毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第二章 二人の三蔵

二 泣 き 男


「兄貴。頼むから鉄棒をおろしてくれ」
「宝物は見つかったか?」
と上から悟空がきいた。
「宝物どころか、俺は坊主から格下げで、
 もうすぐ死体運搬人にされてしまいそうだ。
 な、頼むよ。助けてくれよ」
「死体が出て来たのか?」
「ああ。今、俺のそばから離れないでいるよ。
 畜生! しつこい死体だな」
「宝物はそいつだよ。
 かついであがってくればいいじゃないか」
「かついであがったって仕方のない代物だよ。
 いつ死んだかわかっているんだから」
「かついであがって来なけりや俺は帰るぜ」
と悟空は言った。
「帰るってどこへ帰るんだ?」
「寺へ帰ってお師匠さまと一緒にねるさ」
「俺はどうするんだ?」
「自分であがってくればいいだろう」
「ジョ、ジョウダンをいうなよ」
と八戒はあわてふためきながら、
「俺の身にもなって見ろよ。
 この井戸と来た日にゃ奥が広くて、
 上へ行くほど口が狭くなっているし、
 何年も掃除をしていないせいか、
 千代に八千代に苔がむしていてスベスベしやがる!」
「それなら死体をオンブして上って来ればいいじゃないか」
「仕方がねえ。そうするよ」

八戒は観念すると、
そばにうかんでいた死体をつかまえて背中にオンブした。
「兄貴、いう通りにしたよ」

上から覗くと、
たしかに背中に死体を背負っている様子なので、
悟空は如意棒をおろすと、軽軽と八戒をひきあげた。

八戒が服をつけている間に、悟空が死体を見ると、
国王の死体は生きていた時のまま少しも崩れていない。
「えらいもんだな。三年たっても腐らないでいるとはねえ」
「竜王の話によると、
 定顔珠とやらいう防腐剤を使っているそうだよ」
「スターリンなみだな。お前も死んだらこうしてもらえよ」
「バカいうな。俺が死んだら、肉屋がだまっているものか。
  アッハハハハ……」

八戒が腹をかかえて笑っていると、
「おい。
 いつまでもバカ笑いをしないで、早くオンブをしろよ」
「またオンブをするのか?」
「そうだ。 オンブをして寺へ帰るんだ」
「やれやれ」

はじめてダマされたことに気づいた八戒は
無念でたまらないが、
面と向って悟空を罵倒するほどの勇気もない。
「考えて見りゃ俺もバカだったよ。
 寺でねておれば、いま頃は天国の夢でも見ていたものを、
 宝物を手に入れたら全部お前にやると
 サルの口車にウカウカとのせられてさ、
 身体は濡れるし、服はよごれるし、
 その上、死体の引揚げまでやらされたんだからな」
「愚図愚図いわんでも、
 寺へ帰れば、服くらい都合してやるよ」
「大きな口をきくな。自分自身も着たっきり雀のくせに」
「ツベコベいうところを見ると、
 オンブをする気がないと見えるな」
「いかにも、死体のオンブはご免だよ」
「それなら、尻をちょいとこちらに貸してくれな。
 この棒で二十回ほども叩けば少しは根性がなおるだろう」
「その方がもっと大へんだ」
と八戒はびっくり仰天して、
「兄貴のその棒でやられた日にゃ、
 今度は俺の方がオンブされる方にまわってしまうよ」
「なら早くオンブをしたらいいだろう」

怒るに怒れず、逃げるに逃げられず、
八戒は死体を背中に負うと、
悟空のあとについて花園を脱け出した。

外へ出た悟空は呪文を唱えると、
口に息を一杯吸い込み、ブーッと吹き出した。
すると一陣の風がまきおこり、
死体を背負った八戒は
城のそとまで一挙に運び去られて行くではないか。
「よし。今に見ていろ。この仇は必ず討ってやるから」

帰る途々、八戒はその方法はかり考えている。

間もなく二人はお寺へ辿りついた。
「お師匠さま。ちょっと見て下さい」

先に禅堂へ入った悟空は三蔵部屋の門を叩いた。
「何を見るんだね」

三蔵はねないで待っていたと見えて、すぐ腰をあげた。
「兄貴のお祖父さんを連れて来たんですよ」
と八戒がいまいましそうに答えた。
「パカいうな」
と悟空はふりかえって、
「俺の家は俺が祖先で、祖父さんなんぞいるものか」
「兄貴のお祖父さんでなきゃ、何で俺にオンブさせるんだ」

