毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第五巻 色は匂えどの巻 第五章 女 の 都 |
一 シンボル談義 如意真仙は手に持っていた琴をおろすと、 素早くふだん着を脱いで道衣に着かえ、 如意鈎子というカギ型の武器を握りしめて、 衆仙聴からとび出してきた。 「孫悟空はどこにいる?」 声をきいて悟空がふりむくと、 すぐ目の前に真赤な法衣をきた、 見るからに人相の悪い道士が立っている。 「私が孫悟空でございます」 と悟空は、両手を合わせながら言った。 「ハハハハ……。 本当に孫悟空がやってきたのかと思ったら、 これはニセモノじゃないか」 と如意真仙は声を立てて笑った。 「それはまたどういうわけでございますか。 君子はいたずらに他人の名をかたったりしないと 言われておりますが……」 「お前がニセモノでないならば、 この俺の顔に見覚えがあるだろう?」 「すると、あなたは?」 悟空は思わず顔をあげて、じっと相手を見つめたが、 いくら見つめても思い出せないのである。 「どうも仏門に入って以来、 昔馴染みとは“去る者、日々にうとし”で、 失礼ばかりしておりますが、 たまたま子母河を通りかかって 先生のことをきき及びましたので、 お伺い申しあげたのです」 「お前はお前の道を行くがいい、 俺は俺の真理を追求するさ」 と如意真仙は言った。 「ですが、私の師匠が誤って子母河の水を飲んで、 いま難儀している最中なのです」 と悟空は手をこすり合わせながら、 「それで落胎泉の水を一ぱい ちょうだい致したいと思って参ったのです」 「お前の師匠というと、三蔵法師のことか?」 と真仙は俄かに顔色をかえてきいた。 「おっしゃる通りでございます」 「それじゃお前にきくが、 聖嬰大王というのに会ったことがあるだろう」 「ああ、号山枯松澗にいた紅孩児のことでございますか。 あの男ならポンユウです」 「何を抜かすか!」 と真仙は思わず眉をつりあげながら、 「あれは俺の甥だ。 唐三蔵の弟子の孫悟空とやらいう ナラズ者の計略にひっかかってひどい目に会わされたと、 俺の兄貴の牛魔王から手紙が届いているぞ」 「すると、あなたは牛魔王の弟さんですか? 牛魔王とはかつて私が美猴王と称した時代に 義兄弟の契りを結んだ仲ですよ」 「その息子をさんざんな目に会わせておいて、 義兄弟も糞もあるものか!」 「いや、それは違いますよ。 紅猴児はいま観音菩薩のところで 善財童子といって人気者になっています。 魚が水にとびこんだように、 落着くべきところに落着いているのですよ」 「冗談をいうな。 小なりといえども王を称するのと、 大会社の門番をやるのとでは、 月とスッポンではないか。 ここで会ったが百年目、 身内のかたきをとってくれるぞ」 そういって、如意真仙はいきなり 手に握っていた如意鈎子をふりかざしてきた。 悟空は如意棒でそれを受けとめながら、 「先生。ちょっと待って下さい。 打つの殴るのという話はやめにして、 この際、お互いに お手を拝借と行こうじゃありませんか?」 「お手を拝借よりも、その生首を拝借だ」 と真仙は叫んだ。 「この俺と三度刃を合わせて それでなお生命があるようなら、 お望みの水をくれてやろう。 その代り敵わないとさとった時は後悔しても、 すでにあとの祭りだぞ」 「何を! 黙ってきいておりゃ、 ますますつけあがりやがる!」 と悟空も負けずに言いかえした。 「そんなに痛い目にあいたいというなら、 この棍棒の味を思いきりなめさせてやるわい」 片や如意棒、片や如意鈎子をふりあげて、 互いに相打つこと十数回。 この道にかけては天下に鳴らした悟空だけあって、 さすがの如意真仙もへとへとになり、 隙を見ると逃げ足に転じた。 しかし、悟空はあとを追おうとしない。 それよりも、片時も早く落胎泉の水を、 苦しんでいる三蔵と八戒のもとへ とどけてやらねばならないからだ。 草庵の門は中から堅くとざされていた。 悟空は甕を手に持ってその前までくると、 片足をあげて力任せに蹴りとばした。 奥へすすむと、井戸の傍らに、 さっきとりつぎをしてくれた老道士がうろうろしている。 「こらッ。どかねえとただじゃおかねえぞ」 悟空の大へんな剣幕に、老道士はびっくりして逃げ出した。 悟空はすぐ井戸端に近づき、 つるべを手にとって水を汲みにかかった。 と、いつの間にかえってきたのか、 真仙がうしろからやってきて、 鈎子で悟空の足をひっかけたからたまらない。 悟空はベースに滑りこみ損った野球選手のように、 井戸を前にして四ツん這いになってしまった。 怒った悟空が起きあがって如意棒をふりあげると、 真仙は素早く身体をかわして、 「俺の水をタダで持って行こうとしても、 そうはさせないぞ」 「愚図愚図言わずに、こっちへ来い。 