 自分の家の人すら見分けがつかないとは!」

悟空は再び虻に変ずると、
また八戒の耳のうしろにもぐり込んだ。
八戒は深山を分けておよそ四、五里を進んだが、
やがて一面石だらけの広場へ出た。
「やあ、今、かえって参りました」

八戒は熊手を投げ出すと、石に向って頭をさげた。
「この野郎、いよいよ頭が変になったのかな?」

しかし、よく見ていると、八戒は目の前の三つの石を三蔵、
悟空、悟浄の三人にたとえて、
報告の予行演習をやっているのである。
「俺が帰ったら、奴らは化け物はいたかときくだろう。
 ええ、いましたよ、と俺が答える。
 そうすると、何という山だったかときくだろう。
 さて、泥の山にするか、錫の山にするか、
 それともラーメンの山にするかな。
 いやいや、石頭山ということにしておこう。
 それから洞府の名前をきかれたら、
 これも石頭洞ということにしておこう。
 そうしたら、
 今度は門は何で出来ていたかと来るにきまっている。
 ハイ、釘の一杯とび出した鉄葉門です。
 洞府の中は三層になっているようです。
 門の釘は何本あった?
 さあ、あんまり急いでいたので、
 よく勘定して見ませんでした。
 さて、細工はリュウリュウ。
 これで一遍の物語が出来上ったぞ」

そういって八戒がもと来た道を戻りはじめたので、
悟空は耳のうしろからとび立つと一足先に帰ってきた。
「おや、お前ひとりか?」
と三蔵がきいた。
「八戒は間もなく帰ってきますよ」
と悟空はクスクス笑いながら
「八戒は小説家になりましたよ」
「へえ。それは何のことだね?」
「八戒は根も葉もない話を組み立てて
 一編の物語をでっちあげたのです。
 帰って来たら話し出しますから、
 傑作かどうか批評してやって下さい」
「あいつは大きな耳で目まで覆われた阿呆だのに、
 小説なんかでっちあげることが出来るものか。
 また例によってお前が私を担いでいるのだろう」
「お師匠さま、あなたはいつも阿呆の味方をするんですね。
 嘘か本当か、
 今から私が八戒の返事を先に言っておきますから、
 ためしてごらんなさい」

そう言って、悟空は
さっき八戒が作りあげた小説のあらすじを繰り返した。
ちょうどそれが終ったところへ、
八戒がのこのこと姿を現わした。
八戒は自分の創作を忘れたら大へんだとはかりに、
口のなかでぷつぷつと繰り返している。
「こらッ。何をつぷやいているんだ」

悟空に怒鳴られて八戒はハッと気づき、
「行って来ました」
「やあ、ご苦労だったね」
と三蔵が言葉をかけた。
「全くですよ。この通り汗だくです」
「化け物はいたかね?」
と三蔵は早速きいた。
「ええ、いますよ。一山ほどもいますよ」
「どんな様子だった?」
「丁寧な化け物でした。
 私のことを猪祖宗と呼んで大へんもてなしてくれた上に、
  山を通るなら銅鑼や太鼓で盛大に送ってくれる
 と言っていました」
「ハハハ……。草叢の中でそんな夢を見たのか?」
と悟空が笑った。
八戒はびっくりして、首を二寸ほども縮めながら、
「兄貴の奴、
 何だって俺が油を売っていたことを知っているのだろう」

悟空はそはへ近づくと、いきなり八戒の耳をつかまえて、
「さあ、こっちへ来い。俺がきいてやる」
「アイタタタ……。話をきくのに
 何も耳をつかまえなくたっていいじゃないか」
「何という山だった?」
と悟空は構わずにきいた。
「石頭山というんだ」
「洞府の名前は?」
「石頭洞」
「門は何で出来ていた?」
「釘の一杯つき出した鉄葉門だよ」
「中はどんな具合に出来ていた?」
「三層になっていました」
「よし、それでいい。
 それからあとは俺が覚えているから代りに答えてやろう」
「何を言っているんだ。
 自分が行ったわけでもないのに、
 どうして俺の代りに答えることが出来る?」
「門の釘は何本あったか、
 あんまり急いだのでよく勘定して見ませんでした……。
 そうじゃないか」

言われて八戒はすっかりあわててしまった。
「お前は石を俺たち三人にたとえて、
 一生懸命予行演習をしていたではないか。
 細工はリュウリュウ、これで一編の物語が出来上ったぞ
 とも言っていたではないか」
「すると、
 兄貴はまたしても俺のあとをつけてきたんだな?」
「この糠食い野郎!」と悟空は怒鳴りつけた。
「大事な時だから、お前に斥候を命じたのに、
 お前は悠々と昼寝をしやがる。
 啄木虫が来てお前をおこさなかったら、
 お前はいつまでねていたか知れんぞ。
 それに小説をニュースの代りに売りつけるなんて
 とんでもない野郎だ。
 さあ、その尻をこちらに出して来い。
 俺が根性を入れかえてやる!」

八戒は大あわてにあわてながら、
「その葬式棒はご免だ。
 生命がいくつあっても、
 そいつでカンとやられたんじゃ間に合わない」
「なら、何だって嘘出鱈目をでっちあげたりしたんだ?」
「もう以後はやらないよ」

しかし、それでもどうしても許してくれそうにないので、
八戒は三蔵法師にしがみついて、
「ね、お師匠さま、何とかとりなして下さい。お願いです」
「悟空がお前は小説家になったと言っても、
 私はまだ信じなかったんだよ」
と三蔵は言った。
「しかし、田を作るべき時に詩をつくつていたんじゃ
 一つや二つ殴られても仕方がないね。
 ただ、何分にも今は猫の手もかりたい時だから、
 悟空や、殴るのは当分おあずけにしてやりなさいな」
「お師匠さまがそうおっしゃるのなら、
 今度だけは勘弁してやりましょう。
 その代り、お前はもう一度、山の中へ入って来い」

八戒は地べたから這いあがると、
急いで山の中に向って駈け出した。
途々、悟空があとを尾行しているような気がして、
何を見ても悟空が化けているように見えてならない。

およそ七、八里も走ると、
突然、一匹の竜虎が山の峰をのしのしと動くのが見えた。
彼は少しもひるまず、熊手をとりあげると、
「兄貴。これは小説じやないぞ」

またしばらく行くと、
一陣の狂風が吹いて山々の樹がすぐ目の前に倒れてきた。
それに足をとられて地べたに倒れかかった八戒は、
「兄貴。俺は嘘をでっちあげていないのに、
 何だって、また樹に化けたりするんだ?」

さらに奥へ進むと、
頭に白い輪のある鴉がけたたましい声をあげて騒ぎ出した。
「俺は心にやましいことは一つもしておらんぞ。
 鴉に化けて俺のあとを追ったって仕様がないじゃないか」

悟空が尾行しているわけではなかったが、
八戒は疑心暗鬼、何を見ても
自分が監視されているように見えて仕方がないのであった。

八戒は一歩一渉、平頂山の蓮花洞へと近づいて行く。
蓮花洞といえば名にし負うかの金角大王、
銀角大王の根城であった。

2000-11-28-TUE

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