毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第五巻 色は匂えどの巻
第三章 泥棒一家

三 火の雨もものかは


李天王は息子のと家来どもを連れて悟空に会いにきた。
「これはこれは、どうもご苦労さまでございます」

かつては中空を挟んで、
天と地で睨み合った宿敵である。
しかし、天下の雲行きは
しばしば昨日の盟友を今日の宿敵にかえるかと思えば、
血で血を争った昨日の敵を今日の友にしてしまう。

偉大なるものは人間の度量ではなくて、
狭い度量をも無理矢理大きくかえてしまう
天下の形勢という奴に違いない。

悟空は李天王が年来の宿敵であることをすっかり忘れて、
「ひとつご苦労ついでに
 雷公を二人ばかり連れて行って下さいませんか?」
と頼みこんだ。
「というのはですね、
 あなたが戦っている時に敵に狙いを定めて
 一打ちに打ちおろせば、
 居ながらにして相手を
 電気椅子に坐らせるようなものですからね」
「よろしいですとも。よろしいですとも」

相手が低姿勢なら、
こちらも低姿勢たらざるを得ないと見えて、
李天王は快く承知して、
早速、化、張蕃の二雷公を
一行の中へ加えて行くことになった。

ほどなく一行は金山へ到着した。
「あの山の中に聳えているあの建物が金洞です。
 皆さんの中で誰が先陣をうけもって下さいますか?」
と悟空はきいた。
「その仕事はにやらせましょう」

李天王は二つ返事で、太子に先陣を命じた。
は武装を整えると、
悟空と一緒に山をおりて金洞の入口までやってきた。
「やい。化け物。門をあけろ」

門番をしていた小妖怪はあわてて奥へとんで行った。
「大王。さっきの猿が
 今度は子供のような男を一人連れてやってきました」
「ハハン。俺に鉄棒を巻きあげられたので、
 どこかへ助太刀を頼みに行ったのだな。
 どれ、武器を持ってまいれ」

魔王はやおら立ちあがると、鋼鎗を握って洞門を出てきた。
「おや、お前は李天王の三男坊じゃないか」
と魔王はの顔を見るとすぐに言った。
「何だって押売りみたいに
 俺の家の前で大声を張りあげたりするのだ?」
「お前が唐僧をつかまえて天下の平和を乱すから、
 玉帝の命令でつかまえにきたんだ」
「何をッ。ハッハハハ」
と魔王は白い歯をむいて笑った。
「なかなか気のきいたセリフを知っているじゃないか。
 ひとつ揉んでやるからそこを動くな」

魔王が鋼鎗をしごいて進み出てくると、
は斬妖刀をふりかざしてそれを迎えうった。
それを見ると悟空は急いで後へとってかえし、
「雷公はどこだ? 早く援譲射撃をやってくれ」

二人の雷公が今しも雷を打ちおとそうとしていると、
太子は揺身一変忽ち三頭六臂になって、
手に例の六つの武器を持って魔王へ襲いかかって行った。
すると魔王も同じように三頭六臂になり、
三本の長鎗をしごいてこれを防いだ。
は更に六つの武器、皆さんお馴染みの、
硯妖剣、斬妖刀、縛妖索、降魔杵、繍毯、火輪児を
一せいに空高く投げあげて、
「変れ!」
と叫ぶと、一が十になり、十が百になり、
百が千になり、千が万になって、
雨あられのように乱れとぶ。
しかし、魔王は些かもひるまず、
袖の中から例のピカピカ光る輪をとり出して
これまた空へ投げあげ、
「来い!」
と叫ぶと、アレアレと思う間に、
六つの武器は光る輪に吸いつけられて
魔王の手に入ってしまったのである。
「やれやれ。雷をおとさないで助かったな」
と二人の雷公は互いに顔を見合わせて苦笑した。
「うっかり雷をおとして、太鼓ごとぶんどられちゃ、
 元も子もなくなるところだったよ」

