毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第五巻 色は匂えどの巻 第一章 早い雪 |
三 身代り供養 やがて陳清老人は小脇に息子の関保を抱えて出てきた。 子供は何も知らないから、 両手に果物を持って 嬉しそうに明りのそばをはねまわっている。 それを見ると、悟空は口の中で呪文をとなえながら、 揺身一変した。 と、たちまち、全く瓜二つの子供が現われて、 同じように明りのまわりをはねまわりはじめた。 篤いた老人たちはその場に尻餅をついてしまった。 「ああ、ああ。 どうかやめて下さい。 元の姿へもどって下さい」 悟空は自分の顔を一撫で撫でると、 また元の椅子へ坐りなおした。 「どうです? お宅の坊ちゃんによく似ていましたか?」 「いやはや、あなた様にそんな神通力がおありとは 想像してもおりませんでした。 顔形といい声といい、着ている服といい、 そっくりでざいます」 「寸分違わないというほどではないかもしれないがね、 身代りにお供えに連れて行っても大丈夫ですか?」 「大丈夫です。大丈夫です」 「それならば私があなたの坊ちゃんの代りに、 霊感大王のところへ行ってさしあげようか」 「もしそぅしていただけましたら」 と陳清老人はその場に膝をついて、 「私は白銀一千両を路銀として あなたのお師匠さまへさしあげたいと思います」 「お師匠さまにまいないして、 この私にはお礼を言わないのかい?」 と悟空は言った。 「あなた様が身代りになって下されば、 もうあなた様はおいでになりませんから」 「どうして、おいでになりません、ときめてかかるのだ?」 「大王があなた様を食べてしまいます」 「この俺を食べる? 食べられるものなら食べてみろだ」 「しかし、あの大王は生臭いと言って箸をおくような、 そんなお上品な男じゃございませんよ」 「いいさ。いいさ」 と悟空は笑いながら、 「もし不幸にしてこの俺が 奴の胃袋の中に入ってしまったら、 天命尽きたと思ってあきらめることにしよう。 しかし、もしうまく食われないですんだら、 その時はあなたの財布の不仕合わせだよ。 アッハハハハ……」 「いいえ、 私はお金の出し惜しみをするような男ではございません。 もしあなた様がご無事でありましたら、 その時はあなた様にも五百両さしあげることを お約束致します」 陳清はようやく愁眉をひらいて、 しきりに悟空の前に頭をこすりつけるが、 もう一人の老人の方は門の扉によりかかったまま、 しきりに涙を流している。 すぐそれに気づいた悟空はそばへ近つくと、 「ご老人、 あなたもお嬢さんを手離すには忍びないご様子ですね」 「ああ。どうして娘を手離すことが出来ましょう。 甥を助けていただくのはまことに有難いのですが、 私にも娘はたった一人しかいないのです」 と老人は涙ながらに言った。 「それならば、今すぐお宅へ戻って、 お米を五升ほど炊いて、ある限りのご馳走をつくって、 あの口の長い先生にふるまってやりなさい。 そうしたら、あの先生が あなたのお嬢さんの身代りになってくれますよ」 「おいおい兄貴」 と、それをきいた八戒はすっかり驚いて、 「自分の生命じゃないからと言って、 俺の生命の安売りをするのはひどすぎるよ」 「しかしな、八戒。 俺だってタダの飯は食わないと むかしから言われているじゃないか。 我々はここの家へやって来て さんざんご馳走になっているのに、 今更知らぬ顔の半兵衛を きめこむわけには行かないだろう」 「そりゃそうだけれど、俺は役者じゃないから、 化けるのは上手じゃないよ」 「そう謙遜することはないさ。 お前だってなかなかの役者だってことは 観客がご存じだぜ」 「悟空のいう通りだよ」 と三蔵も口添えをした。 「一つにはご馳走になった御礼をすることにもなるし、 二つには大豚役者の名声をあげる絶好のチャンスだ。 