毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第八章 照るにつけ曇るにつけ

三 賭けるなら生命まで


そこへ文華殿で休養をとっていた虎力大仙がもどってきた。
「陛下。驚くことはありませんよ。
 奴らは物をかえる術を持っているだけのことです。
 ですから物をかえる術を封ずれば、
 きっと奴らの術を破ることが出来ましょう」
「それにはどうすればいいのだね?」
「わけはありません。
 物の代りに人間を入れておけばいいのです。
 この道童を入れておけばいくら奴らが腕ききでも
 物にかえることは出来ない筈です」
「なるほど。なるほど」

国王は早速、小さな道士をつづらに入れると、
またも三蔵の前へ持ち出してきた。
「おや。また出てきたよ。
 ここの国の人は何てまあクイズ気違いなんだろう。
 何度負けても懲りずにまた出してくるんだから……。
 お前、早く行って見てきておくれ」

三蔵は二度あることは三度あるとばかりに、
すっかり安心しきっている。

悟空が言われた通り、つづらの隙間から中へ入ると、
今度は生きた人間だったから、ちょっとびっくりした。
しかし、悟空はすぐに頭を働かせた。
揺身一変、たちまち老道士の姿に化けたのである。
「おや、お師匠さまではありませんか?
 どこからおいでになったのですか?」
と虎力大仙の姿に気づいて小道童はきいた。
「ハッハハハ……。
 お前には真似の出来ない方法でだよ」
「何か私に用事でございますか?」
「そうだ。
 実はあの坊主はお前がこの中に入るところを見たらしい。
 もし道童が入っているとあてられたら、
 こちらの負けになる。
 だから大急ぎで小僧に早変りする必要があるんだ」
「もし三度も負けたら、それこそ大へんでございますね」
「その通りだ。
 何としてもわしらは勝たねばならぬ。
 だからお前、こっちにおいで」
悟空は如意棒をとり出して剃刀にかえると、
子供を腕に抱きかかえて、
「痛くとも歯を食いしばって我慢をするんだ。
 うまく今度の勝負に勝ったら、
 お前にはうんとご褒美をやるからな」

たちまち坊主頭が出来あがると、
「さあ、お次は着ているものだ。早く服を脱げ」

道童の着ていた道土服を剥ぎとるようにして、
これに息を吹きかけると、
道士服はたちまち僧服にかわった。

悟空はさらに毛を二本抜きとると、
素早く木魚にかえて、小僧の手に握らせた。
「道童出て来いと言われても絶対出て来たらいかんぞ。
 その次に小僧出て来いと声がかかったら、
 蓋を押しあけて木魚を叩きながら出てくるんだ。
 それからお経は読めるか?」
「三官経や北斗経なら読めます」
「バカ、それは道土のお経じゃないか。
 じゃ念仏を唱えることは出来るか?」
「ナムアミダブツですか?」
「まあ、いいや。それでよしよし。
 じゃ、わかったな。言った通りにするんだぞ」

悟空はつづらの中からとび出すと、
いそいで三蔵の耳元へもどって行った。
「お師匠さま」
「お前、遅いじゃないか。
 私はハラハラしてしまったよ」
「いや、ちょっと細工に手間どってしまったものですから」
「中身は何だった?」
「小僧だとおっしゃればよろしいんです」
「今度こそ勝ったぞ」
と三蔵はニコニコ顔になった。
「お師匠さまにしては珍しく自信たっぷりですね」
「だって、お前。
 “仏、法、僧、三宝ナリ”
 とお経にも出てくるじゃないか。
 僧ならボロと違って、宝に違いはないからね」

