毎日読む小説「西遊記」
（邱永漢・著）
第五巻　色は匂えどの巻
第四章　白　い　輪

一　悟空の啖呵

悟空は呵々大笑しながら、山の峰からとびおりると、
またも金洞の門前へ出てきた。
今度は一匹のこおろぎに化けた。

月の明るい静かな夜である。
こおろぎは一跳び二跳びと門扉に近づき、
やがて堅くとざされた門の隙間から
洞内へ忍び込んで行った。
洞内ではすでに宴会が終り、数人の不寝番を残して、
あとはすっかり寝込んでしまっている。

更に奥に入ると、石の寝台が一つおいてあって、
見ると、魔王がその上に横たわって休んでいる。
暗い中で遠くからピカピカと輝くものがあるので、
近づいてよくよく見ると、
それは悟空がさがし求めていた例の武器であった。
しかし、生憎なことにそれは
魔王の左の腕にしっかりとはめられているのである。
「何とかして、
　あのピカピカをまきあげる方法はないだろうか」
悟空は首をかしげてしばらく考えていたが、
忽ち一匹の蚤に早変りすると、
寝台の上へ跳ねあがって
いきなり化け物の左腕に唆みついた。
「アイテテテテ……。
　誰だ、俺に吹みつくのは？」

悪魔は二、三回手を動かしただけで、
白い輪の存在をたしかめると、またそのままねむり続けた。

癪にさわった悟空は輪の上まで這いあがると、
更に一口咬みついた。
「畜生。何というしつこい野郎だ」
魔王はぶつぷつつぶやきながら、
大きな寝返りを打ったが、
武器は相変らず肌身から離しそうな気配も見せない。
「こりゃとても駄目だ。
　ピカピカにばかり気を奪われていないで、
　ほかの方法でも考えた方がよさそうだぞ」

やむを得ず寝台からとびおりた悟空は
再びこおろぎに戻ると、部屋を出て更に奥に進んだ。
と、堅く扉をしめた倉庫の前に出た。
扉には大きな南京錠がかかっている。

悟空は門前で元の姿に戻ると、
解鎖法を用いて忽ち南京錠をはずしてしまった。
ギーイと扉をあけて一歩ふみこむと、
そこは武器庫になっている。
「あったぞ、あったぞ」

壁に立てかけてあるのは火徳星君の火鎗、
火刀、火弓、火箭の類いであり、
向うの隅においてあるのは太子の六つの兵器である。
更に眼を転じると、門扉のすぐ脇に盆が一つおいてあって、
さきに奪いとられた悟空の脇の下の毛が
ご丁寧にも一束にしておいてあるではないか。
「やれやれ。これで脇の下が台湾ハゲにならずにすんだぞ」

悟空は満面に微笑をたたえながら、
自分の毛を手にとると、息を吹きかけて
「変れ！」
と叫んだ。
するとまたしても四、五十匹の小猿が現われ、
手に手に武器庫の中の武器をとって
次から次へと外へ運び出した。

もともと火徳星君の武器は火ダネのようなものだから、
小猿どもが歩きながらあたりに向けて発射すると、
あちらこちらから火が燃えあがる。
洞中の奥から燃えはじめて、
火の手が右からも中からも続々とあがるので、
あわてふためいて起きあがった小妖怪どもは、
方向を間違えたり、四囲を猛火に囲まれたりして、
廉け死するものが多く、
その混乱に乗じて素早く洞門を抜け出した悟空は
悠々と味方の陣地へ引きあげてきた。
「さあさあ、お約束の通り
　あなたたちの武器をとり戻してきてさしあげましたよ」
「さすがは大聖だ。見上げたものだ」
火徳星君や太子が大喜びで、
悟空に感謝したことはいうまでもない。

一方、火の手に驚いてはね起きた独角大王は
大あわてで手に持った白い輪を握りしめて、
東奔西走、消火に努めた。
おかげでどうやら大事に至らないですんだ。
とはいうものの焼死した部下は百を越えているし、
折角の戦利品は一つ残らず失われている。
一番奥に監禁してある三蔵と八戒と沙悟浄の三人が
無事なのがせめてもの慰めだった。
「時も時、
　こんな大事な時に失火を出したのはどのバカだ？」
と魔王は恨めしそうに言った。
「大王。これは失火ではございません」
と部下の小妖怪が言った。
「これは放火でございます。
　兵器庫の中はカラになっています」
「ウーム」
と魔王は思わず大きな唸り声をあげた。
「言わずと知れたこと、犯人はあの山猿に違いない。
　身のほど知らぬ田舎猿め、
　俺が見逃がしてやったら調子に乗りやがって。
　こうなったら、もうただじゃおかないぞ」

