毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第4巻 風餐露宿の巻
第八章 照るにつけ曇るにつけ

四 死ねばわかる


悟空は足と首をしばられたが、
手はしばられることを拒否した。
サムライのように
自分の手で自分の腹を切ることを主張したのである。
彼は短刀を手にとると、腹の皮を真一文字に切った。
それから腸をとり出し一本一本さすって、
またもと通り腹の中へおしこんでケロリとしている。

国王は魂消て、ふたたび関文を手に捧げてかえそうとするが
悟空はうけとろうとしない。
「これは私と関係のないことですよ」
と国王は鹿力大仙に向って言った。
「あなたたち二人の間で言い出したことですから、
 二人の間で話し合いをして下さい」
「大丈夫ですよ。
 私は決して負けるようなことはありませんから」

鹿力大仙も悟空のように大手をふって台上にのぼると、
自分の手で自分の腹を切り中から腸をとり出した。
ところが、そこへ悟空の毛が化けた鷹が
サッととびおりてきて、
五臓六腑をさらっていずこへともなく消えてしまった。
どっとその場にぶっ倒れたのを見ると、
真白な毛に覆われた一匹の鹿である。

国王は報告をうけるとますます驚いた。
「これもあの坊主たちの魔法によるものに相違ありません。
 陛下、どうかあの山猿を油の中にお入れになって下さい」
と羊力大仙はコンリョウの袖にすがりついて言った。

やがて大きな鍋が運び込まれてきた。
国王が試合を命ずると、悟空はすぐに、
「私は一番風呂の方が気持がいいから、
 おさきに入れてもらいますよ」

油鍋というのは
前にも鎮元大仙の五壮観で体験したことがあるから、
三蔵も八戒も沙悟浄も安心して見ている。
「一体、天プラ鍋にするんですか、
 それともチャンコ鍋にするんですか?」

油がわきはじめると、悟空がきいた。
「天プラ鍋、チャンコ鍋とはどう達うんだね?」
と国王はきいた。
「天プラ鍋というのは、
 服を脱がないでコロモを着たまま
 沸騰している油の中へとびこむんです。
 その代りコロモを油でよごしたら負けです。
 チャンコ鍋というのは、
 フンドシ一本になって中へとびこみ、
 上手投げでも揺り戻しでも二枚蹴りでも自由自在です」

悟空が説明すると、国王は羊力大仙の方を向いて、
「どちらにしますか?」
「天プラ鍋だと、
 コロモに薬を使うことも考えられますから、
 チャンコ鍋がいいと思います」
それをきくと、悟空はただちに服を脱ぎすて、
「ではお先に失礼」
と言いざま煮えたぎる大鍋の中へとびこんで行った。
「兄貴には全く舌を捲いたな」
と八戒は大きな声で言った。
「ふだん、いつもお前、俺でつきあっているから
 大した奴じゃないと思っていたが、
 なかなかどうして、煮ても焼いても食えねえとは
 こんな奴のことをいうんだろうな」

八戒は心から感心しているのだが、
鍋の中の悟空はまたしても
八戒があざ笑っているのだと勘違いしたらしい。
「俺がこの通り三面六腎の大活躍をしているのに、
 奴はいつも批評家面をしやがる。
 よし。ひとつおどかしてやれ」

油の中へ入った悟空はぶくぶくとしぶきを立てると、
一本の釘になってそのまま底に沈んでしまった。
「陛下。あの小僧は油で煮え死んだようでございます」

油炊きの役人が報告すると、
国王は大喜びですぐに死骸をとり出すように命じた。
しかし、鉄の笊でいくらすくっても、
ちっぽけな釘が笊の目にかかってくるわけがない。
「どうもすっかり溶けてしまったらしく、
 骨すらも見当りません」
「それでは残りの三人を捕えて来い」

役人たちが三人に縄をかけようとすると、
三蔵は思わず声をはりあげて、
「陛下、お願いでございます。あの弟子は
 これまで私のために尽してくれた弟子でございます。
 今、不幸にして油の中で死んでしまいましたが、
 先に死んだ者が先に仏になるとあれば、
 どうか私にお経をあげるだけのひまを与えて下さいませ。
 それが終われば、あとはどうなろうと
 思いのこすことはございません」
「さすがは東方の君子国の人だ。
 そのくらいのことなら許してやろう」

国王から許しが出たので、
三蔵は八戒と沙悟浄を連れて鍋のそばへおりて行った。
「悟空よ」
と三蔵は両手を合わせると、
しんみりとした口調になって言った。
「お前が仏門に入ってからこの方、
 私をここまで護って来てくれたことを
 私は忘れることは出来ない。
 これも道の大成を願う一心からであったが、
 お前が志半ばにしてあの世に行ってしまうとは
 誰が予期しただろうか?
 生きてはひたすら仏の道を行い、
 死んでのちもなお仏の心を忘れない。
 そういうお前の魂はきっと万里を越えて
 必ずや必ずや極楽浄土へ到達するだろう」

それをきくと、八戒が脇から口を出した。
「お師匠さま。
 そんなどこの葬式でもしゃべるようなお悔みじゃ
 悟空兄貴には似合いませんよ。
 ひとつ私にあとを続けさせて下さい」

八戒はみずから鍋のそばへ進み出ると、大きな声で、
  人騒がせな山猿め!
  無知蒙昧の馬丁め!
  お前のような奴は
  くたはるのが当り前だ。
  天プラになってちょうどいい。
  くたばれ! ボケ猿め!