男らしく勝負をしたらどうだ?」 しかし、真仙は悟空に水を汲ませまいと 邪魔立てをするだけで、 積極的に立ちむかって来ようとはしない。 仕方がないので、悟空は左手に如意棒を握ったまま、 右手につるべの縄をとって井戸の中へおろしにかかった。 すると、真仙がまた鈎子で 悟空の足をひっかけにかかったので、 急いで防戦に転じた悟空は あわててつるべを井戸の中へとりおとしてしまった。 「無礼な奴だ。 こうなったら息の根がとまるまで叩きのめしてやるぞ」 カンカンに怒った悟空は 如意棒を風車のようにまわしながら立ち向って行くが、 相手ははじめから受けて立とうという気持がないのだから、 さっぱり勝負にならない。 「つるべは井戸の中におとしてしまったし、 こりゃ誰かもう一人呼んで来ないことには 水が汲めそうにないわい」 悟空はそう考えなおすと、そのまま雲にのって、 もとの村里へもどって行った。 「おい。沙悟浄!」 悟空の呼ぶ声に、 さっきから陣痛のうめき声をあげていた三蔵と八戒は、 「おお。悟空がかえってきたらしいぞ」 沙悟浄が大急ぎで門前に迎えに出て、 「兄貴。水は?」 「それがなあ」 と悟空はそのまま奥へ入って行って、 皆の前で、これまでのいきさつを話した。 「たかが一杯の水をくれというのにケチケチしやがって、 水商売をやる奴の因業さにあきれてしまったよ」 それをきくと、 三蔵は身体じゅうから力が抜けおちたようにがっかりして、 「どうしよう。ああ。どうしよう」 「ですから、沙悟浄を連れてもう一度行ってきますよ。 私があいつとわたりあっている間に 沙悟浄に水をくませますから」 「でも病人二人を残して、お前らが行ってしまったら、 私たちは心細くてたまらないよ」 そばできいていた婆さんは、 「あら、そんなことでご心配になることはありませんわ。 大事な大事な、男なんですもの。 男の代用品でも発明されない限りは、 私たちが男を粗末にする筈がございませんわ」 「いい年をして、何という話の仕方だ。 少しは自分の顔の皺とも相談してから物を言え」 と悟空がたしなめると、 「おやおや。 こんな上品な遠まわしな言い方をしても お怒りになるなんて」 と婆さんは笑いながら、 「あなたたちは、私の家にきたからいいものの、 ほかの家へ行ってごらんなさいよ。 四の五のと言っちゃおられませんわ」 「四の五のと言っちゃおられなかったら、どうなるんだ?」と 八戒が腹の痛みを忘れて言った。 「私の家の者はごらんの通り四、五人とももう年をとって、 月経もあがってしまいましたから、 話だけですむのですよ。 もし、これが若い女のいる家であってごらんなさい。 みんなでよってたかって手籠めにしてしまいますよ」 「男の方をか?」 と沙悟浄が目を白黒させた。 「男は女と違って、 いつも濡れているというわけには行かないぜ」 「そりゃそうですけれど、 ここでは男ひでりに悩んでいますから、 色んな方法が考案されているのですよ。 和合リングとかバイオリンの絃とか、 必要は発明の母、とむかしから申すじゃありませんか?」 「どうやら、俺たち、家を間違えて入ったようだな」 と八戒は我を忘れて言った。 「おやおや、あなたはまたえらく自信がおありなのね」 「そりゃそうさ。 うちの師匠などは、パチンコにたとえれば、 単発式だが、俺のは連発式で、 世の道学者からは非難攻撃されるが、 利用者からは喜ばれているよ」 「そんなに立派な機械なら、 早速、みんなにご披露致しましょうか」 「ところが、生憎と、今はだめなんだ」 と八戒は三蔵の方を横目で見ながら言った。 「何しろ今は仏門に帰依しているのでね」 「そんな言い逃がれを言っても、 この国では通用致しませんよ。 坊さんなら、ふだん酷使していないから 元気がよかろうと言って珍重されますし、 万一にも断ってごらんなさい。 男のくせに物の用に立てないのなら、 シンボルなんか要らないのでしょう、 とばかりにチョン切られて、 香料袋にでもされてしまいますわ」 「ハッハハハ……。 うちの師匠のなら香料袋になるかもしれないが、 俺のは大丈夫だ。 何しろ俺のときたら、 お世辞にも決していい匂いとはいえないからな」 「そんなに自信があるのなら、 ついでにこのまま子供を生んだらどうだ?」 と悟空は笑った。 「アイテテテ……」 と途端に八戒はふくれあがった腹を思い出して、 「兄貴、頼むから早く行って水をもらってきてくれ」 「お宅につるべはありますか?」 と悟空は婆さんの方にむきなおってきいた。 婆さんがつるべを持ち出してくると、 悟空はそれを沙悟浄にわたし、 二人してまたも解陽山へひきかえして行った。 |
2001-01-27-SAT
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