s
毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第4巻 風餐露宿の巻 第七章 コンクール王国 |
四 誰 の 雨 高さ三丈ほどもあろうかと思われる高い台になっていた。 台のまわりには二十八宿をえがいた旗がずらりと並び、 台の上には机が一つおかれている。 机の上を見ると、真中に香炉があって、 その両側に燭台が立っている。 香炉からは煙が立っており、燭台には火がついている。 虎力大仙は壇上へのぼると、 立ったまま小道士から一枚の呪符と 一ふりの剣を受けとった。 それから剣を握りしめて何やら呪文を唱え、唱えおわると、 呪符を燭台の火に近づけて焼いた。 続いて壇の下でも、 三人の道士が肖像と文章の讃かれた紙を火にくべた。 「バンバン」 突然、香炉のそばに立てかけてあった金牌が鳴った。 と、どこからともなく風がそよそよと 吹きはじめてくるではないか。 「いけねえ。本当に風が起ってきたぞ。いい腕前だな」 と八戒はそわそわしはじめた。 「要らん心配をしないでも、 お前はお師匠さまに気をくばっておればいいんだ」 悟空はそう言って、毛を一本抜いて「変れ!」と叫ぶと、 忽ちもう一人の悟空が現われた。 その偽物をその場に残しておいて、 本物の悟空は早くも空の上へとびあがって行った。 「おい。風を吹かせているのは誰だ?」 悟空の叫び声に、 風袋を背負った風婆々はあわてて袋の口をねじった。 「俺を知らねえか、この俺を?」 「あッ。あなたは斉天大聖?」 「いかにもそうだ。 俺が車遅国を通りかかって、 化け物と求雨競争をやっているのに、 からっ風を吹かせるとは何だ? あの道士のあごひげを動かすほどの風でも吹かして見ろ。 俺は恐妻家じゃないから、髪の毛でも何でも 容赦なくひっつかまえてひきずりまわすぞ」 「わかりました。わかりました」 おかげで折角吹きはじめた風がぴたりとやんでしまった。 「おりろ。おりろ。 風がどこからも吹いて来やしないじゃないか」 と八戒がヤジをとばした。 しかし、道士は少しもあわてずに、金牌を手にとると、 また呪符を焼いて、手でバーンと金牌を叩いた。 すると晴れた空に雲が動きはじめて来た。 「雲を張っているのは誰だ?」 と悟空は叫んだ。 すると、推雲童子と霧郎君が あわてて雲霧の間から顔を出した。 悟空が風婆々に話したことをもう一度くりかえすと、 二人は大急ぎで雲をひきもどした。 「詐欺師、ペテン師!」 と八戒のヤジは次第に大声になってきた。 「太陽はお前の頭のてっべんで照り輝いているぞ。 日射病にかからないうちに早くおりて来い」 さすがの道士も少しあせり気味になって来た。 今度は髪を解いてふりみだし、手は宝剣を杖にして、 呪符を焼きはじめた。 それから三回目の金牌を叩いた。 すると南大門がひらいて、 天君が雷公電母をひきつれてゾロゾロと出て来た。 「ちょっと待った!」 と悟空は声をかけた。 「お前らは道士に買収されて、 情実の雷をおとすつもりか?」 「いやいや、これは正式の命令でございます」 と天君は言った。 「正式の命令だと? 黒い飛行機をとばして気象観測をやったりするのは 陸軍のバカ者が自分らの一存で やっているのかと思ったら、 上部の指令にもとづいているのか? 俺は玉皇上帝を見損ったな。 化け物の肩を持つような玉皇上帝を 俺たちが敵迎するとしたら、 俺たちは世界一のお人好しだろうよ」 「しかし、玉皇上帝は道士の威嚇にびっくりなさって、 出来ることなら道士たちとも うまくやって行きたいと思われたのですよ。 西牛賀洲安全保障機構と一口に申しましても、 色々と思惑があって複雑怪奇ですからね」 そう言って天君は玉皇上帝の勅令を出して見せた。 「よし。それならしばらくそこで待っていてくれ。 今度、俺の番になってから、雷をおとせはいいだろう」 これでは雷の鳴ろう筈もない。 道士はすっかりあわてて、またも香を焚き、 呪符を焼いて四ッ目の金牌を叩いたが、 悟空は中空でまたも四海竜王たちを遮ってしまった。 「さあ、もうすぐ私の番に代るから、皆さん。 ご苦労でも私に一臂の刀をかして、花をもたせて下さい」 「ええ、よろしゅうございますとも。 ほかならぬ大聖のお頼みとあれば」 と四海竜王は快くうけあった。 「ですが、あらかじめ、段取りをきめておかなければ」 と天君が言った。 「私はあの道士のように呪符を焼いたり、 面倒な演出はやらない。 私の合図はこの棍棒だ」 「ぎょっ。 大聖の棍棒の威力はもう我々よおく知っておりますよ」 と雷隊はびっくりして言った。 「ハハハハ。 別にお前らを殴ろうと言っているわけではない。 俺がこの棍棒を握って天高く突きあげたら、 その時は風だ」 「風ですね」 と凰婆々が頷いた。 「二回目に突きあげたら……」 「雲ですね」 と准雲童子と霧郎君が口裏をあわせた。 「わかったな。 三回目は雷で、四回目が雨で、 五回目は一幕の終りだから、 みんな一せいに身をひくんだぜ」 打合わせがおわると、 悟空はまたもとのところへ戻ってきて、 壇上の道士に呼びかけた。 