毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第3巻 出たり入ったりの巻
第八章 金銀無縁

三 カミナリ坊主


さて、蓮花洞をあとにした一行四人は再び道を西にとった。
凰餐露宿の日を送りながら
しばらくは何事もない旅路であったが、
やがてまた高い山に行く手を遮られてしまった。
「悟空や」
と三蔵は馬上から叫んだ。
「見るからに化け物の住んでいそうな山じゃないかね」
「ハハハハ」
と悟空は笑い出した。
「どうやらお師匠さまも
 条件反射が板についてきたと見えて、
 山を見るとただちに化け物を
 連想するようになりましたね」
「私を犬と一緒に扱うなんてお前も人が悪いよ」
と三蔵は苦笑しながら、
「それにしても西天への道は
 どうしてこうも遠いのだろうか。
 長安の都を出てからもう四、五年も経つというのに、
 まだ天竺の入口にさえ到着しないじゃないか」
「天竺の入口どころか、アッハハハ、
 我が家の大門さえまだ出ていませんよ」
「兄貴、嘘出鱈目もいい加減にしてくれよ」
と八戒が脇から口を出した。
「人間の世の中にこんな広いお邸があってたまるものか」
「大門どころか」
と悟空はもう一度繰りかえした。
「我々はまだ家の中をぐるぐるまわっているに
 すぎないんだぜ」
「おどかさないで下さいよ」
と今度は沙悟浄が言った。
「仮にそんな大きな家があったとしても、
 どこへ行ったらそんな家に使う梁を売っていますかね?」
「いやいや」
と悟空は首をふりながら、
「俺に言わせりゃこの青天井がこの家の屋根で、
 日月はこの家の窓、山を大黒柱にして、これこの通り、
 見渡すかぎりがちょっとした応接間じゃないかね」
「もしそうだとしたら」
とすかさず八戒は言った。
「歩くだけ無駄骨だから、
 ひきかえすことにしようじゃないか」
「バカいうな。ぶつぷつ言わずに俺のあとについて来い」

悟空は先頭に立って山路をかきわけて入ると、
やがて山の凹みに
寺院らしい建物が聳えているのが目についた。
「ああ、これも仏さまのおかげだ」
と三蔵はほっと胸を撫でおろしながら、
「あそこで一夜の宿を借りて
 雨露をしのぐことにしょうじゃないか」
「そう、それがいいでしょう」

一行は山門の前まで来ると、三蔵を馬からおろした。
夕日があたってよく見えなかったが、
そばへ近づいて見ると、「勅建宝林寺」と書いてある。
「ずいぶん立派なお寺だね」
と三蔵は山門を仰ぎながら言った。
「私が案内を乞いに参りましょうか」
と悟空が言ぅと、
「いや、私が自分で行くことにしよう。
 人相の悪いのが入って行って
 断わられたりしたら困るからね」

三歳は服の襟を正すと、一人山門をくぐった。
朱塗りの欄杆をすぎると、
両側に兇悪な様相の仁王さまが並んでいる。
中庭をすぎて第二の山門を入ると、ここには持国、多聞、
増長、広目の四大天王の巨像が立っている。
中には傘の形をした松が四本聳えていて、
その奥に観音菩薩をまつる大雄宝殿があった。
「ああ、もし我が唐土にも
 こんな素晴らしい仏像を祭るお寺があれば、
 何も私がはるばる天竺まで
 出かけて行くことはないのだがね」

心にそう思いながら、
三蔵が仏像の前に手を合わせていると、
奥から一人の番人が出て来た。
番人は世にも稀な三蔵の上品な風貌に接すると、
「よくいらっしやいました。どちらの和尚さまで?」
ときいた。

三蔵が用向きを話して、一夜の宿を乞うと、
「ちょっとお待ち下さいませ。
 ごらんの通り私はただの番人ですから、
 住職さまにきいて参りましょう」
「はい、どうぞ、宜しくお願い致します」

