毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第六章 俄か救世主

四 夢に見る救世主


人々は突如として目の前に現われた
見知らぬ道上を疑惑の眼で見つめた。
道士と僧侶の敵対関係は既に歴史の古いもので、
既にこの国のように“道士に非ざれば人に非ず”の
お国柄で、道士が僧侶にヒューマニズムを示すとは
到底考えられなかったからである。
「あなたは遠くからおいでのお方ではございませんか?」
と少し勇気のある者がきいた。
「いかにも私は遠くから来た者だ」
「だからご存じないのですよ、この国の内情が」
「国王が道士の肩を持って、
 お前たちをいじめると申すのか?」
「ハイ」と答える代りに、人々は黙って頷いた。
「風を呼んだり雨を降らせたりするのは、
 別に大した技術というほどのものではない。
 道士たちが国王の心をとらえたのは、
 ほかに原因があるのだろう?」
「それは道土たちが水を油に変えたり、
 石を金に変えたりする力を持っているからです。
 そうやって国王の信用を博した上で、
 今度はここに三清観という人間ドックをつくって、
 皇帝の不老長寿のために力を尽すというのですから、
 皇帝が乗り気になるのも無理はありません。
 それに比べると、仏の教えは人生の虚無を教えるだけで、
 現実の用に立ちません。
 今更のように、仏門の無力を感じさせられるばかりです」
「なるほど。祈るだけで腹は一杯にならんからな」
と悟空は何度も頷きながら、
「しかし、それならばそれで、
 お前たちはこの国から逃げ出せばいいじゃないか」
「ところがそうは行かないのです。
 道士たちは国王に上奏して、私どもの写真や指紋をとり、
 それを全国の郷村にばらまいて、
 もし我々が逃亡したら懸賞金付きで捉えるように
 指令してあるんです。
 人生最大の痛恨事はごらんの通り、
 あるべきところに毛がないことで、
 これではどんなに変装が巧みでも
 到底逃げおおせることは出来ません」
「それならば」
と悟空はあたりを見まわして言った。
「いっそのこと死んでしまえばいいじゃないか」
「ああ」
と人々は大きな溜息をついた。
「私どもの中でそれを考えないものが
 どこにいるでしょうか。
 もともとこの収容所には二千人からの仲間がおりました。
 その中で労役に耐えかねて病死した者が六、七百人、
 前途をはかなんで自殺した者が七、八百人、
 病気になろうにもなれず死ぬにも死にきれず、
 こうして生き残っているのが五百人というわけなのです」
「死ぬに死に切れないとは、
 これはまたどうしたわけです?」
「首をくくろうとしても途中から縄が切れてしまったり、
 河にとびこんでしまおうとしても
 浮きあがってしまったり、
 また毒薬を飲んでもピンピンしていたり……
 といったザマなんです」
「そいつは有難い話じゃないか。
 生命あっての物種だからな」
「ご冗談を。
 生命あるばかりにこうして
 塗炭の苦しみをなめさせられているではありませんか。
 健康ほど処置に困る病いはないとは、
 まさにこのことでございます」
「ほんとにそうでございますよ」
また別の男がつけ加えた。
「私たちはこの季節働を課せられた上に、
 与えられる食糧といえば、水のようなお粥だけ。
 よくこれで生きていられるものだと、
 我ながら感心しています」
「夜は野ざらしの地面にねせられて」
とまた別の男が言葉をついだ。
「こうして生きていられるのも、
 私たちが目をつぶると、夢枕に仏さまが現われて、
 私たちを守ってくれているからでごさいます」
「仏さまだって?」
と悟空は思わず苦笑を浮べながら、
「そいつは仏でなくて、きっと幽霊だろうよ」
「いいえ、幽霊ではありません。
 あれは仏殿を守る六丁六甲です。
 私たちが死のうとすると、早まってはいけない、
 いまにきっと救世主が現われるから、
 それまで我慢せよ、というのです」
「ふん。
 そんなうまい話ってあるものか。
 私が仏なら、早くこんな世の中から足を洗って
 昇天して来るがいいとすすめるがな」
「でも六丁六甲は、
 いまに大唐国から西方へお経をとりに行く
 三蔵法師の一行がここを通りかかる、
 三蔵法師には斉天大聖という神通無限の大徒弟がいて、
 かならずお前たちを助けてくれる、とこういうのです」

