毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第五巻 色は匂えどの巻 第一章 早い雪 |
二 インスピレーション大王 三蔵が上座に坐り、その両側に弟子どもが坐り、 老人が下座に坐った。 そこへまた一人、 別の老人が手に杖を握って奥から出てきた。 「化け物がやってきたと?」 とその老人は言った。 「いや、兄さん。化け物じゃありません。 東土から西方へお経をとりに行く和尚さんの一行です」 と、さきの老人が三蔵や弟子たちを紹介した。 老人は安心して杖をおろすと、四人の挨拶にこたえ、 早速、下男たちに命じて食事の用意をさせた。 「ご老人は何という姓でございますか?」 と三蔵はきいた。 「私は陳と申します」 と年寄りの方が答えた。 「おや、それでは私と同じ姓ですね?」 「あなたも陳姓でございますか?」 「ええ、僧門に入る前は私も陳を名乗りました」 共に陳姓だと知ると、俄かに親近感が深くなってきた。 「時に今日の斎事は何だったのでございますか?」 と三蔵がきいた。 「言わずと知れたこと。 斎事には青苗斎、平安斎、了場斎の三つがあると、 お師匠さまは教えて下さつているじゃありませんか? その中のどれかにきまっていますょ」 と脇から八魂が嘴を入れた。 「いや、いや」 と老人は首をふった。 「私がさきほどやっていただいたのは 預修亡斎と申すものでごぎいます」 「ハッハハハハ……」 と八魂は笑い出した。 「我々は天下をあまねく渡り歩いてきたが、 あなたのような斎事をやる人にははじめて出会った。 斎事にはうちの師匠の教えてくれたもののほかに 預修寄庫斎と預修填還斎というのがあることは 私も知っていますが、 人の死なないうちに死を予定する斎事なんて、 そんなおかしなものがあるものですか?」 「八戒の奴、自分の衒学ぷりを見せびらかさないと 気がすまないと見えるな」 と悟空は内心、軽蔑しながら、 「預修亡斎とはどんなものでございますか?」 ときいた。 「それよりも、 さっき、あなた方は西方へ行くとおっしゃいましたが、 どうして天下の公道を歩かないで、 私たちのところへおいでになったのですか?」 と逆に老人の方がききかえした。 「公道を歩きましたよ。 そしたら河へぶっつかりましてね、 簡単に渡れそうにもないので どうしようかと考えていたら、 笛や太鼓の音をきいたので、こちらへやってきたのです」 「じゃ河のふちまでは行ったのですね。 何かお目にとまりませんでしたか?」 「通天河という石碑にぶっつかりました。 径過八百里、亘古少人行と書いてありました」 「あすこからもう少し上の方へ行くと、 霊感大王廟というのがありますが、 そこへは行きませんでしたか?」 「いいえ」 と悟空は答えた。 「霊感とはまた大袈裟な名前ですね。 そこへお参りすると、 何か素晴しいインスピレーションでも 湧いてくるのですか?」 すると、二人の老人は途端に顔を覆って泣き出した。 「どうなさったのですか?」 とびっくりして三蔵はきいた。 「どうか、きいて下さい。和尚さま」 と老人は涙ながらに、 「この村に雨をふらせ、 雲をもたらす力をもっているのがあの霊感大王なのです」 「雨をもたらす大王なら結構じゃありませんか?」 「ええ、雨をふらせてくれるだけならよろしいのですが、 でも代償を要求するのです」 「駅の有料便所ときたら、 小便を垂れるのにも銭を払わなきゃならんのですよ」 と八戒が言いかえした。 「雨をふらしてもらって銭は払わないですませようなんて、 そんな了簡はいけませんや」 「銭ならばいくらでも払います。 ところが銭だけでは勘弁してくれないから 困っているのです」 「人をとって食うとでも言ぅのかね?」 と悟空が話をまぜかえした。 「その通りなんです」 とすかさず老人たちはうなずいた。 「それも子供をとつて食べるんです」 「とうとうそれが お宅の番にまわってきたというわけかね?」 「ええ、ここは陳家荘と申しまして、 車遅国に属しています。 百戸ほどの家がありますが 毎年一回、大王廟のお祭りがあって、 男の子を一人と、女の子を一人と、 合わせて二人供えなければならないんです。 でないと、 それこそどんな災いがふってくるかわかりません」 「で、お宅には何人、坊ちゃんがいられるのですか」 「ああ、ああ」 と老人は胸をかきむしるようにして叫んだ。 