毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第4巻 風餐露宿の巻 第八章 照るにつけ曇るにつけ |
一 坐禅コンクール 悟空の申し出をきいて一番喜んだのは国王であった。 「私は王座についてから今年で二十三年になるが、 竜というものがどんな恰好をしたものか、 まだこの眼で見たことがない。 もっともコンリョウの袖にすがって、 などといって私の袖をひっぱられたことは 再三ならずあるがね」 「そうでございましょうとも」 と悟空はすぐに相槌を打った。 「有徳の士の前でなければ、 竜は滅多に姿を見せないものでございます。 もしあの方たちが宣伝通りの人物であったら、 必ずや竜王を陛下にご覧に入れることが 出来ると思います」 そういって悟空は、 国師をもって自任する三人の道士たちを指さした。 「そうだ。そうだ。 お前たち双方のうちどちらでもよろしい。 竜を呼び出して見せたものに 私は軍配をあげることにしよう」 「竜なんてものは人間の空想の所産物にすぎませんよ」 と三人の中から虎力大仙が進み出て言った。 「空想の所産にすぎないものが 現実に存在するわけはございません。 もしこの山猿が竜を呼び出して見せるというのなら、 ひとつ呼び出して見せていただきましょうか」 「ハハハハ……ではお名指しに従って、 早速、人間の空想の所産とやらを 呼び出してご覧に入れるとしましょうか。 お目にとまったらご喝采ご喝采」 と悟空は国王の前に一礼すると、空を仰いで叫んだ。 「東海竜王。 そこにおいでなら、ひとつ姿を見せてやってくれ、 兄弟たちもみんな一緒にだ。 何しろここの国の人は 自分の眼以外のものは信じないと言っているんでな」 見る見る雲はむくむくとふくれあがり、 やがてそのあいだから一匹の巨竜が姿を現わした。 太陽の光を反射して、きらきらと七色に輝く鱗のまぷしさ。 人々は喝采どころか、我を忘れてその場にひれ伏し、 国王は両手を合わせながら、 「有難うございました。有難うございました。 百姓どもに代って今日のお礼を申しあげます」 「ではおひきとり下さい。 国王は日を改めて 今日の雨のお礼を申しあげるそうですから」 悟空が叫ぶと、竜王たちの姿は次第に視界から遠ざかり、 やがて見えなくなってしまった。 もはや勝敗は明らかとなった。 国王は約束に従って 三蔵一行の関文に査証を与えようとした。 すると三人の道士はあわてて金鑾へやってきて、 国王の前にひざまずいた。 「陛下、お願いがございます」 三人の道士がこんな低姿勢をとったことはこの二十年来、 かつてなかったことである。 国王はびっくりして玉座をおりると、 「さあ、さあ、どうぞお立ち下さい。 話があったら、奥でうかがいましょう」 「陛下」 と虎力大仙はひざまずいたままで言った。 「私どもが陛下のお手伝いをするようになってから これで二十年になります。 この二十年間に、産業はおこり、国民生活は安定し、 デモ隊や政府反対の文化人は 一切かげをひそめてしまいました。 これも私たちが地獄図をこの世に再現して、 もし政府に反対すれば、あの通りになるんだといって “十三階段への道”をつくっておいたからに ほかなりません。 もし陛下が、今日の求雨コンクールで あの山猿か勝ったからと言って 殺人の罪までお許しになったら、 折角、二十年もかかって築きあげたこの新体制は 一挙に崩壊してしまいましょう」 「ほんとにそうです。その通りです」 と鹿力大仙も国王の前に立ちふさがって言った。 「もし陛下が坊主たちの反乱をお見逃がしになったら、 反乱者たちは勢いを得て、 国王の椅子さえひっくりかえしてしまうでしょう。 かの東勝神州の傲来国をごらん下さい。 あの国ではかつて八百万の神々が支配していましたが、 民主主義とやらいう舶来思想を輸入してからは 神の国が紙の国になりさがり、 選挙をやれば紙弾はとぶし、 国会を開くと少数党が廊下に坐りこむし、 国から月給をもらっている大学教授までが 自分たちの米櫃を足蹴にしています。 文筆業者は政府反対の文章さえ書けば 金になるというので、白紙のままで売れば 外国も買ってくれるものを わざわざ汚いインキでよごしています。 陛下はああいう国の方がいいか、 それとも国民が一億一心、 陛下の手先の如く動く国がよろしいと お考えでございますか?」 「もし陛下があの坊主どもをお許しになれば、 物情騒然となって収拾がつかなくなります」 と続いて羊力大仙が口裏を合わせた。 「すでに城下では我々三人の者を打倒しようという空気が 次第に強くなっているときいています。 ご承知のように我々三人は、 この車遅国のためを思って ひたすら力を尽してまいりました。 