番人は方丈へ入ると、住職に訪問客があると言った。
住職はすぐ僧服にきかえ袈裟をつけて御殿へ出て来たが、
見るとそこには達磨衣を着た旅姿の坊主が一人
立っているだけである。
「お客ってどこにいるんだね?」
と住職は番人にきいた。
「あすこにおいでになるじゃございませんか」
「バカ。儂が客というのは
 お城の偉い役人たちのことだというのを
 お前は知らないのかね。
 あれは自分の寺も持たない乞食坊主じゃないか」
「でも大唐国から国王の命を受けて
 西方へお経をとりに行くお方だそうでございます。
 もう日も暮れかかっていることだし、
 一夜の宿を乞いたいと申しておられたものですから」
「そんなこと儂の知ったことか。雨露をしのぎたかったら、
 廊下で一夜を明かせばいいだろう」

吐きすてるようにそれだけいうと、
住職はそのまま奥へひっこんでしまった。
ひどく無愛想な住職もあったものである。
面と向って言われたわけではないが、
きこえよがしにそう言われると、
三蔵は情なくなって思わず涙がこぼれそうになった。
お寺の住職ともあろうものが
そんな無礼な態度をとるなんて考えられないことだ。
もしその通り悟空に話したら、あの向う見ずのことだから、
如意棒に物言わせてくれようと息巻くことだろう。
まあ、いいや。
忍びがたきを忍んで、
まず礼を尽してからのことにしよう。

そう思いなおすと、
三蔵は住職のあとを追って方丈へ入った。
見ると、住職は僧服を脱ぎすてて、
三蔵が入口に立っているのに気づいても
素知らぬ顔をしている。
「お願いでございます」
と丁寧に三蔵は頭をさげた。
「何の用だね」
「私は大唐長安国皇帝の命をうけて西天へ参る
 三蔵と申す者でございます」
「ふん。三蔵か」
「ハイ、左様でございます。
 もう日が暮れかかったので、ご迷惑でございましょうが、
 一夜のお栢をお借り致したいと思いまして」
「宿ならここから四、五里ほど行けば、
 三十里店という宿場があるよ。
 ここが宿屋じゃないことくらいご存じだろう?」
「ええ、でもむかしからお寺は坊主の宿場と申します。
 あなたが私を泊めて下さらないのは
 何か特別な理由でもおありなのでございますか?」
「しつこい奴だな」
と住職は怒声になって、
「虎が城下へ下れば、家々で門をしめるというじゃないか。
 今度の虎が人を咬むかどうかはわからんが、
 以前虎に咬まれた人間がいるからな」
「と申しますと」
「前にもよく旅の坊主が一夜の宿を借りたいと言って
 やって来たことがある。
 見るといかにも貧乏たらしい恰好をしているから、
 つい同情して方丈へ入れて
 暖かい飯の一膳も出して歓待してやった。
 そしたら、二、三日の約束が七、八年も居坐りやがって、
 追い出すのにさんざ苦労させられたわい」

なるほどそれも理窟ではある。
一人の坊主にスチュワーデス殺しの嫌疑がかかれば、
他の坊主までがその目で見られるのが世の中だ。
三蔵はこれ以上議論をしても無駄だと思い、
無念の涙をのみながら、山門のそとへ出て行った。
「お師匠さま。どうしたんです?」

三蔵の憎しみにみちた表情を見ると、悟空は言った。
「どうもしやしないよ」
「いや、きっと何かあったのでしょう。
 でなきゃ人格円満を看板にしているお師匠さまが、
 蜂にさされたような顔をする筈がない。
 それとも、まさか急に故郷が恋しくなったって
 わけじゃないでしょうね」
「いやいや、
 ここは我々のとまるところじゃないというだけのことだ」
「すると、ここはお寺でなくて、道士の館なんですか」
「バカなことをいうものじゃない。
 道士の館は観で、寺といえは坊主の住居ときまっている」
「それなら我々に玄関払いをくわすという法はないだろう。
 よし俺が行って話をつけてきてやる」

