毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第四章 冷戦熱戦

三 笑いあい

さて、悟空は沙悟浄と一緒に松林の中で
八戒の帰りを待っていたか、
突然、なまぐさい風が吹いてきたかと思うと、
途端にハクションと大きなクシャミが出た。
「いけねえ。こりや只事でないぞ」

「どうしたんですか、兄貴?」
「八戒が道に迷ったらしい」
「道に迷ったら誰かにききそうなものだが」
「いやいや、どうも化け物と鉢合わせをしたらしいんだ」
「八戒兄貴のことだから、
 化け物と鉢合わせをしたら廻れ右をするでしょう」
「そうしてくれれば手数がかからないですむんだが、
 奴は味噌も糞も区別のつかない阿呆だからな」
「私が行って様子を見てきましょうか?」
「いや、俺が行ってくる」
「でもその身体では?」
「なあに。こう見えても気は至って確かだからな」

悟空は痛む腰をさすって立ちあがると、
手に如意棒をふりかざして火雲洞の門前に現われた。
「やい、化け物!」

その声に驚いて、小妖怪どもが奥へ報告に入ると、
「皆で包囲してつかまえろ」
と紅孩児は命じた。

やがて洞門があいたのを見ると、
数百の小妖怪どもがわあッとときの声をあげながら、
一せいにとび出してきた。
いつもの悟空ならこのくらいの人数は物ともしないが、
如何せん、如意棒を握った手がふらふらでは
どうにもならない。

逃げると見せかけて、悟空はものかげにかくれ、
素早く風呂敷包みに化けると、
そのまま道端にころげおちた。
「口ほどにない猿じゃないか。
 あわてて風呂敷包みをおとして行きやがった」

小妖怪がそれを拾いあげて、奥へ持って入ると、
「ハハハハ……。きたならしそうな風呂敷包みだな。
 中に何が入っている?」
「垢だらけの下着や破れ帽子でございます」
「どうせそうだろう。あとで雑巾にでもするがいい」
と紅孩児は目をくれようともしない。
小妖怪がそれを部屋の片隅に投げ捨てると、
悟空はまたも毛を一本抜いて「変れ!」と命じた。
すると毛がさっきの風呂敷包みに早変りし、
悟空白身は一匹の蒼蝿になって、袋の上に羽をとめた。

きくともなく耳をすませていると、
天井からぶらさがった袋の中から
八戒の罵声がきこえてくる。
「身の程知らぬ化け物奴!
 俺を欺すことは出来るかもしれんが、
 俺の兄貴は欺せないぞ。
 今に兄貴がやって来て見ろ。
 お前のその二枚舌を抜きとって、
 タン・シチューにしてくれるから……」

フフフフと思わず悟空は失笑した。
「八戒の奴、相変らずだな。
 しかし、将棋の駒のように、
 敵の旗を押し立てて昨日の敵は今日の友を
 やらないだけまだ見所があるわい」

何とか方法を考えて、
八戒を袋の中から出してやろうとしている。
突無、奥で、
「六健将はおらぬか?」
と叫ぶ紅孩児の声がきこえた。
「ハイ」
と口々に答える部下の将軍たちの声。
「これから竜王のところへ使いに行ってくれんか」
「承知致しました」
「唐の坊主を生捕りにして、
 いまから料理にかかるところだから、
 大至急お越し下さるようお伝え申せ。
 すぐにお連れ申すんだぞ」
「ハイ、かしこまりました」

六人の健将が洞門を出て、西南の方角へ向うと、
悟空の化けた蒼蝿も一緒になってあとを追った。
「紅孩児の父親と言えば、
 俺とむかし義兄弟だった牛魔王じゃないか」
と悟空は空をとびながら考えた。
「むかしは俺も若かったから、
 大いに意気投合したものだが、
 五、六百年も前に開業した化け物業を
 今もつづけているとは根気のいい奴だ。
 恐らく今頃は化け物協会の名誉会長をつとめるくらいの
 年寄になっていることだろう。
 よし、ひとつ牛魔王に化けて見てやれ」

一行から離れて十数里も先に行くと、
悟空は揺身一変たちまち往年の牛魔王に化けた。
それから更に毛を何本か抜いて「変れ」と命ずると、
数人の小妖怪が手に手に弓矢を持ち、
犬や鷹を連れて現われた。
それらの家来をひきつれて
狩りをしているような恰好をしながら、
六人の健将がやって来るのを待ったのである。