そう言っているところへ、虎力大仙が進み出て、
「陛下。下に入っているのは道童でございます。
 ──おい。出て来い」

呼べども蓋はピクリとも動かない。
三蔵は両手を合わせると、
「中に入っているのは小僧でございます」

八戒も一緒になって、
「おい。小僧。何を愚図愚図している。
 早く出て来んか!」

すると、蓋があいて、中から木魚を叩きながら、
一人の小僧が現われてくるではないか。
居並ぷ文武百官たちはドッと歓声をあげ、
拍手喝采はいつまでたっても鳴りやまない。
「さあ。こうなったら、最後の手段だ」
と虎力大仙は叫んだ。
「陛下。もう一つ私どもにやらせて下さい」
「今度は何をやるんだね?」
「我々三人はいずれもかつて鍾南山で修行を積んだので、
 武芸についてはいささかの心得がございます」
「武芸と言っても色々あるだろう?」
「その通りでございます。
 我々は自ら頭をはねて
 その頭をまた身体にくっつけることが出来ます。
 腹を切って内臓をとり出して
 またもと通りしまいこむことが出来ます。
 また油の沸いている鍋の中へ入って
 身体を洗うことも出来るのです」
「ほお。そんなことをしたら
 生命がいくつあっても足りないではないか?」
「我々は自信があって言っているのです。
 ですから陛下、どうか、奴らにもそれをやらせるよう
 お命じになって下さい」
それをきくと、
虻になっていた悟空はすぐもとの姿へもどって、
「アッハハハ……。
 やっと鴨が葱を背負ってやって来たぞ。
 アッハハハハ……」
「兄貴。そんなに笑って大丈夫なんですか?」
と沙悟浄が心配になってきいた。
「そうだな。
 あんまり笑うと腹の皮が痛くなるかも知れないな。
 どれ。今度は俺がひとつ
 相手になってやるとしようか?」

悟空はそう言って、国王の前へ進み出ると、
「陛下。首をはねるくらいのことなら、私にも出来ます」
「ほお。どうしてそんなことが出来るんだね?」
「小僧をやっていた頃、旅の坊さんが教えてくれたんです。
 うまく行くかどうかやって見たことはありませんが……」
「あれは少し頭が足りんのじゃないか。
 頭と胴体が離れれば
 どんなことになるかも知らないらしいからな」
と国王は笑った。
 国王は親衛隊員三千人を両側に配置すると、
「では和尚から先にはじめるがいい」
と命令を下した。
「ああ、結構でございますとも」

悟空は笑いながら、虎力大仙に向かって、
「ではお先に失礼!」
「お前、本当に大丈夫なのかね?」
おろおろしながら袖をひっぱる三蔵をふりはなすと、
悟空は悠々と屠殺場の中へ入って行った。
死刑執行人は彼の体に縄をかけ、
高くなった大の上に連れて行く。
「えいッ」
と一声。
ぽろりと頭はおちて、
西瓜のように三、四十歩向こうへころがって行った。
しかし、悟空の首なし胴体から血が出ないのみか、
肚の中から声が出てきて、
「頭よ。かえって来い!」
と叫んでいる。

あわてたのは鹿力大仙である。
すぐ呪文を唱えて土地神を呼び出すと、
「頭をかえすな。ひっぱっておくんだ」

何しろこの土地では土地神までが道士の子分だから、
頭はまるで根が生えたようにいくら呼んでも
かえって来ない。
悟空は癇癪をおこして、
「かえって来ないなら、あんなものいらねえや」

やにわに身体をしばっていた縄をたちきると、
両手を斬られた首の中へつっこんで、
もう一つの頭をひっぱり出した。
いやいや、観衆は驚いて目を白黒させている。

国王はもはやこれまでと、関文をとり出すと、
「さあ。これをかえすから、
 早くどこへなりと行ってしまってくれ」
「いや、どうも有難うございました」
と悟空は国王の前へ進み出て行った。
「ですが、これは競技でありますから、
 国師にもひとつ同じことをしていただきましょう。
 それまではここを動くわけにはまいりません」
「大国師。
 あの坊さんはあなたを離さないと言っておりますよ」

国王がそう言うと虎力大仙は仕方なく刑場へあがって、
さっき悟空がやったように身体をしばられるに任せた。
やがて死刑執行人は刀をふりあげた。
頃合を見て悟空は毛を一本抜いた。
と、突然、一匹の黄毛の犬が現われて、
台の上からころがりおちて来た首をくわえて
遠くへ走り去ってしまった。

何しろ虎力大仙には
悟空のように胴の中からまた首をひっばり出す技術がない。
呼べど叫べど、
頭はかえって来ず、雨を呼ぶ力をもったこの化け物も
とうとうその場にくたばってしまった。
見ると、それは一匹の老虎であった。

国王はすっかり度胆を抜かれて生きた心地もしないでいる。
「陛下。落着いて下さい。
 あれは坊主たちがあんな姿にしたに違いありません。
 こうなったら、どうしても奴に腹を切らせて、
 兄貫の仇をとってやります」

そう言われた国王はいくらか心をおちつけると、
直ちに次の試合を命じた。
「ちょうどいいや。
 俺はこの二、三日どうも腹の虫が
 ぐずぐず言っていたところだから、
 少しそとへ出して新鮮な空気でも吸わせてやろう」

悟空はカラカラ笑いながら、
さっきの台のところへ歩いて行った。

2001-01-09-TUE

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