悟空は手に如意棒を握ると、
三蔵の制止するのをふりきって奥へ入って行った。
山側の仁王や四天王は怖ろしい形相をして
睨みつけているが、悟空は少しもこわがっちゃいない。
「お前ら、もとを言えば土をこねて、
 その上から金泥を塗った人形じゃないか。
 我々が神聖な使命を帯びて西天へ行こうとしているのに
 無愛想にもほどがあるぞ」

御殿に入ると、さっきの番人が線香に火をつけて
香炉にさしているところであった。
「おい。住職はどこにいる?」

言われてうしろをふりかえった番人は、
ほうほうのていで方丈へとんで行った。
「住職さま。また一人坊さんがやってきました」
「うるさいな。
 坊主が宿をかしてくれと言ったら、
 廊下でねろと言って追っ払えばいいじゃないか」
「でも今度の和尚はさっきの和尚と違って、
 とてもおそろしい人相をしていますよ」
「ふん。どんな男だね?」
「カミナリ族というのは
 きっとああいう奴に違いありません。
 今まで噂にはきいていましたが、
 ついぞ見かけたことのない人相ですよ」
「で、オートバイのうしろに女をのせていたか」
「さあ、そいつは見かけませんでした」
「それならカミナリじゃなかろう。
 お前、何も知っちゃいないな」

住職が方丈の門をひらいて、御殿の中をのぞくと、
はたして世にも怪奇な形相をした坊主が
こちらへ向って歩いてくる。
「いけねえ。あいつはやっばりカミナリだ」
「そうでしょう。
 カミナリにだって袈裟を着たのがいる筈ですよ」

住職はあわてて方丈の門をしめようとしたが、
それより早く悟空は扉を蹴破っていた。
「こら、住職、
 俺のために早く部屋を千間ほど掃除しておけ」

びっくりした住職は部屋の片隅に小さくなって、
「カミナリはスピードに生命を賭けるだけかと思ったら、
 なかなか大風呂敷じゃないか。
 お前、ここのお寺は仏殿や鐘楼を合わせても
 三百しか部屋がないから、
 もっと大きな宿へ行ってくれと断わってくれ」
「いや、住職さま。
 私はこの通り腰が抜けて立ちあがることも出来ませんよ。
 あなたがご自分で断わって下さい」

仕方がないので、住職はおそるおそる、
「ご覧の通り手狭なところで
 十分なもてなしも出来ませんから、
 どうぞほかの宿をさがして下さいませんか」

それをきくと、
悟空は手に握った如意棒を天井に届くまでのばして、
グッと相手を睨みつけながら、
「手狭というなら、
 お前らがここから出て行けばいいじゃないか」
「おやおや。
 宿をかさないと言ったら、
 逆に儂らにここから出て行けと言っているぞ」
「だから泊めておやりなさいと言ったじゃありませんか。
 こうなったら仕方がないから、
 引越しをしたほうが身のためですよ」
「そんなことを言ったって、
 この寺には四、五百人も坊主がいるんだぜ。
 引越そうにも行く先がないじゃないか」
「行く先がないなら」
と悟空は声を大にして言った。
「ここへ出て来て、俺に一般り殴らせろ」
「お前が出て行って代りに殴ってもらえ」
と住職は番人に言った。
「ご冗談を。
 あんな太い奴でやられちゃ、ひとたまりもありませんや」
「何のために警備会社に年々莫大な金を払っている!
 こういう時のためじゃないか」
「そんなことを言ったって、あの重さじゃ
 倒れてきただけでも前餅になってしまいますよ」
「煎餅になるどころか、
 あれがあすこに立っているのを忘れて、
 夜中に便所へ行こうと思って
 うっかり頭をぷっつけでもしたら、
 それだけでもうお陀仏だ」
「自分でもそれをご存じのくせに、
 私に出て行けというのはひどいじゃありませんか」
仲間同士で争いはじめたのを見てとると、
悟空はそばにおいてある石獅子めがけて
如意棒を打ちおろした。
何人かかっても持ちあげられそうもない石獅子が
粉々になるのを目撃して、
住職が胆をつぶしたのはいうまでもない。
「やい、住職」
と悟空は徐ろに言った。
「ちょっとお尋ねするが、
 このお寺には全部で何人坊主が住んでいる?」
「部屋が二百八十五で、和尚は全部で五百人ほど居ります」
「全部召集して、唐の高僧を迎えに出るか。
そうしたら勘弁してやらぬでもない」
「ハイ、勘弁して下さるなら、
 そのように致しますでございます」