「何人どころか、たったの一人もいないんですよ」 「一人もいなければ、安心じゃありませんか?」 「ところが娘が一人いるんです」 と老人は言葉をついだ。 「私は陳澄と申しまして、今年六十三歳、 この弟は陳清と申しまして五十八歳、 二人とも子供運にはあまり恵まれませんで、 五十歳になってもあととりがなかったのです。 そこで親友たちにすすめられてメカケをもらい、 やっと女の子が一人生まれました。 ことし八歳になり、名前を一秤金とよんでおります」 「一秤金とは、またえらく値のはったお名前ですな」 と八戒が言った。 「ええ、何しろ子供欲しさに、 私は道をなおしたり橋をかけたり、 お寺を建てたり致しましてね、 その度に帳簿に記入して行ったところ、 ちょうど、寄附金が黄金にして三十斤に達した時に、 女の子が生まれたのです。 三十斤を一秤と言いますから、 一秤金と名づけたのでございます」 「なるほど。で、弟さんの方も子供がおいでなんですか」 と悟空がきいた。 「弟にも一人、息子がございます。 陳関保と申しまして、今年七歳になります」 「閑保とはこれまた変ったお名前ですな」 「ええ、弟にも子供がいなかったので、 関帝廟に願かけをしてやっと生まれたのです。 私ども兄弟は二人合わせて百二十一歳になりますが、 子供といえば、この二人っきりなんです。 それなのに、とうとうお供えの番が 私どものところへまわってきたのでございます」 涙ながらに語る話をきくと、三蔵法師も一緒になって、 「黄梅がおちないで青梅がおちる、 とむかしの人も言っているが、 本当に天は子供運に恵まれない人には つれないものですね」 「まあ、待って下さい、お師匠さま」 と悟空は笑いながら、 「ところでちょっとお尋ねしますが、 お宅はお見受けしたところ 相当財産もおありのようですが……」 「え、水田は四、五十頃、畑は六、七十頃、 草地は八、九十カ所、 牛も二、三百頭は飼ってございます。 生活の上ではまあ 不自由をするようなことはございません」 「不自由をするどころか、それだけあれば大地主ですよ」 と悟空は言った。 「しかし、また何だって、 金で解決しようとはなさらないのですか?」 「金で解決すると申しますと?」 と老人は鸚鵡がえしに言った。 「ああ、もしうちの娘が誘拐魔に誘拐されたのなら、 そして、金を要求されたのなら、 私はもちろん警察へ知らせたりしないで、 たとえ家を売ってでもすぐお金をもって行きますよ。 でも霊感大王は金だけでは承知してくれないのです……」 「金で承知をしないなんて、 そんなアホウなことがあるとは考えられん」 と八戒が口を出した。 「きっとあなたたちがしみったれた条件を出すからですよ。 西洋のコトワザにもあるじゃありませんか、 “金に買収されない者はいない。金額の問題にすぎん” と」 「ああ、もし霊感大王が洋行でもして、 少しそういう風習に馴染んでくれていましたらね」 と老人は首をふりながら、 「でも霊感大王は札束で頼っぺたを撫でられても、 少しも心を動かしてくれないのです」 「そいつは霊感じゃなくて、不感症だ」 と八戒はまた言った。 「不感症なら、産婦人科のお医者にかけるに限る!」 「お前はだまっておれ」 と悟空が怒鳴りつけた。 「それよりもご老人。 もし霊感大王とやらが 生身の人間でないと承知しないと言うなら、 生身を売ろうという人間もいるでしょうから、 百両なり五十両なり奮発して 代りの者を募ればよろしいじゃありませんか?」 「ところが、それでは駄目なのです。 何しろ霊感大王はしょっちゅう このあたりをうろついていて、 子供たちの顔をよく覚えています」 「霊感大王というのは、どんな恰好をしているんだね?」 「生憎と誰一人、その姿を見た者がございません。 ただ彼がくる時は、一陣の風が吹いてくるので、 それとわかるのです。 何しろこの村で何時どこの家で誰が生まれたか 全部知っているので、 全く同じ風貌で生年月日まで同じという子供を さがし出してくるのは、 たとえ千万両積んでも不可能でございましょう」 「なるほどね」 と悟空は頷きながら、 「まあ、いいさ、いいさ。 それよりもまず息子さんをここへ連れて来て、 私に見せて下さいませんか。 何かいい考えがあるかも知れませんから」 言われて、陳清はすぐ奥へ駆けこんで行った。 |
2001-01-12-FRI
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