それなのに人心というものは実に浮気で、 我々の功績を認めずに 我々の足をひっばることばかり考えています。 万が一にも我々の足をひっばることに成功したら、 どうなりましょう? 人民は必ずや陛下の足をひっばるに相違ありません。 我々の最大の庇護者が陛下であることは 誰ひとり知らぬ者はございませんのですから」 三人に口をあわせてかわるがわるおどかされると、 国王はにわかに不安な気持になってきた。 「いったい、私はどうすればいいのか? 私はあの厄介者を片時も早くこの国から出してしまう方が 無難だと考えているのだが……」 「いやいや、それは陛下のお心得違いかと存じます。 あの連中をこのままこの国から出してしまっては 国の名折れになります」 と虎力大仙は言った。 「そんなことをおっしゃっても、 理由なしに足止めをくらわせるわけには 行かないでしょう?」 「ですからもう一度、我々と勝負をさせて下さるよう 陛下にお願い致したいんです」 「勝負をするって、何の勝負をやるのかね?」 「坐禅くらべです」 「坐禅くらべだって?」 とびっくりして国王は言った。 「あの一行は説教をすることと坐禅を組むことを ショウバイにしているんだぜ。 殊に数多い坊主の中から選ばれて西方へ行くからには、 本国で坐禅コンクールの一等賞くらいには なっているかも知れないよ」 「ハハハハ……。ご心配はご無用です。 私のいう坐禅は同じ坐禅でも特異なもので、 一名雲梯顕聖と呼ばれているものでございます」 「何です、そのウンテイケンセイというのは?」 「机を五十脚上へ上へと重ねて行って、 その上へとびあがり、 雲の上で一定の時間を定めて坐禅をくむのです。 但し台の上にあがる時、梯子を使うことも、 手足を使ってよじのぼることも、 反則として禁じてあります」 「なるほど。なるほど。 これならば軽業と忍耐力のコツを兼備したものだから、 いかに忍耐力のある坊主でも 最初のところでひっかかってしまうだろう」 国王は折角ハンコをついた関丈を またしまいこんでしまうと、 坐禅くらべをやるように三蔵の一行へ申し伝えた。 それをきいた悟空は腕組をしたまま、 ウンともスンとも答えない。 「おい。兄貴。何だって返事をしないんだ?」 と八戒が脇から口を出した。 「あいつらずいぷん考えやがったよ」 と悟空はいまいましそうにつぷやいた。 「海をひっくりかえして見せろ、山を背負って歩いて見ろ、 いや、自分の頭を叩きわって 脳味噌を出して見せろってのなら、 俺は二つ返事でひきうけるが、 坐禅ときちゃやらないうちから 俺の負けときまったようなものだ。 お前も知っての通り俺はじっとしておられない性で、 たとえクサリでしばりつけられたって おとなしく坐っちゃいないんだからな」 「坐禅ならば私に出来るよ」 と三蔵法師が口をひらいた。 「本当ですか。そいつは有難いぞ」 と悟空は、たちまち喜びの声を立てた。 「ですがお師匠さまはどのくらいの時間 坐っておられますか?」 「私は子供の時から修練を積んでいるから、 そうだな、二、三年くらいなら大丈夫だろう」 「二、三年だって」 と悟空は目を丸くして驚いた。 「お師匠さまに二、三年も坐り込まれちゃ、 お経をとりに行くのは とりやめるよりほかなくなりますよ。 そんなに長くなくても精々二、三時間もやれば 沢山なんです」 「だけどね、悟空や」 と三蔵は頭をふりながら、 「忍耐力なら私にも持ち合わせはあるけれど、 軽業というのはあいにくと練習したことがないんだよ」 「大丈夫です。 私が台の上まで押しあげてさしあげますから。 あすこへ行って、ひきうけたと言ってきて下さい」 三蔵は言われた通り、前へ進み出て、両手を合わせると、 「でほ私がお相手を致しましょう」 と言って頭をさげた。 国王は直ちに命令をくだし、ものの三十分もすると、 金鑾殿の左右に机を高々と積にあげた 二つの坐禅台が出来あがった。 階段の中ほどに立っていた虎力大仙は ひょいととびあがると、 たちまち雲にのって西側の台上へ移った。 それを見ると、悟空もこっそり毛を一本抜いて 偽者をその場に立たせると、自分は五色の雲となり、 あれよあれよと思う間に、 三蔵を東側の台の上に押しあげた。 そして、今度は一匹の虻に化けると、 八戒の耳元へおりてきて、 「おい。八戒。 お前のそばに立っているのは偽者だから、 あんまり話しかけないでくれよ」 「わかったよ。わかったよ」 話しかけている人の姿は見えないのに、 八戒はしきりにかぶりをふっている。 |
2001-01-07-SUN
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