毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第七章 コンクール王国

一 夜食狩り


「どうだ。これで俺が誰だか見分けがついただろう」

孫悟空は河原へ出て行くと、
皆の引いていた車を独力でひきずり出してきて、
皆の見ている前でこなごなに打ち砕いてしまった。
それからその上に満載されていた瓦や木材も
ところかまわず蹴散らした。
「さ、皆の衆。
 俺の足手まといにならないように
 どこへなりと行ってしまってくれ。
 俺はこれから国王のところへ乗りこんで行って、
 話をつけてきてやる」
「いやいや」
と坊主たちは首を横にふりながら、
「ここから出て行けと言ったって、
 国境までたどりつかないぅちに、
 ふんづかまってしまいます。
 その時のことを考えたら、
 うっかりここからは動けません」
「ハハハハハ……。
 集中営に入っているうちに
 すっかり飼いならされてしまったな」
と悟空は笑いながら、
「まあ、いいや。
 そんなにこわかったら、お守りをあげることにしよう」

そういって頭から一束の毛を抜くと、
口でかみくだきながら、一本ずつ坊主たちに分けあたえた。
「これを薬指の爪の中へおしこんで、
 拳を握ったまま逃げるんだ。
 どうもなけりゃ、それにこしたことはないが、
 万一誰かにつかまりそうになったら、
 しつかり拳を握りしめて、斉天大聖と呼ぶがよい。
 そうすれば俺が直ちに助けにとんできてやる!」
「ですが、もし遠くに行っていて、
 あなたにきこえなかったら、どうします?」
と皆の衆は言った。
「余計な心配をするな」
と悟空は自分の胸をボンと叩きながら、
「たとえ万里の遠きにいても、
 助けに来ると言ったら、必ず助けに来る」
「ですが、二人が別々のところで、
 同時に窮地におちいったら、どういうことになります?」
「だから、試みに俺の名前を呼んでみろと言っているんだ」

まわりにいた百人あまりの坊主が、一せいに、
「斉天大聖!」
と叫ぶと、見よ、忽ち百人あまりの悟空が、
手に手に如意棒を握って
一人一人のそばへ現われて来たではないか。
「すごい、すごい」

現実に不可能事を眼の前に見せつけられた人々は、
感心するやら、安心するやら。

悟空は皆の者に「寂」という字を唱えさせると、
これは不思議、百人あまりの悟空はスーッと消えて、
人々の手にはもとの通り毛が一本残っているだけ。
「今に国王から
 鄭重な招聘のお布令が出るかも知れないから、
 そんなに遠くまで逃げる必要はないと思うな。
 まあ、その時まで俺の毛は貸しといてやるよ」

悟空に勇気づけられた坊主たちは集中営をとび出すと、
それぞれ思い思いの方向へ散って行ったのである。

一方、三蔵法師の一行は道端で悟空の帰りを待っていたが、
いつまでたっても戻って来ないので、
しびれをきらして馬を西へ進めた。
ちょうどそこへ悟空が
十数人の坊主たちに囲まれて歩いてくるのが見えた。
「悟空や」
と三蔵は馬上から声をかけた。
「一体いままでどこで何をしていたんだね?」
悟空はまわりにいた坊主たちを三蔵にひきあわせると、
これまでのいきさつを手短かに話してきかせた。
「こりゃとんだところへ来てしまったぞ」
と三蔵は青くなって、
「どうすればいいだろうか?」
「ご心配になることはないじゃありませんか。
 天下第一等のお弟子さんを
 お持ちになっていらっしゃるのですから」
と十数人の妨主たちは声を合わせて、
「私どもはこの城下にある智淵寺の坊主でございます。
 ひとまず私どものお寺へお越しをいただいて、
 明日のことはまたそれから
 ごゆっくりお考えになったらいかがでございますか?」
「しかし、さっきここは排他国だと
 言っていたばかりではないか」
と三蔵はきいた。
「いかにもその通りでございます。
 ただ智淵寺だけは勅建のお寺で、
 先王の神像がお祭りしてあるので、
 辛うじて破壊をまぬかれているのです」
すでに陽は西に傾いて、夕闇は目睫にせまっていた。
他に名案もないので、
三蔵は仕方なく僧侶たちのあとについて吊橋をわたり、
城門をくぐって勅建智淵寺へ入った。

