毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第二章 二人の三蔵

四 二人の三蔵


およそ半日ほども歩いただろうか。
ようやく行く手に城下町が見えてきた。
行き通う人々は
この中にこの国の国王が紛れこんでいるとは露知らず、
奇妙な風体の一行が入ってくるのを
ジロジロとふりかえっては通りすぎて行く。
「今日は通行税を払う代りに、
 真直ぐ宮殿へ挨拶に行くことにしようか」

三蔵が提案すると、
「ええ、今日はひとつ皆で押しかけることにしましょう」
と悟空はすぐに賛成した。
「ですが、
 偽者の国土の前に膝を屈することはありませんや。
 皆でおどかしてやろうじゃありませんか」

事あれ主義の悟空は一行の先頭に立つと、
御殿の門をくぐり、早速、国王に面会を申し込んだ。
世が世なら玉座に坐っている筈の国王が、
今日は小さくなって皆のあとにくっついている。
やがて侍従に案内されて見覚えのある廊下や庭を歩くと、
国王ほ思わず涙をこぼした。
「もうじきですよ。
 なあに、この悟空を味方にすれば、
 天下を相手にして戦っても大丈夫です」

悟空は文武百官のは並ぶ中を、
威風堂々と御殿の奥に進んで行った。
しかし、国王の前まで来ても、膝をつくどころか、
傲然と肩をそびやかせたままつっ立っている。
あまりもの無礼さに周囲の家来たちは
あっけにとられていた。
「あれはどこの和尚だ?」
と化け物は周囲の者にきいた。
「我らは大唐国から天竺へお経をとりに参る者だ」
と悟空は言った。
「大唐国か鯉こくか知らんが、
 人の国へやって来て頭もさげないとは無礼ではないか」
と化け物は色をなして言った。
「ここは大唐国の植民地でも保護国でもない
 立派な独立国だぞ」
「ハハハハ」
と悟空は笑い声を立てながら、
「大唐国と烏鶏国では月とスッホンほどの違いがある。
 四等国の国王は一等国の国王の前へ出れば、
 お父さんと呼ばなくとも、
 我が君くらいの呼び方をするものだ」
「バカをいうな。国は小さくとも国連へ行けば
 一票は持っているんだぞ」
「国連の投票機械が何を言っている!」

はじめから喧嘩腰である。
国王はカンカンになって、
「狼藉者をとらえろ」
と叫んだ。

さっきからジリジリしていた武官たちは
一せいにとび出してきたが、
悟空は少しもたじろがず、手をあげて、
「近よるな」
と制すると、あら不思議、
宮殿の中の人々はゼンマイの切れた人形のように、
手をあげた者は手をあげたまま、
前のめりになった者は前のめりのまま、
じっと静止してしまった。
「ウヌ」
と化け物はやにわに玉座から立ちあがると、
自分からとび出してきた。
「こう来なくちゃ」

悟空は油断なく身構えたが、その時、思わぬところから、
「父上、お待ち下さい」
と声がかかった。
見ると、それは皇太子である。
「何事じゃ?」
「お腹立ちはもっともですが、
 大唐国の使者が我が国を通過することは
 何年も前から風の便りにきいております。
 もしここでいざこざをおこしたら、
 きっとつまらない言いがかりをつけられて
 国際問題になってしまうでしょう。
 ですからまず、
 五人の和尚が本当に大唐国の使者であるかどうかを
 お調べになられるのが順序だと思います」
皇太子は三蔵の身を守るために
急場の機転をきかしたつもりであったが、
果たして化け物は折角立ちあがった玉座に
また腰をおろしてしまった。
がっかりしたのは悟空である。
「その若いゲイボーイのようなのは何という名前だ?」
と化け物はきいた。
「お師匠さまをゲイボーイとは無礼ではないか」
と悟空は怒鳴りかえした。
「この方は誰あろう。
 大唐国太宗の御弟三蔵大法師だぞ。
 顔立ちはやさしくても頭脳明晰、
 勇気のあることでは大唐国広しといえども
 右に出る者はないというお方だ」
「そういうお前は?」
「俺のことが知りたければ、
 玉皇上帝のところへききに行くがいい。
 玉皇上帝の飲み友達の斉天大聖とはこの俺のことだ」
「して、あの人相の悪いのは?」
「あの人相の悪いのは」
と八戒はすかさず言った。
「あれは沙悟浄と言って流砂河の河童ですよ」
「あの男のことではない。お前のことだ」
「あれ。人ぎきの悪い!
 こう見えても、俺はかつて
 天の河で腰の短剣に縋りつかれた天蓬元帥だぜ。
 天下にその名を轟かせた風流使者猪八戒とは
 この俺のことだ」
「して、あの片隅にいる貧相な老人は?」

