毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第五巻 色は匂えどの巻 第一章 早い雪 |
四 初秋の雪 二人は他の豚や羊の供物と一緒に 霊感廟の中へ連れて行かれた。 村人は二人を先頭に並べると、線香やお橙明をあげ、 「霊感大王之神」と書かれた金牌の前に頭をこすりつけて、 「只今、例年通りお召しのあった 男の子と女の子をお供えに参りました。 ご満足になりましたら、 どうか五穀のよく実のりますよう お助けいただきとう存じます」 型通りの行事が終ると、村人たちは金銀紙を焼き、 それぞれ村へひきあげて行った。 「俺たちもそろそろ引き揚げることにしようか」 あたりに人の気配がしなくなると、八戒が言った。 「引き揚げるってどこへ引き揚げるんだ」 「さっきの家へ帰ってねることにしよう」 「バカなことをいうな。 さっきうけあって出てきたばかりじゃないか」 「バカなのはどっちか知らん。 頼まれれば、ウン、ウン、と頷いておればいいんで、 何で他人の身代りになる必要があるんだ?」 「一度うけあった以上、最後までやりとげなくっちゃ。 お前だって男だろうが」 「いや、目下のところ、俺は女だ」 「そうか、そうか。お前は女だったな。 アッハハハハ……」 二人が話をしている折しも、 一陣の風が音を立てて吹き込んできた。 「いけねえ。いよいよおいでなすったぞ」 「つべこべ言うな。俺に任せろ」 やがて門のところに足音がして、 化け物が入ってきたらしい。 「今年の祭主はどの家だ?」 とうしろから声がかかった。 悟空は笑いながら、 「ハイ。陳澄、陳清の一家でございます」 おやおや、おかしいぞ、と化け物は首をかしげた。 例年だと俺の一声で縮みあがって 死んだようになっているのに、 今年はまたえらい胆っ玉の太い子供じゃないか。 「お前たちは何という名前だ」 と化け物は続いてきいた。 「私は陳関保、女は一秤金と申します」 と悟空は答えた。 「では例年通り、お前の方から先に食べるぞ。 覚悟はいいか」 「ハイ。どうぞお召しあがりになって下さい」 これには化け物の方がびっくりした。 「なかなか利いた風な口をきくじゃないか。 この俺が怖くはないのか?」 「怖くても我慢をします」 化け物はしばらく門のところに立って考えていたが、 何を思ったか、 「いつもなら、男の子から先に食べるのがならわしだが、 よし、今年はひとつ女の子の方から先に 食べることにしよう」 「おお。神様」 と八戒はあわてふためいて、 「どうぞ男の方から食べて下さい。 古い習慣を破らないで下さい」 しかし、化け物はそばへ近づくと、 やにわに八戒につかみかかってきたから、 八戒は盆の上からとびおりると、 素早く熊手をとりあげて相手の身体を思い切りひっかいた。 手応えがあった。 化け物はさっと身をすくめると、すぐうしろを見せた。 「これを見ろ」 八戒の叫び声に、悟空が立ちあがると、 盆の上に魚の鱗が二片ばかりおちている。 「待て」 二人はすぐさま化け物のあとを追って中空へとびあがった。 「お前らはどこの何物だ? 何で俺の邪魔をするんだ?」 と化け物は雲の中から叫んだ。 「お前こそこの俺たちが何者か知らないのか。 知らなかったら教えてやろう。 耳糞をほじくってよおくきいておけ。 俺たちこそは東土大唐国の聖僧三蔵法師の大徒弟、 西方へ行く旅の途次、 たまたま陳家荘に足をとめたところ、 貴様がインスピレーションの アスピリンのとぬかしやがって、 年齢も行かない子供たちを餌食にしているときいて 捨ておくわけには行かなくなったんだ。 ここへ来て何年になるか知らねえが、 今まで呑み込んだ子供たちを一人一人数えてかえすなら 死一等を免じてやらないでもないが、 さもないと生命がいくつあっても足りないぞ」 化け物は悟空の啖呵をきくと、泡をくってまた逃げ出した。 その鼻をまたも八戒に一かきされたが、 一陣の風と共に たちまち通天河の中へもぐり込んでしまった。 「待て待て。今、追いかけて行っても無駄だよ」 と悟空は言った。 「どうやら河中の化け物とわかったから、 ひとつ明日にでもふんづかまえて 水先案内をさせることにしよう」 「そうだ。そうだ。 まず廟の中のお供え物で腹ごしらえをしようじゃないか」 八戒たちは廟中に入って供え物を腹一杯食べ、 それから徐ろに村へかえって行った。 一方、化け物の方は生命からがら逃げ出して 河の中へかえったものの、常々として気持が晴れない。 