歯ぎしりをして地団駄ふんでいるうちに、
やがて鶏がなき、しらじらと夜が明けてきた。

山の上の陣地では気勢大いにあがって、
「さあ、勝ちに乗じてもう一押ししようじゃないか。
　私と火徳さんが助太刀をしますから、
　ひとつあの化け物を生捕りにして下さい」
と太子がいうと、
「そうだ、そうだ。
　共産党の言い草じゃないが、団結即力量だ。
　皆で力をあわせれば
　いくら猛威をふるう悪魔でもかなうまい」

悟空はこぷしを握りしめて二、三度空高く突きあげると、
勢いに乗じて洞門の前までとんできた。
「やい、化け物。男なら出て来てこの俺と勝負をしろ」

見ると、金洞の石門は焼け落ちて、
門の中で数人の小妖怪が焼跡を片づけているのが
丸見えである。

悟空の大音声に驚いて、小妖怪は奥へとんで行った。
「大王。またあの猿が仲間をひきつれてやってきました」
「なにッ」

魔王は内心の驚きを顔に出しながら、
門外へとび出してきた。
「やい。放火常習魔！　生命知らずとはお前のことだ」
「アッハハハ……」
と悟空は手を叩いて笑いながら、
「どちらが生命知らずか知りたかったら、
　教えて進ぜるからこちらへおいで」

そう言って悟空は見栄をきりはじめた。
　　我コソハカノ権化
　　名声カクカク天下ニトドロキ、
　　羽化登仙ノ扉ハ木戸御免
　　変化自在並プモノナシ
　　宇宙船ナド、チャンチャラ可笑シ
　　足下二虎ヲ踏マエ、膝下二竜ヲ下シ、
　　花果山ハ水簾洞
　　王トナッテ王位二飽キ足ラズ
　　目指ス天界ヲマッシグラ
　　サスガノ玉皇上帝モ驚キアキレ
　　我二贈レルソノ名ハ斉天大聖、又ノ名、美猴王
　　一生寝テ暮ラセルモノヲ
　　アテガイ扶持ハ真平御免、
　　サラリーマン重役モ真平御免卜
　　以ッテ生マレタ天衣無縫ノ魂
　　気儘二波ル人生ヲ
　　気二食ワヌト天ノ奴ラ二難癖ヲツケラレ
　　ソレナラ勝手ニシヤガレト
　　サラリト捨テタサラリーマン
　　遂ニ玉帝卜事ヲ構エ
　　天兵十万我二何スルモノゾ
　　打ッテカカルヲ蹴散ラシ蹴散ラシ
　　驚キアワテタ玉帝ガ四方八方へ援兵ノ打電
　　東カラ小聖二郎、西カラ太上老君、南カラ南海観音　　
　　タカガ一匹ノ田舎猿ニ
　　天下モ割レンバカリノ大騒ギ
　　時二利アラズ　シテヤラレ
　　火攻メ、水攻メ、ツルギ攻メ
　　原子炉ノ中デ七七、四十九日
　　アケテピックリ　コノ通リ
　　ソレモソノ筈、仙桃盗ンデ食ッタ猿ガ死ヌルモノナラ
　　小老長寿ノ仙桃モ偽物ニナルゾヨ
　　サスガノ玉帝モ自ラノ矛盾ニ耐エカネテ
　　西方ハ釈迦如来ニ尻ヲ持チ込ミ
　　頼ミマス　調停斡旋
　　ヨシキタ　平和中立ナラオ手ノモノト
　　五行山ニ我ヲトジコメ、勝杯ニ酔ウ「安天大会」
　　姑息ノ平和何スルモノゾ
　　板垣死ストモ自由ハ死ナズ
　　況ソヤ悟空ノコノ心
　　五百年ハ須臾ニシテ、精神一到何事カナラザランダ
　　仇ニ剃ッタ坊主頭ニ非ズ
　　サアサ、黙ッテ我ガ師ヲ出スカ
　　ソレトモ、ソノ生首ヲ出スカ
　　二ツニ一ツノ返事ヲ致セ
「アッハハハ……」

それをきくと、魔王は腹をかかえて笑いころげた。
「下手な出任せの詩をつくりやがって
　ドサ廻りの吟遊詩人かと思ったら、泥棒のなれの果てか。
　さあ、そこを動くな」

そう言って、魔王はいきなり鋼鎗をつき出してきた。
悟空は素早く身をかわして如意棒でうけとめながら、
うしろをふりむくと、待っていましたとばかりに、
太子と火徳星君がそれぞれの武器を
魔王目がけて投げつけてきた。
しかし、魔王は些かもひるまず、
こっそり例のピカピカをとりだして、
「こい！」
と叫ぶと、あれよあれよと思う間に、
折角苦心してとりかえしたも削ろの武器が、
またしても魔王の手中におさまってしまったのである。
「やい、思い知ったか。
　こうなったら生捕りにした連中で先ず腹拵えをしてから、
　もう一度──いや、何度でも相手になってやるぞ」

余裕のあるところを見せながら、魔王はひきあげて行く。

2001-01-23-TUE

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