指ざされただけで、本物の国王はブルブルふるえている。
「あれか。あれはこの先の宝林寺で傭い入れた荷物運びだ」
と悟空が代りに答えた。
「なに。宝林寺で傭い入れたと?」
「いかにも。
 この辺の地理地形にくわしいと言うので
 道案内をしてもらおうと思ってね」
「嘘をつけ」
と化け物は怒鳴った。
どこかで見かけたような顔だと思うが、
にわかには思い出せない。
「正直に言えば許してやらぬでもないが、
 出まかせを言うと、タダではおかないぞ」
「そんなに真実を知りたいのなら、何をかくそう」
と悟空は声を大にして言った。
「この方こそはこの烏鶏国の国王。
 お前が井戸の中へつきおとしたお方だ」

それをきくと化け物はさッと顔の色を変えた。
すぐさま立ちあがって逃げ出そうとしたが、
身に寸鉄も帯びていない。
ふとうしろをふりかえると、
不動の姿勢のまま立っている鎮殿将軍の腰に
刀がさしてあるのが見えた。
すばやくそれを抜きとると、
化け物は殿中から煙の如く消え去っていた。
「せっかちサル奴!」
と八戒のぼやくまいことか。
「うまくおびきよせてガンと一撃くらわせればよいのに、
 ああして逃げられたら、あとあとまで崇るじゃないか」
「まあ、そう騒ぐことはないよ。
 何よりもまず国王を皇后や皇太子に
 引き合わせてさしあげようではないか」

悟空は魔術をかけていた文武百官の魔術をとくと、
あとを八戒や沙悟浄に頼み、
自分も同じようにドロンをきめた。

御殿を風の如くとび出した悟空は、
まず空の上高くとびあがった。
あたりを見まわすと、
化け物は東北の方向目指して逃げて行く。
「やい。待て」
と悟空はあとを追った。

化け物は悟空の姿を見ると、
きびすをかえして刀を持ちなおした。
「お前は何という出しゃばりだ。
 俺が国を盗もうと民を奪おうと、
 お前の知ったことじゃないではないか」
「ハハハハ……。
 頼まれればじっとしておられないのがこの俺のタチだ」
「頼まれれば、何でもやるのがお前の商売か。
 それなら先に俺に一言挨拶に来ればいいじゃないか。
 金一封くらいケチケチするこの俺じゃないぜ」
「俺を暴露新聞のゴロツキ新聞記者とでも思っているのか。
 俺の名前を知っているのなら、
 何も言わずに逃げ出すのが無事息災の道だぜ」
「何を!」

化け物は悟空が如意棒をとり出したのを見ると、
先手を打って襲いかかってきた。
しかし、武術にかけては到底、悟空の敵ではないと見えて、
二、三回打ち合うと、忽ち逃げ腰になり、
またもとの方向へ向って走り出した。

悟空はあとを追った。
城下ををすぎ、宮殿の中へ入ると、
悟空は思わず立ちどまって目を見張った。

それもその筈、
御殿の階前には寸分違わない格好をした二人の三蔵が、
両手を合わせて立っているではないか。

如意棒をふりあげた悟空が一人のそばへ近づくと、
「悟空や。私だよ」

たしかに三蔵の声である。
もう一人のところへ行って如意棒をふりあげると、
こちらも、
「悟空や。間違えないでおくれよ」
と、ききなれた師匠の声である。

さあ、困った。
確率は二人に一人、五十パーセソトの打率だが、
うっかり鉄棒をふりおろして、
もしそれが本物の三蔵法師だったりしたら
今日限り西遊記はおしまいである。
「おい。
 一体どちらがうちのお師匠さまで、
 どちらが化け物か見分けてくれんか?」
「そんなことをいったって、どだい無理だよ」
と八戒は言った。
「兄貴が上の方で何やら言い争っているのをきいていて、
 ふと下を見たら
 お師匠さまが二人になってしまったんだからな」
「双生児がいくらよく似ているからといったって、
 二人並べて見れば見分けのつくものだがな」
と沙悟浄も言った。
「この頃は独奏会よりも
 二人組とか三人組とか六人組とかコーラスばやりだから、
 いっそ人員を追加して
 仲好く天竺まで行ってもらうことにしましょうか」

仕方がないので、悟空は一計を案じて、
土地神と山神を呼び出した。
「お前たちには
 どちらが本当の三蔵法師か区別がつかぬか?」
「ハイ。私どもにはわかります」
「それではお師匠さまを、
 こっそり御段の中へ導いて行ってくれんか」
「よろしゅうございます」

ところが化け物も、
悟空と土地神山神の会話はきこえるので、
三蔵が歩き出したのを見ると、
二人とも一緒である。
「アッハハハハ……」
と八戒は腹を抱えて笑い出した。
悟空は色をなして、
「何がおかしい。
 一人の師匠でもお前は仕事が多いといって
 ブツプツ言っていたのに、
 二人になったら、それどころではないぞ。
 間抜け奴が!」
「アッハハハハ……」
と八戒の笑いはなかなかとまりそうもない。
「兄貴も知恵者のような面構えのくせに案外、
 知恵がないな。
 いい方法があるじゃないか。
 いいガ法が……」

2000-12-17-SUN

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