毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第七章 謀略合戦

四 オスかメスか


さて、再び幌金縄を盗みとった悟空は
大急ぎで洞門を脱け出すと、
もとの姿へ戻ってトントンと門を叩いた。
「やい、化け物」
「誰だ?」
と洞門の中の小妖怪がきいた。
「俺は者行孫という者だ」

小妖怪がそのまま奥へ報告に入ると、金角は驚いて、
「孫行者をつかまえたと思ったら、
 今度は者行孫とはどうしたわけだ?」
「なあに。何人来ようが恐れることはない。
 俺が行って料理してきてやる」
「油断のならない相手だから気をつけろよ」

銀角は紅葫蘆を手にとると、洞門を出て来たが、
見ると孫行者とそっくりの男がそこに立っている。
「お前は誰だ?」
「俺は孫行者の弟だ。孫行者を俺にかえせ」
「やあ、小型孫行者か」
と銀角は言った。
「いかにも孫行者は俺のところに生捕りにしてあるが、
 お前の力じゃどうにもなるまい。
 悪いことは言わないから、
 そのままおとなしくひきさがった方が身のためだぜ」
「何を!」
「ハハハハ……。そうムキになることはない。
 俺はお前のようなコドモと刀をまじえる気はないから、 
 さっさとかえるがいい」
「バカにするな。
 こう見えても、俺は十二歳のコドモではないぞ」
「そりゃそうだろう。十二歳と言われて、
 なるほど俺は十二歳だと復誦するオトナはいないからな。
 しかし、どうしても俺と腕くらべがしたいなら、
 名前を呼ばれたら、ハイ、とぐらいは答えろ」
「いいとも。千回でも万回でも返事はしてやるぞ」
銀角は紅葫蘆を持って中空へとびあがると、
それをさかさに立てて、
「者行孫!」
と呼んだが、悟空はウンともオウとも答えない。
待てよ、うっかり答えてあの中へ入れられてしまっては
たまらない。
「どうして答えない。さては臆病風でも立ちはじめたか?」
「いつ、お前は俺のことをよんだ?」
「さてはほつんぼの十二歳か」
「いかにも俺はつんぼだ」
と悟空は答えた。
しかし、また考えた。
俺の本名は孫行者で、者行孫ではない。
者行孫と呼ばれて答えたって人違いだから
大丈夫かも知れないぞ。
よしよし。
「おい、もっと大きな声で怒鳴らんときこえないぞ」
「これでもまだきこえんか、おい、者行孫」
「おう。きこえたぞ」
叫んだ途端に悟空は真暗闇の中にとざされてしまった。
それもその筈、葫蘆の中は獄屋と同じで、
証拠のあるなしに拘らず、俺だと言ったものなら
誰でも入れられてしまう仕組になっているからである。

葫蘆の中に入れられた悟空はどこか出口があるまいかと
探しまわったが、壁はかたいし、よくすべるし、
とても脱出どころの騒ぎではない。
「このまま、この中に入れられていると、
 物の二、三時間で溶けてしまうと言っていたっけ」

悟空は少し焦りはじめた。
しかし、また考えなおした。
「なあに。五百年前、俺が天界荒らしをやった頃、
 太上老君の八卦炉で七七、四十九日も
 いぶされたことがあったじゃないか。
 あの時だって、俺はどうもなかった。
 たかが化け物の葫蘆の中で、
 俺のこの不死身をどうにかされてたまるものか」

そう思うと、悟空はいくらか落着きをとりもどした。

銀角は葫蘆を手に抱えると、洞門の中へ入って行った。
「うまく者行孫をつかまえて来たよ」
「そうかそうか」
と金角は大喜びで、
「あとでふって見て、
 ぼちゃぼちゃ鳴るようならあけて見よう」
「冗談言うない」
と悟空は葫蘆の中で言った。
「ぼちゃぼちゃ鳴った日にゃ西遊記は
 もうそれでおしまいさ。
 どうれ。ひとつ小便でもしてやって
 ぼちゃぼちゃ言わすか。
 いやいや、小便と一緒にふりまわされた日にゃ
 こちらがたまらない。
 奴がふりまわす時に唾でも吐くことにしよう」

悟空は今か今かと待ったが、
二人の魔王は酒ばかり飲んでいて、
待てど暮せど葫蘆をふる気配だにない。
「大へんだ。足がとけて来た」

悟空は声を張りあげたが、
それでも魔王たちは素知らぬ顔をしている。
「ああ、腰がとけるよお。おッかさん」
「きいたか」
と金角が言った。
「おッかさんと言った時は大抵おしまいだ。
 ふたをとって見ようじゃないか」

悟空は素早く毛を一本抜いて
上半身だけの者行孫をその場に残すと、
自分は小虫に化けて葫蘆口で、
魔王たちが蓋をとるのを待ちかまえた。
そして、蓋をひらいた途端にそとへ這い出すと、
でんぐりかえしを打って倚海竜に化け、
何食わぬ顔をしてそばに立っている。