山門を入ると、住職が迎えに出て来た。
老住職は悟空の姿を見ると、
「や、あなたは斉天大聖さまではございませんか?」

ここでも太白金星があらかじめ
PRにつとめてくれたおかげで、
悟空はテレビ・スター並みの顔の売れ方である。
「本当にいいところへおいで下さいました。
 もう二、三日、大聖のおいでが遅れたら、
 私どもはあの世へ行っていたかも知れません」
「まあ、どうぞお立ちになって下さい」
と悟空は相手を扶け起しながら、
「明日になれば、何とか目鼻もつくことでしょうから……」

智淵寺の坊主たちは早速、部屋を掃き清めたり、
ご馳走の用意をしたり、
歓迎の陣を張ってくれたことはいうまでもない。

さて、その夜、寝室へ案内されて、
ふとんの上に横になったが、
悟空は心にひっかかることがあって
なかなかねつくことが出来ない。
耳をすますと、遠くで笛や太鼓を鳴らす音がきこえてくる。
「あれは何の音だろうか?」

寝床の中から這いあがって服をきると、
悟空はこっそり部屋を抜け出して夜の空へとびあがった。

見ると、南の方に明りが煌々とともっていて、
笛や太鼓の音はそこからきこえてくるのである。
「ハハン。
 道士どもが夜のおつとめをしているところだな」

悟空が明りのもれてくる方何へ近づいて行くと、
そこは三清観と呼ばれている道士たちの拝殿で、
殿前の黄色い錦の対聯には、

 雨順風調 願祝天尊無量法
 河清海晏 祈求万歳有余年
(てんのめぐみは あめのごとくかぜのごとくすこやかに
 きみがいのちは かわのごとくうみのごとくとこしえに)

と大書してある。
中を覗くと、大広間には
法衣をまとった三人の老道士を先頭に
およそ七、八百人もの徒弟が口々に道徳経を唱えながら、
礼拝を続けている最中である。
「なるほどあの三人が
 虎力大仙、鹿力大仙、羊力大仙と言った面々だな。
 あの中へまぎれ込むのはわけはないが、待てよ。
 騒ぐなら八戒や沙悟浄も呼んで来て、
 派手にやった方がいいな」

そう思いなおすと、悟空は一旦、寺へひきかえしてきた。
しかし、八戒も沙悟浄もすでに前後知らず
ねむりこけている。
悟空は沙悟浄のそばへ近づくと、
いきなりその身体をゆすった。
「おい。これから夜食を食いに行かないか?」
「この夜更けに?」
と沙悟浄はねむそうに眼をこすりながら、
「今頃、まだ店をひらいているところがあるのですか?」
「あるとも。さっき偵察をしてきたんだが、
 この先に三清観というところがある」
「それはおでん屋ですか?
 それともナイト・クラブですか?」
「いやいや、そんな野暮なところじゃない。
 金を一文も払う必要がなくて、
 饅頭も餅も御飯も食い放題と来ているんだ」

夢の中で、
食い放題ときいた八戒は途端にパチリと眼をあけた。
「兄貴。俺をおいてけぼりにするつもりかい?」
「シーッ。そんな大きな声を出したら、
 お師匠さまが眼をさましてしまうじゃないか。
 ご馳走にありつきたかったら、
 だまって俺たちについて来い」

二人は大急ぎで服を身につけると、
これまたこっそり部屋を抜け出して、
悟空のあとにつづいた。

三清観の明りを見ると、
八戒はすぐにも下へおりて行こうとした。
「待て待て」
と悟空は八戒の袖をつかまえ、
「奴らが退散するのを待った方がいいぞ」
「しかし、
 ちょうど興がのりはじめたところのようじゃないか。
 待っているうちに夜が明けてしまうかも知れないぜ」
「だからさ、俺が奴らを退散させて見せてやるよ」

悟空は呪文を唱えて、スーッと口一杯空気を吸い込むと、
力一杯吐き出した。
と、一陣の狂風が捲きおこって、
三清観の花燭は吹き消され、
あたりは暗闇になってしまった。
「皆の衆。今夜はひとまずこれで終ることにしよう」
と虎力大仙が言った。
「明りが消えたのは、
 今夜はこれでやめよという天意だろう。
 あとはまた明日の朝早く起きて続けることにする」

それを合図に
一同はゾロゾロと拝殿からそとへ出て行ったのである。

2001-01-03-WED

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