「さあ。先生。 そろそろ選手交替をやろうじゃありませんか?」 道士は苦虫をかみつぶしたような顔をして 壇からおりてくると、階段をあがって国王のそばへ行った。 「今日はまたどうしたのですか? いつもの国師らしくないじゃありませんか?」 と国王は言った。 「私が呼び出しをかけた連中は、 きっとゴルフにでも行っていて役所にいないのですよ」 と虎力大仙は言った。 「冗談を言っちゃいけない。 竜神たちはちゃんと役所にいます。 嘘と思ったら、私が呼んで来て見せましょうか」 悟空がそう言うと、国王は、 「では壇の上にあがってみるがいい」 と命令を下した。 ご前をさがると、悟空は三蔵のところへ行って、 「お師匠さま。ではどうぞ壇上へあがって下さい」 「私が?」 と三蔵は魂消て、 「私には雨乞いをする力なんぞとてもじゃないよ」 「ハハハハ……」 と八戒は笑いながら、 「兄貴はあなたをおとしいれてやろうと 企んでいるんですよ。 雨をふらせることが出来なかったら、 さしずめ火あぶりの刑でしょうからね」 「心配をしないでも、私がお手伝いしますよ」 と悟空は無理矢理、三蔵を壇の上へあがらせた。 「金牌も鳴らさなければ、呪符も焼かないのですか?」 と係りの役人が馬をとばして来てきいた。 「そうだ。我々は祈るだけだ。 祈るだけで、我々の誠意は大に通ずる」 と悟空か答えた。 三蔵は壇上に端坐すると、静かに密多心経を読みはじめた。 読経の声は炎天下でしばらくの間、続いた。 やがて、それが終りそうになると、 悟空は如意棒をとり出して、クルリと一廻転して、 勢いよく天に向って突きあげた。 「それっ」 と凰婆々は風袋の口をひらいた。 と、ひゅうひゅうと風が響き、木も革も騒ぎはじめた。 続いて悟空は二回目の合図をあげた。 「それっ」 と今度は推雲童子と霧郎君が、 二人がかりで雲と霧のべ−ルを空仙ばいにひろげはじめた。 見る見る光は失われ、あたりは暗闇にとざされた。 続いて悟空の第三の合図があがった。 「それっ」 と雷公も電母も怒り絶頂に達した形相になって、 火を吐いたり、太鼓をとどろかせたり。 あたりは忽ち耳を覆うような騒音の巷と化した。 「ついでだ。親不孝者や貪官汚吏を叩き殺して、 見せしめにしてやれ」 悟空が叫ぶと、爆弾のおちるような轟音とともに、 樹や家がめらめらと燃えあがってくるのが見えた。 「雨だ。雨だ」 悟空の突きあげた如意棒の代りに、 人々は天から沛然とおちてくる雨の足に気づいた。 人々の待ちに待った雨であった。 田も畑も樹も屋根も郡大路も雨に濡れ、 久しぷりに喜びの声が巷にあふれた。 雨は朝方からふりはじめ、 正午になってもまだ降りつづいた。 「もう沢山だ。十分だ。これ以上ふると洪水になるぞ」 国王のお声がかかったので、悟空は最後の合図をあげた。 と見る見る雨はやみ、空を覆っていた雲は退き、 その晴間から午後の陽ざしが再び射してきた。 「上には上があるというが、全く大した腕前だ。 降れといえば降るし、晴れよといえば晴れる。 まるで天の気象を 自分で動かしているようなものじゃないか」 国王はいたく喜んで、すぐにも査証を与えようとした。 すると、三人の道士は国王の前にすすみ出て言った。 「陛下に申しあげます。 恐れながら、今日の雨は全部が全部、 坊主の力にょるものではございません」 「しかし、あなたたちが壇上にあがった時は 雨がふらなかったではないか?」 と国王は言った。 「いかにもその通りでございます。 しかし、それは折悪しく風や雲や雷や雨の神様たちが 不在だったからです」 「不在だったということがどうしてわかる?」 「この頃、天界でも休日をふやそうという運動が起って、 ふだんの日でも会社に行かないで ゴルフ場や温泉場へ行くものが多くなったと きいています。 恐らく私が呼び出しをかけた時、 たまそうだったに違いありません。 私の呼び出しがかかって、 あちこち連絡をとって駈けつけてくれば、 ちょうど坊主たちが 壇上にあがった時間になってしまいます」 「ハハハハ……」 と悟空は大声をあげて笑い出した。 「バカも休み休みに言えよ。 大体、地上で休日増加運動が起っているからと言って、 天界までが同じだと思うのは間違いです。 その証拠に、月給頼りが会社をサボっていても、 日月はちゃんと動いて 月給日がやってくるじゃありませんか。 ハッハハハ……」 「この坊主は陛下が何も知らないと思って、 いい加減なことを申しているのです」 と三人の道士は言った。 「いい加減なことを申しているかどうか、 では試してみることにしましょうか」 と悟空は笑いながら言った。 「いま雨をふらせた四海竜王はまだ上空にとどまっている。 何しろ私がかえってもよろしいと言っていないんでね。 もしあなたたちに実力があるのなら、 竜王たちに一日でいいから 姿を現わすようにおっしゃったらどうです?」 思いもよらない申し出に、 三人の道士は眼を白黒させている。 |
2001-01-06-SAT
戻る |