油の中でいい気持になっていた悟空はそれをきくと、
カッとなってとびあがってきた。
「何を抜かすか。この糠食い野郎」

悟空の無事な姿を見ると、
三蔵はホッと胸を撫でおろしながら、
「ああ。お前、あんまりおどかすものじゃないよ」
「ハッハハハ。
 俺の睨んだ通りだ。
 兄貴は悪口を言う奴がいる限り
 決して死にゃしないんだからね」

役人は生きかえった悟空の様子に驚いて
すぐ国王のところへ駆けて行ったが、
さっき死んだと言った手前、
いまさら生きていたとも言えず、
「死んだことは死んだのですが、
 幽霊になって出て来ました」
「何を!」

それをきくと悟空は目をむいて、
「幽霊かどうか、この痛棒を味わった上で言え」

耳の中からとり出した如意棒で一叩きに叩きおろしたから、
哀れ、役人は見るかげもない
団子になってしまったのである。

国王は驚いて椅子からたちあがると、
その場から逃げ出そうとした。

その袖を悟空がつかまえた。
「陛下、お逃げになってはいけません。
 まずあの男に油の中へ入るように
 お命じになって下さい」

やむを得ず、国王が命令を下すと、
羊力大仙は服を脱いで油の中へ入った。
悟空はすぐ鍋のそばへ近づいて
薪をもっとくべるように言ったが、
よくよく見ると油は冷えている。
「おやおや。おかしいぞ。
 俺の時はたしかに煮えたぎっていたのに、
 今は冷たくなっている。
 さてはどの竜王かが
 こっそり助太刀をしているに違いない」

悟空はその場で呪文を唱えると、北海竜王を呼び出した。
「このムカデのなりそこない奴!」
と悟空は怒鳴りつけた。
「俺の味方をしないで、俺の敵にまわるつもりか」
「と、とんでもございません」
と北海竜王はあわてて言った。
「大聖はご存じないかもしれませんが、
 こん畜生らは小茅山でハラキリやクビキリの術を覚え、
 これまで多くの人間をたぶらかしてきましたが、
 いまその報いをうけているところです。
 この電子冷凍の術も、
 こいつが自分で発明した半導体を使ったもので、
 私らの力をかりているのではございません」
「電子冷凍の術とは何だ?」
「フレオン・ガスを使わないで、
 電子の流れを一定させるだけで
 熱を放散する仕掛けらしいです。
 よくわかりませんが、
 とにかくこいつらのおかげで我々の権威は大矢墜ですよ。
 何しろ自然の力をかりないで、
 酒まで合成でつくるというふとい奴らですからね」
「こいつを破る方法はないのか?」
「破るだけなら簡単ですよ。
 奴の持っている冷凍装置をとり去ればいいのですから」
「それじゃすぐとり去ってくれ」
「承知しました」

北海竜王が一陣の風と共に
鍋底に入れられた冷竜をつかまえて行くと、
鍋はふたたび沸騰しはじめ、
羊力大仙はたちまち羊の丸揚げになって
油の表面に浮いて来たのである。

さしも暴政をふるって天下を震駭させた
車遅国の寡頭政権も、ここに滅んでしまった。
しかし三匹のケダモノに支配されなれた国王は、
ファッショから解放されて喜ぷかと思いのほか、
顔を覆って泣きじゃくっている。
「なぜお泣きになるのでございますか?」
と三蔵はいたわるように言った。
「あなたの国を支配していたのは
 虎や鹿や羊の化け物だったのですよ。
 ごらん下さい。あの死骸を!
 生きている時は人間のような恰好をしていますから
 見分けるのは容易ではございませんが
 死ねば誰でもその正体を見ることが出来るものです。
 人間のような恰好をしているからと言って
 すべての人間の恰好をしたものが
 人間であるとお思いになってはいけません」

城下にはすでに解放された僧侶たちが集まってきていた。
人々は口々に斉天大聖万歳を唱えている。

悟空は僧侶たちから貸した毛をかえしてもらうと、
すぐ王宮へ戻ってきた。

国王は三蔵に励まされ、教えられ、
やっと気持をもちなおしたらしい。

三蔵法師の一行に、長くこの国にとどまって
国政を助けてくれるように懇願したが、
もとより彼らをいつまでもひきとめておくことは出来ない。
「天子という言葉もあるように、
 国王はたとえて見れば、太陽のようなものですよ。
 照るにつけ曇るにつけ、
 人民から忘れられておられるような在り方が
 一番よろしいですね」

そんな言葉を残して、
三蔵はふたたび旅に出ることになった。

(つぎは「色は匂えどの巻」)

2001-01-10-WED

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