水中の家来どもはおそるおそるそばへやって来て、 「例年大王はご機嫌でおかえりになるのに、 今年はまたどうしたことでございますか?」 「いや、例年はお前たちにも 余りものを分けてやれるほどだったが、 今年は自分が食べるどころか、 すんでのところでこちらが生命を失うところだったんだ」 「いったい、その邪魔者はどこのどやつです。 邪魔者は殺っちまえばよろしいじゃございませんか」 「それがなかなか手ごわい奴らでね。 誰かあいつらをつかまえてくれる者があったら、 どんな褒美でもとらせてつかわすがな」 それをきくと、群臣の中から魚婆さんがすすみ出て、 「大王。それはお安いご用でございます。 ですが、その前に、 もしうまく唐僧を生捕りにしたら何を私に下さるか、 教えて下さいませんか?」 「もしお前が奴らを生捕りにしたら、 お前を兄妹として遇しよう」 魚婆さんはすっかり喜んで、 「ではお尋ね致します。 かねて大王が風を呼んだり雨をふらせる力を お持ち合わせのことは存じておりますが、 雪を降らせることは出来ますでしょうか?」 「そのくらいのことは出来るとも」 「では雪を氷結させることが出来ますか?」 「もちろん出来る」 「ハハハハ……」 と婆さんは笑いながら、 「それならば、もうつかまえたも同然でございますよ」 「その同然な理由をちょっときかせてくれないか」 と大王はきいた。 「今夜、寒い風を吹かせて大雪をふらせ、 通天河を凍らせてしまうのです」 と婆さんは説明をした。 「そうすれば明日の朝、 我々の中で何人かの者が人間に化けて 河の上を渡っているフリをします。 三蔵の一行は一日も早く西へ行きたいと 気があせっていますから、 人の渡っているのを見たら きっと河を渡ろうとするでしょう。 その時に氷をとかしてしまえば、 労せずして一人残らず 生捕りに出来るではございませんか?」 「なるほど。なるほど。そいつは妙案だ」 と化け物は座から立ちあがって手を叩いて喜んだ。 一夜を陳家ですごした三蔵の一行は にわかに襲った寒さにねてもおられず、 朝早く眼をさました。 窓のそとをのぞくと、一望千里の雪景色である。 陳家の門前では下男たちが雪を掃いているし、 別の下男が洗面器にお湯を入れて 忙しそうに廊下を行ったり来たりしている。 「ここは四季の区別のないところでございますか?」 と三蔵は挨拶に来た老人をつかまえてきいた。 老人は笑いながら、 「そんなことはございませんよ。 しかし、 どうしてまたそんなことをおっしゃるのですか?」 「いや、まだ八月だというのに、 こんな大雪がふったりするものですから」 「ご心配になるようなことはございませんよ。 この土地では時々こんなことがあるんです。 こんな時のために私どもの家には 十分食糧の蓄えもしてございますし、 あなた方がずっとご滞在になっても ご不自由をさせるようなことはありません」 しかし、雪はますます積る一方で、 夕方になると、道を行く人々が、 「通天河が凍ったぞ」 と言っているのがきこえた。 「凍ったと言っても河の縁のあたりだけだろう」 と陳老人は言った。 「ところが八百里がまるで てつの鏡のようになっていますよ。 それにもう人が通っています」 と通行人は言った。 三蔵はそれをきくと、 すぐにも河のそばまで見に行こうとしたが、 老人たちにとめられた。 翌朝、起きると、八戒が真先に、 「この調子じゃ本当に河は凍っているだろうな」 「これも仏様のおかげだよ。 仏様がきっと我々を 一日も早く西天へ行かせて下さろうとして 河を凍らせて下さったのだよ」 と神ならぬ身の三蔵はしきりに有難がっている。 「まあ、 そんなにおいそぎになることはないじゃありませんか。 二、三日して氷がとけたら 船で向う岸までお送り致しますから」 と老人はひきとめる。 「このまま出発するのもどうかと思うが、 いのままここにじっとしているのもどうだろうな」 と沙悟浄が珍しく意見を言った。 「百聞一見に如かずと申しますから、 一応、皆で偵察に行って見てはどうですか?」 「もっともなお説です」 と老人が賛意を表した。 「すぐ六頭ばかり馬の用意をさせますから、 ご一緒に河のほとりまで行って見ることにしましょう」 三蔵の一行と陳家の老人たちは馬に乗ると、 早速、通天河に向って出発した。 |
2001-01-14-SUN
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