二人が言い争っているところへ、
三蔵と悟浄が門をあけて出てきた。
一目、国王の姿を見た三蔵はたちまち涙腺を刺激されて、
「本当に可哀そうに」
といいながら早くもボロボロ涙を流している。
「何がそんなに悲しいんですか」
とそはで八戒は笑いながら、
「あなたのお父さんが死んだわけでもないのに、
 そんなに泣くことはないじゃありませんか」
「八戒や」
と三蔵は八戒の方へ向きなおって、
「出家というものは、慈悲心が第一で、
 自分の都合は第二、第三におくものだよ。
 どうしてお前はそんなに冷淡なんだね」
「冷淡ってことはありませんよ」
と八戒はすかさず言った。
「お師匠さまは人が死んだといってはいつも泣きますが、
 もし兄貴がこの王様を
 生きかえらせることが出来るといわなけりゃ、
 私はわざわざここまでオンブしてきたりしませんよ」

はたして三蔵は大いに心を動かされたらしい。
「悟空や。もしお前に方法があるなら、
 こんな人助けは世の中にありませんよ」
「お師匠さま。
 八戒の出任せの嘘を信じてはいけません。
 人は死んで七百日たてば、
 また生れかわって世の中に出て行くものなのです。
 この死体は三年からたっているのですから、
 生きかえるわけがないじゃありませんか?」
「そう言えばそうだね」

三蔵がまたもよろめいたので、
八戒のくやしがること、くやしがること!
「お師匠さま」
と彼は三蔵の耳に手をあてて、
「兄貴はそういうけれど、
 本当は骨惜しみをしているのですよ。
 鎮元大仙の人蔘樹だって
 生きかえらせることの出来た兄貴じゃありませんか。
 ひとつこうしたらどうです?」
はたして三蔵は大きく頷くと、
例の緊箍児経を読みはじめた。
効果は覿面で、
悟空はその場にひっくりかえってのたうちまわりながら、
「お師匠さま。やめて下さい。やめて下さい」
「なおす気があるかね?」
「なおします。なおします」
「どういう方法でなおします?」
「地獄へ行って閻魔大王とかけあってきます」
「嘘を言ってら。
 兄貴はちゃんとこの世でなおす方法があると
 言っていましたよ」
と脇から八戒が口を出した。
三蔵がなおも緊箍児経をつづけそうな気配だったので、
悟空はあわてて、
「この世の方がよければ、この世でなおしますよ」
「やめないで下さい。もっとつづけて下さい」
と八戒は言った。
「この野郎、お師匠さまをけしかけると承知しねえぞ」
「アッハハハハ……」
と八戒はそこいらを笑いころげながら、
「兄貴が俺をいじめることが出来るように、
 俺だって兄貴をいじめかえすことくらい出来るんだぜ」
「この世でなおす方法はどんなだね」
と三蔵はきいた。
「太上老君のところへ行って、
 九転還魂丹もらってくれば万事オーケーですよ」

それをきくと、三蔵はすっかり喜んで、
「お前、これからすぐ行っておいで」
「ええ、ですが、今はもう真夜中でしょう。
 これから打って帰って来るまでの間、
 この死体をたった一人
 ここにねかせておくわけには行きませんよ。
 誰かそばで泣き男の役をつとめていないと駄目なんです」
「ハハ、きくだけ野暮な話だが、サルの奴め、
 この俺に泣き男をやらせようという魂胆だな」
「そうだとも。
 お前がここで夜通し泣いてくれなきゃ、
 俺はこの死体を生きかえらせることは出来んのだ」
「わかったよ。
 俺はここで泣いているから兄貴は安心して出かけてくれ」
「注意しておくが、泣き方にも要領があるんだぜ。
 口をひんまげて声を立てて、
 涙は目から出るだけではなくて
 心の底からしぼり出すんだ」
「じゃ今、泣いて見せるから、批評してくれ」

八戒は懐中から紙を出すと、コヨリをつくり、
思いきり鼻の奥深くつっこんだ。
二、三回激しくクシャミをしたかと思うと、
突然、雨のように涙があふれ出てきた。
八戒は更に口をひんまげて哀号哀号と声を立てながら、
涎か垂れるその有様は、
本当に身内にでも死なれたように真に追っている。
「ウム。なかなかうまいぞ」
と悟空は手を叩きながら、
「しかし、
 俺がいねえからといってサボッたら承知しないぜ」
「大丈夫だ。心配するな」
と八戒はもとの笑い顔に戻って、
「一週間は保証しないが、
 四十八時間くらいなら十分もつから」

それをきくと、沙悟浄がどこからか線香をとり出してきて、
火をつけた。
「そうだ。そうだ。
 皆して協力をすれば、俺も行ってくるだけの甲斐がある」

そう言って悟空は真夜中の寺からとび出して行った。

2000-12-15-FRI

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