今夜はどうせあいているんだから、 一芝居打って見るのも悪くはないだろう」 「ですが、私に主役は無理でございますよ。 私は山だとか木だとか石だとか背景に化けることなら 出来ないことはございませんが、 いくら何でも女の子は無理でございます」 「八戒のいうことは額面通りにうけとってはいけません。 さあ、すぐ行ってお嬢さんを連れていらっしやい」 悟空にそう言われた陳澄老人は急いで奥へひっこむと、 やがて一秤金を抱いて出て来た。 見ると、花も恥じらう可愛らしい小娘で、 頭には美しい冠をいただき、 身には緞子のきらきら光る服をつけている。 「おい。八戒」 と悟空は八戒の肩をつついて、 「あの通りに化けれはいいんだ」 「とてもあの通りには行かないよ」 「つべこべ言うな。 早くしないと、 如意棒の奴が誰かの尻へとんで行きたいと いらいらしているぜ」 「わかったよ。今すぐに化けてみるから」 八戒は呪文をとなえながら、頭を何回かふると、 どうやら女の子に化けることは化けた。 しかし、肚はつき出しているし、口はとび出しているし、 性別もさだかでないグロテスクなお化け娘である。 「おいおい。もう一度はじめからやりなおしだ」 「そんなことを言ったって、兄貴、無理なことは無理だよ。 俺の尻をひっばたくなら思い切りひっばたいてくれ」 「まあ、まあ、そうやけを起すことはないよ。 もう少し肚をひいて、そうそう、バカ。 胸をふくらませる奴があるか。 いくら女の子と言ったって、 八つからオッパイのふくれあがっている女の子は いないぞ。 それから、おい、その口をもう少し縮めるんだ。 そうだ。そうだ。それでよろしい」 どうやら一秤金そっくりの八戒が出来あがったので、 悟空は二人の老人に向って、 「では子供たちを連れて行って下さい。 我々が身代りになるのはよろしいが、 うっかり本物が泣き声を立てたりして 化け物に気づかれてしまうとうまくないからね」 それから沙悟浄に三蔵のことを頼むと、 「ところでご老人。 お供えをするときはどういう具合にするのですか?」 とききなおした。 「紅いお盆の上に一人ずつ載せて行きます」 「それはわかっているが、 生きたまま縄でしばって行くのですか、 それとも蒸したり、ぷった切りにしたりするのですか?」 「兄貴、ぷっそうなことはやめておくれよ」 と八戒は哀れな声を立てた。 「いえいえ、 ただお盆の上に雛人形のように載せておくだけです。 それを若い者にかつがせて廟の中に運んで行くのです」 と老人たちは答えた。 「よろしい。それじゃ早速、 予行演習をしてみようじゃないか」 老人たちが持ち出してきた二つの朱塗の盆の上に 一人ずつ坐ると四人の若者が出て来て、 二人一組になって、盆をかつぎあげた。 「アッハハハ。いい気持だ。 まるでローマの法王になったみたいだ」 「ただ担がれているだけなら、たしかにいい気持だが、 廟の中へ担ぎこまれるんじゃ、そう気持はよくないな」 「そんなに胆っ玉がないのなら」 と悟空は言いかえした。 「化け物が俺に食いついた隙を見はからって、 お前だけ素早く逃げ出せばいいじゃないか」 「そうしたいのは山々だが、 化け物が俺の方からさきに食いついたらどうする?」 「ご安心なさい。 勇気のある若者たちが廟の裏手にしのびよって こっそりのぞき込んだら、 男の子の方から先に食べたそうですから」 と老人たちは言った。 「どっちにしても、おお、神様だ」 二人が減らず口を叩いていると、 やがて外で銅鑼や太鼓と共に、 付の人々が門前へやってきて、 「子供を出せ」 と口々に叫んだ。 老人たちは涙と共に門をひらいた。 四人の若者たちは悟空と八戒の二人を載せた盆を担いで 外へ出た。 |
2001-01-13-SAT
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