蓋をあけた金角は腰から上半分の姿を見ると、あわてて、
「おい。蓋をしろ、まだ完全に溶けきっていないぞ」

言われて銀角は蓋をしたが、
その時は悟空はもうそとに出てしまっている。
「やれやれ。これでゆっくり酒も飲めようというものだ。
 おい。乾杯」

グッと一気に飲みほすと、金角は杯を弟の前にさし出した。
銀角は杯を受けるのに葫蘆が邪魔になるので、
それを傍らに立った倚海竜に手渡した。

二人が何度も杯のやりとりをしている隙に
悟空の化けた倚海竜はまたも毛を吹いて
ニセモノの葫蘆を出し、ホンモノは袖の中へかくすと、
こっそりと洞門のそとへ忍び出した。
「やい。化け物。門をあけろ」

またしても門を叩く音がするので、
小妖怪がそとをのぞくと、
更に小型の孫行者が立っているではないか。
「誰だ、門を叩く奴は?」
「行者孫という者だ。お礼を言いに参った!」

小妖怪が奥にとんで入ると、金角は目を丸くして、
「一難去ってまた一難。
 今年は台風のあたり年というが、孫行者に者行孫に、
 こんどはまた行者孫というのが来たとはね」
「唐土の奴らは何とシャレッ気のない奴らばかりだ。
 俺たちのところでは台風といえば、
 女名前と相場がきまっているのに、
 何で男ばかりやってくる」

銀角はそう言いながらニセモノの紅葫蘆をとりあげると、
「まあ、いいさ。サルの兄弟が何百人いようとも、
 この葫蘆には千人の収容能力がある。
 どれ。もう一匹入れてくるとしようか」

意気揚々と洞門を出ると、
銀角は門前に立った行者孫を睨みつけた。
「何だ。貴様は?
 阿波の鳴門からトトサマ、
 カカサマでも尋ねて来たのか?」
「俺を知らぬか。俺は花果山水簾洞のあるじ。
 かつて大宮を荒らして、
 玉皇上帝をふるえあがらせた孫氏だぞ」
「ハハハハ……。ちょっとこっちへおいで」
と銀角は手をあげてさしまねいた。
「坊やはいい子だ。
 小父さんが呼んだら、アイヨと答えるんだよ」
「アイヨでもナイヨでも何とでも
 お望み通りに答えてやろう。
 しかし、そういうお前も俺がよんだら答えるかね?」
「俺がお前を呼ぷのは、
 俺にお前を入れる葫蘆があるからだ。
 お前が俺をよんで何か得なことでもあるのかね?」
「俺にだって葫蘆くらいはあるさ」
「あるなら出して見せろ」

悟空は袖の中から葫蘆を出して、
「よおく拝むがいい」
そう言ってまたすぐ袖の中へひっこめた。
驚いたのは銀角である。
「やあ。瓜二つというのはきいたことがあるが、
 葫蘆二つというのはきいたことがない。
 同じ蔓から生れたとしても、大きさや形が達うものだ。
 それなのに、奴のと俺のとは
 何から何までそっくりじゃないか」

銀角は色をなして、
「やい、行者孫。お前の葫蘆はどこから盗んできた?」
「盗んできたとは人ぎきがわるい。
 そういうお前のはどこから盗んできた?」
「お前のようなコドモにはわかるまいが、
 俺のこの葫蘆はむかしむかし、
 天に穴があいて女氏が修理をやったその時に、
 崑崙山のふもとにみのっていたものだ。
 それを女氏が見つけて太上老君に献上したものだ」
「俺のも、そこから採れたものだ」
「何だと?」
「まだ天と地が分かれはじめたばかりで、
 天の領域と地の領域がさだかならぬ時代に、
 太上老君が女氏を天井修理につかわした」
「フン。すると、お前の女氏は屋根屋さんか」
「いかにも。
 神話というものは合理的に解釈すべきものだ。
 俺の解釈によると女氏は屋根屋の頭梁で、
 崑崙山のふもとにある太上老君
 ──その頃はまだ宇宙時代になっていなかったので、
 太上老君はそこに住んでいた──のところへ
 屋根の修理に来た。
 そうしたら、垣根のそとに仙藤がしげっていて、
 そこに葫蘆が二つなっていた。
 俺のところへ伝わったのがオスで、
 お前のところにあるのがメスというわけさ」
「オスもメスもあるものか」
と銀角は言いかえした。
「世は男女平等の時代で、
 今時まだ雌雄を決するなんて言葉を使うと、
 婦人票に逃げられて落選の憂目にあうぞ」
「ツベコベ言うな。悔しかったら実力で来い」
「いいとも。
 しかし、決闘をやる場合にも
 どちらが先に打つかという問題がある」
「何ならお前の方がさきにやってもいいぜ。
 レディ・ファーストだからナ」
「ハハハハ……」
と銀角は声を立てて笑い出した。
「あとになって後悔しても間に合わないぜ」

銀角は葫蘆を手にもって中空へとびあがると、
「行者孫!」
と声高く呼びあげた。
「おう」
「行者孫!」
「おう。おう。おう。おう。おう」

一回では物足りないと思ったか、
悟空は連発式パチンコよろしく続けざまに答えたが、
一向に葫蘆の中に吸い込まれて行かない。
銀角はささえがきかなくなって
あッという間に地上へ墜落したが、
胸をしたたか打ったと見えて、
やっとの思いで起きあがると、
「ああ!」
と悲痛な声をあげながら、
「世の中は変ったようで一向に変らないなあ。
 こんなケチなものまで亭主がこわいと見えて、
 おろおろしてやがる!」

しばらくの間、悟空は笑いがとまらなかったが、
「さあ、今度は俺の番だぞ」
と叫んでとびあがった。

2000-12-06-WED

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