三 起死回生
さて、斗雲に乗って南天門へ入った悟空は、
いつも何かあるとすぐ出かけて行く霊宵宝殿は素通りして、
離恨天の兜率宮へとやって来た。
折しも太上老君は仙童たちを相手に丹房で
仙丹を煉っている最中であったが、
ふらりと入ってきた悟空の姿を見ると、
「おや、仙丹泥棒がやって来たよ。皆、気をつけておくれ」
「ご挨拶だな、ハハハハ……」
と悟空は笑いながら、
「罪は一瞬、涙は一生というのは本当だわい。
皆で俺のことを泥棒を見る目つきで見たりすると、
泥棒をしないとすまないような気持になってくるよ」
「だってそうじゃないか。
五百年前にお前が天界荒らしをやったことは
今だに語り草になっていて、
泣く子も孫悟空のお話をしてやろうというと
泣きやむんだからね」
「お年寄りは私が若気の至りでおかした過ちのことを
いつまでも覚えているけれど、子供たちは、
あの強い孫悟空が化け物からとりあげた
五つの宝物を持主にかえしても、
なおクドクドと文句を言われていることを
よく覚えていますよ」
「お前も言いたいことはちゃんと言う方だな」
と太上老君はさすがに苦笑しながら、
「ところでお前、
今日は何をしにこんなところまでやって釆たのかね?」
「実はこういうわけなんです」
と悟空は、三蔵一行が宝林寺までさしかかって
烏鶏国の国王の亡霊に助けを求められたいきさつを話した。
「というわけで、
実は老君に九転還魂丹を一千粒ほど
貸していただきたいと思って参上したわけです」
「バカな。
いくらイソフレ時代とは言え、
クスリを飯粒のように食べるわけがあるかね。
うちにはそんなものはないから早く帰れ」
「千粒在庫がなければ、その十分の一でもいいですよ」
「いや、十分の一もない」
「じや、大負けに負けて百分の一」
「しつこい奴だな。ないものはないと言ったら」
「本当にないものなら仕方がない」
悟空は案外あっさりあきらめると、
兜率宮から出て行こうとした。
太上老君は居直られると思ったのが素直に出て行ったので、
これは出て行ったと見せかけて
盗みに戻ってくるのかも知れないぞと考えなおした。
「待て待て」
と老君は悟空を呼びとめた。
「お前は手癖の悪い扱だからな。
一粒くらいならタダでやってもいいよ」
「それをご存じなら」
と悟空も負けてはいない。
「あるだけここへ出して来て、
二人で四分六分にわけようじゃありませんか。
損のように見えても結局その方がお得ですぜ。
俺が短気を起して笊ごとひっくりかえしてしてしまえば、
それこそ元も子もなくなってしまいますからね」
老君は葫蘆をもち出してくると、
中から金丹を一粒とり出して、
「これをお前にやるから持ってお行き。
これで国王の生命が助かれば、
お前も功徳を施したことになるからね」
「待て待て。本物かどうか、まず俺が毒味して見よう」
手渡された金丹をあッという間に
ロの中へほうりこんだから、老君の驚くまいことか。
「こら。本当にのみこんでしまったら、承知しないぞ」
拳固をふりあげんばかりに睨みつけるのを
悟空は笑いながら、
「誰がのみこんでいるかね?
これこの通りここのところへ
ちゃんとしまってあるじゃないですか?」
と頬のフクロをひっばって見せた。
「もうわかったから早く帰れ」
厄介者でも追っ払うように兜率宮を追い出された悟空は、
雲のたなぴく間をぎると、須臾にして南天門を抜けた。
ふと見あげると、既に太陽は高々と昇っている。
宝林寺のあたりまで来ると、
禅堂の中から八戒の泣き声がきこえてきた。
「八戒の奴、ほかのことは不得手だが、
泣きの一手はさすがお師匠さま直伝のことだけあるな」
三蔵は悟空の姿を見ると、
「クスリはあったかね?」
「ええ、ありました」
「ないわけがないじゃありませんか」
と八戒は泣くのをやめて、
「兄貴は人のものを盗んででも
必要なものは手に入れてきますよ」
「お前はもう用済みだから」
と悟空はすぐに言った。
「どこかほかの部屋へでも泣きに行くがいい。
それから、沙悟浄。
すまんが水を一杯くんで来てくれんか」
悟浄が水を持ってくると、
悟空はロの中から金丹をとり出して、
国王のロの中へ押し込み、
更に唇をかきひらいて水を流し込んだ。
しばらくすると、死体の腹がゴロゴロ鳴り出したが、
手足は一向に動く気配がない。
「こりゃ効き目がなかったかな?
俺は老君から直々もらって来たんだから、
ニセ薬をつかまされるわけはないんだがな」
「三年も水の中につかっておれば、
人間はおろか鉄だって錆びるのが当り前だよ」
と三蔵は言った。
「クスリは世にも稀なものだから、
きっと今に生きかえってくるだろう。
腹が鳴れば、血が動き出した証拠だから、
誰か息を吹きかけてやってごらん」
「私がやって見ましょう」
八戒がすぐにも息をふきかけようとするのを
三蔵はあわてて制しながら、
「お前は悪食で育った男だからな。
こういう時はやはり悟空に限るよ」
そこで悟空が国王の唇に例のトンガリ口を押しあてて
プーと息を吹きかけると、
息は長い間ぺっしゃんこになっていた食道や
気管を通りすぎて胃袋や肺へ入り、
やがて国王ムクムクと死の床から起きあがって来た。
「和尚さま」
国王は三蔵の足元に膝をつくと、
「おかげさまでこの世に戻ってくることが出来ました。
何と言ってお札を申しあげてよろしいやら」
「いやいや。私の力ではごぎいません。
これも皆、弟子たちの力です」
「そんなに俺たちの顔を立ててくれなくたっていいですよ」と
悟空が脇から言った。
「お師匠さまは不肖の弟子たちの罪咎も
一身に背負ってくださるんだから、
功労りもまたお師匠さまのものです」
互いに謙譲の美穂を発揮しながら、
一行は禅堂に入り、早速、出発の用意にとりかかった。
「おい。八戒」
と悟空は八戒をそばに呼んできいた。
「お前の背負っている荷物は
どのくらいの重さがあるだろうな?」
「さあ。毎日背負っていて重いことだけは知っているが、
どのくらいの重さがあるかは、
ついぞはかって見たことはないな」
「お前のその荷物を二つに分けて、
一つを国王に背負わせることにしたらどうだ?」
「そいつは有難い話だ。
あの土左衛門をここまで背負ってくるのは
えらい苦労だったが、
人間はどこで得をするかわからんもんだ」
八戒は大喜びで、
すぐに荷物をひらくと二つに分けはじめた。
「陛下。あなたに荷物を運ばせるのは
大へんおそれ多いことですが」
悟空が言うと、
「いや、あなたは私の生命の恩人でございます。
いまの私はもし仲間に入れていただけるものなら、
荷物を運んで西天まででもお供を致したい気持です」
「そんな遠くまでおいでいただかなくとも、
ものの四十里で結構なんですよ。
お国へ帰るのに、
人目につかないようにする必要がありますのでね」
「国王が四十里の臨時工だとすると、
俺はさしずめ終身労働者かな」
八戒はすかさず減らず口を叩いたが、
それでも国王が僧衣に着更える手伝いを惜しまなかった。
こうして一行五人は
宝林寺の僧侶たちの盛大な見送りの裡に寺を出ると、
西の方、烏鶏国目指して歩き出した。
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