それをきくと、
さすがの悟空もこみあげてくる笑いを殺しかねて、
「ハハハハ。
 俺も満更捨てたものじゃないな。
 俺の行く先々で神や仏が
 無料でPRをしてくれているんだから。
 よしッ」

悟空はくるりとうしろへむきなおると、
またも太鼓を叩きながら、
二人の道上のところへ戻ってきた。
「ご親戚の方はおりましたか?」
と二人はきいた。
「五百人とも私とは親戚だ」
「いくら親戚の多い人でも、五百人はいないでしょう」
と道土たちは笑った。
「ところが、あの五百人をよくしらべてみたら、
 百人は私の左隣り、百人は右隣り、
 百人は父方の親戚で、百人は母方の縁者、
 そして、あとの百人は
 私の義兄弟だということがわかったんだ」
「あなた、少しお脳が弱いんじゃないかね」
と二人は頭をさして、くるくるぱあ、とやった。
「ハッハハハ。お脳はあまり強い方ではないかもしれんが、
 腕っぷしはそう弱い方でもないぜ。
 どうだ。
 五百人みな放してやるかどうか。
 その答えをきかせてもらおうじゃないか?」
「バカも休み休みに言ってもらいたいね。
 この奴隷は皇帝からの賜物で、
 一人逃がしてやった場合だって、
 死んだことにして
 員数を合わせておかなければならないんだよ」
「どうしても放さねえか?」
「放さねえ」
「よしッ。じゃまずお前たちから解放してやるぞ」

悟空は耳の中から如意棒をぬき出すと、
クルリと一廻転して、あっと思う間もなく打ちおろした。
二人の道土がその場で肉団子になってしまったのは
いうまでもない。
「大へんだ。大へんだ」

遠くからそれを見ていた坊主たちは、
たちまち大騒ぎになった。
「とんだことをしてくれた。
 こいつは生命がいくつあってもたりないぞ」
「何をそんなに騒ぎ立てるんだ?」
と悟空はひらきなおって言った。
「あの二人の道士のボスたちは皇帝から国師といって、
 たてまつられている人。
 あなたがそれを殺したと言われても、
 誰もそれを信じないで、
 私たちが暴動を起したのだと言われるにきまっています」
「そうだ。そうだ」
と騒ぎは一そう大きくなった。
「皆さん」
と道士の悟空は声を大にして叫んだ。
「私は道士ではありません。
 私は皆さんを助けにきたんです」
「あなたは私たちを助けに来たんじゃない。
 私たちを窮地におとしいれに来たんだ」
「私は、誰あろう、三蔵法師の大徒弟、
 斉天大聖孫悟空だ」
「いやいや、あなたが斉天大聖なものか。
 斉天大聖はそんな恰好をしちゃおらん」
「お前たちはあったこともないくせに、
 斉天大聖がどんな人相をしているか
 わかる筈がないじやないか」
「ところが夢の中で、太白金星という老人が現われて、
 斉天大聖の姿恰好を詳しく説明してくれました。
 あなたのような恰好じゃない」
「なるほど、なるほど」
と思わず悟空は微笑を浮べた。
PRもこう徹底すると、大したものだな。
しかし、こう人に知られちゃ
うっかり道端で立小便も出来なじゃないか。

悟空は周囲を見まわすと、
「いや。
 実は私は孫悟空ではなくて、孫悟空の弟子だ。
 私の先生の悟空師は、
 ほれ、向うからやって来るじゃないか」

人々が指さされた方向を向くと、
そのすきに悟空はすばやくその方向へすっとび、
何食わぬ顔をして悠々と歩いてきた。
「あっ。斉天大聖だ」
と口々に叫ぶ声。
やっばり猿の恰好をしていなきゃ、
孫悟空は百万人の読者には人気ないと見える。

2001-01-02-TUE

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