ほどなく六人の健将が視界に入って来た。
六人の方も悟空の姿を見かけると、
大急ぎでそばへ駈けてきた。
「ご機嫌うるわしゅうございます、老大王」

六人が口を揃えて言うところを見ると、
本物の牛魔王は五百年前と
大して風貌が変っていないらしい。
「私ども火雲洞からお迎えに参りました。
 私どものところで珍しく
 唐の坊主を生捕りに致しましたので、
 是非、老大王にも召し上がっていただきたいという
 若大王のおことづけで……」
「そうかそうか」
と悟空の牛魔王は相好を崩しながら、
「紅孩児は思いのほか親孝行息子だな。
 折角だからおよばれに行くことにするが、
 こんな格好では見っともないから
 家へ帰って着替えをして出なおして来るとしよう」
「いえいえ、それには及びません。
 若大王は首を長くしてお待ちかねでございますし、
 およばれにいらっしゃると言っても
 他人様のところへおいでになるというわけでは
 ないのでございますから」
「そういえばそうだな。ではこのまま行くとしようか」

悟空の牛魔王は何食わぬ顔をして、
六人の健将のあとについて、今きた道を戻って行った。
「老大王が間もなくお着きになられます」

一人が先に帰って報告をすると、紅孩児はすっかり喜んで、
直ちに満洞の群妖を勢揃いさせて盛大に歓迎の宴を張った。

悟空の牛魔王は少しも悪びれたところを見せず、
旗鼓の迎える中を悠々と奥へ向って進んで行く。
洞門の中へ入ると、悟空は上座につき、
紅孩児が膝をついて、
「父上。よくおいで下さいました」
と挨拶するのを、ウム、ウムとい頷きながらきいている。
「実は昨日、珍しくも唐の坊主を一人手に入れたのです」
と紆孩児は言った。
「見たところ、いかにもうまそうなので、
 一人だけで食べてしまうのはもったいないと思い、
 父上にわざわぎおいでを願ったのです」
「して、その坊主はどこに繋いである?」
「奥の部屋に監禁してございます。
 父上はご存じかどうか知りませんが、
 今度、捕えた坊主は西方にお経をとりに行く有名な男で、
 その肉を食べると、千年は長生きすると
 我々の仲間で何年も前から噂されていた男です」
「西方へお経をとりに行く坊主だとすると、
 あの有名な孫行者の師匠ではないのか?」
「いかにもおっしゃる通りでございます」
「駄目だ。駄目だ」
と悟空は両方の手を大袈裟にふりながら言った。
「あの連中と喧嘩をするものじゃない。
 孫行者がどういう男かお前ほまだ若いから
 知らんだろぅが、そのむかし天宮荒らしを働いた時は、
 十万の神兵を相手どって
 それこそ一歩もあとにひかなかった豪の者だよ。
 奴の師匠を食ったりして見ろ。
 とんだ食当りをおこしてしまいかねないぞ」
「アッハハハ……」
と紅孩児は腹をかかえて笑いころげながら、
「父上は倅がいつまでたっても
 まだ揺籃の中にいると思っているんだから、
 かなわないや。
 いかにも孫行者と他の二人の弟子は
 師匠をとりかえしに来ましたよ。
 一度目は私の三昧真火で焼かれ、
 二度目は四海竜王を援軍にたのんできたが、
 水で火が消せると思って、
 逆に火で焼かれた上にズブ濡れになり、
 それで三度目は猪八戒を観音菩薩のところへ
 使いに出したところ、まんまと私の口車にのせられて、
 この通りあの如意袋の中におさまっていますよ」
「しかし、孫行者はまだつかまっておらんだろう?」
「いや、今朝も門前に来て騒ぎ立てるものだから、
 家来たちに追っ払わせたら、あわてふためいて
 荷物をほったらかして逃げてしまいました」
「ハッハハハ……。お前もなかなかやるようになったな」
と悟空の牛魔王は笑いながら、
「しかし、奴の腕前もそうバカにしたものではない。
 奴の七変化はむかし我々の仲間でも評判だったからな」
「なあに。奴の化け方がどんなにうまくとも
 俺のこの目はごまかせまい。
 必ず見破って見せますよ」
「そうだ。そうだ。そうだろうとも」
と悟空はこみあげて来る笑いをおさえるのに苦労しながら、
「ただ、奴は虎や狼に化けるだけでなく
 蚊や蝿のような虫けらにも化けるから、
 見破るのがそう容易ではないかもしれんな」
「たとえ虫けらに化けても、
 私の三昧真火で焼かれて胆っ玉をつぶしているから、
 この門の中へ入って来るほどの勇気は
 持ち合わせていないでしょう。
 アッハハハ……」
「アッハハハ……」

お互いに大声をあげて笑いあっている。

2000-12-23-SAT

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