太子は生命からがら自分らの陣地へ逃げかえると、
「ききしにまさる強敵です」
「ハッハハハ。全く大した実力だ。
 あの神通力の前にはさすがの太子も顔色なしだね」
と悟空は笑った。
「畜生。俺が負けて気がくしゃくしゃしているのに
 笑うとは何事だ」
は少しムキになって言った。
「あんたは気がくしゃくしゃしているとおっしゃったが、
 この俺は気がくしゃくしゃしないとでも、
 おっしゃるのかね?」
と悟空は言いかえした。
「どうにもならない時は思い切り泣いてみたいが、
 泣くに泣けないから、
 こうして笑っているだけのことじゃないか」
「それよりも、爾後の対策はどうすればいいだろうな?」
と李天王は腕組みをした。
「あなた方はどうお考えですか?」
と悟空はきいた。
「私の考えでは
 あの丸い輪にひっかからないものを使わなければ、
 うまくつかまえられないと思いますがね」
「ひっかからないものと言えば、さしずめ水と火だな」
と李天王は言った。
「俗に水と火は無情だというから、
 金や愛情のように悪党に狙われるようなことはあるまい」
「そうだ」
と思わず悟空は手を叩いた。
「私に考えがありますから、
 皆さんはもうしはらくここで待っていて下さい」
「あなたはどこへ行かれるのです?」
と雷公がきいた。
「もう一度天界へ行って、
 華宮の火徳星君に助太刀を頼んできます」

悟空はそう言って南天門をかけ登ると、
すぐ華宮へ尋ねて行った。
「ご主人はおいでですか。
 孫悟空がお目にかかりたいからとお伝え下さい」

部下の者に取りつぎを頼むと、
やがて火徳星君が自分で出てきた。
「可韓司がお見えになって、一人一人点呼をしましたが、
 私のところからは脱落者は一人もおりませんでしたよ。
 何しろここはボーナスもいいし、
 私自身も話せる経営者になろうと思って
 一所懸命努力していますからね」
「いやいや。そのことは百も承知でございます。
 実は李天王と太子が一敗地にまみれたので、
 ひとつあなたのお力をかりたいと思って参ったのです」
といえば三壇海会の実力者じゃありませんか。
 あの人で歯が立たなかったら、
 私などの出る幕はとてもありませんよ」
「ところが是非ともあなたに
 出てもらわなくてはならないのです。
 李天王とも協議した上できめたことなのですが……」

そう言って悟空は、
化け物の武器に対抗する手段としては
火の力をかりるよりほかないことを力説した。

火徳星君はそれをきくと、部下をひきつれ、
悟空と一緒に金山の麓へやってきた。
「先ず大聖に
 化け物をおびき出してもらうことにしましょう」
と李天王が言った。
「化け物が出てきたら、私が相手になりますから、
 向うが丸い輪を投げあげたら素早く火攻めにして下さい」

作戦が立つと、悟空は李天王と一緒に洞門の前まできた。
挑戦に応じて魔王は再び洞窟から出てきたが、
李天王の顔を見ると、
「おや、今度はどんな役者が出てくるかと思ったら、
 李天王じゃないか。
 親の仇を子が討つというのはあるが、
 子供の喧嘩に親が出てくるというのは
 きいたことがないぞ」
「何を抜かすか。
 子供の喧嘩に親が乗り出すのは、
 海の向うのブラジルではごく当り前のことだ。
 今日の喧嘩はひとつ
 コーヒーを飲みながらやろうじゃないか。
 さあ、来い」

李天王と魔王の合戦がはじまると、
悟空はあわてて山の上へとんで行って、
「火徳さん。よく気をつけて下さいよ」

見ると、魔王は戦い半ばにして
袖の中からまたも例の輪をとり出してきた。
それを見てとった李天王はいち早く逃げ出した。
「それッ」
と言うので、
火徳星者は部下に命じて一せいに火蓋を切った。
火鎗、火刀、火弓、火箭、火の雨、
ありとあらゆるこの世の火が
山をこがすばかりにふりそそいだ。
しかし、魔王は恐れるかと思いのほか、
悠々と輪を空へ投げあげて、
「来い」
と叫ぶと、すべての火は一瞬にして
彼の輪の中に吸い込まれて行くではないか。

火徳星君の手に残ったのは一本の破れ旗にすぎなかった。

2001-01-21-SUN

BACK
戻る