住職は平謝りに謝ると、
早速、番人を知らせにやって
寺中の大小坊主を集めて歓迎の準備にかからせた。
それを見届けると
悟空は住職をつれて悠々と山門を出てきた。
「唐の長老さま。ではどうぞ奥の方へ」

住職がさっきと打って変って鄭重に挨拶をするので、
八戒はおかしくてたまらず、
「おやおや。
 さっきお師匠さまが出て来た時は泣いた烏だったが、
 兄貴が入って行くとこの通り
 礼を尽して迎えに出て来たじゃないですか。
 平和攻勢などというけれど、
 やっばり握りこぶしには敵いませんね」
「何を言うか、このおしゃべり」
と三蔵は色をなして、
「諺にもあるじゃないか、
 幽霊も悪党には歯が立たない、と」

三蔵は住職に丁寧に答礼すると、
そのうしろに従って寺の中へ入った。
道の両側には五百人の坊さんたちが
頭を地にこすりつけたまま土下座している。
「さあ、どうぞお立ちになって下さい」
と三蔵が言うと、
「どうぞお弟子さんにお許しをお願い致したく存じます。
 そうしたらたとえ一日こうして膝をついておれといっても
 いわれた通りにしておりますです」
と口を揃えて答える。
「悟空や」
と三蔵は傍らをふりかえって言った。
「お前、手荒なことはやめておくれ」
「殴ったりなんかしませんよ。
 殴っていりゃ既にお陀仏で、
 こうしてここにひざまずいている筈もありませんからね」
「さあ、これでおよろしいでしょう。
 もとを言えば、あなたも私も同じ仏門の徒。
 お瓦い仲好く致しましょう」

三蔵の一行は一番立派な部屋へ通された。
しばらくすると、食堂へ案内され、
下へもおかぬもてなしぶりである。
「では皆さん。どうぞおひきとりなすって下さい。
 私どもは勝手にやすませていただきますから」

宴会が終ると、三蔵は自分たちの部屋へ戻った。
旅の疲れが出たのか、
悟空も八戒も悟浄もすやすやとねむっている。
窓から月の光がさしこんで、
部屋の中は昼間のような明るさである。

故郷のことを思い、
今日まで歩いて来た道を考えている中に
三蔵はねむるどころか、逆に目が冴えてきた。
「そうだ。
 こういう時はねようと思ってあせってはいけない」

三蔵は床から起きあがると、禅堂へ行き、
一人でお経を読みはじめた。
どのくらい時間が経っただろう。
いくらか心も落着き、
再び床へ入ろうとして立ちあがった時のことである。

サーッと門外をかすめる風の音がしたかと思うと、
怪しげな風が吹き込んできた。
三蔵は燈火が消えたら大へんとばかりに
あわてて袖で行燈を覆ったが、
焔は明るくなったり暗くなったりしている。
にわかに胸騒ぎを覚えて、三蔵は思わず瞼をとじた。


(つぎは「風餐露宿の巻」)

2000-12-09-SAT

BACK
戻る