毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第五巻 色は匂えどの巻 第五章 女 の 都 |
三 女ばかりの都 やがて、街の中へ入った。 見ると、通りを歩いているのは、いずれもスカートをはき、 お化粧をした女たちで、男はただの一人もいない。 女たちは四人の男が入ってくると、 「あら、人間のタネがやってきたわ」 「おやまあ、ほんとうだわ」 と、まわりにあつまってきて、 四人をぐるぐるととりまいてしまった。 笑い声やウィンクの波また波で、 その中をかきわけて進むのも容易ではない。 「おいおい。俺は人間じゃない。俺は豚の化け物だ」 八戒はもみくちゃにされながら叫んでいる。 口ではかなわないようなことを言っているが、 心では結構それをたのしんでいるようである。 「おい、八戒。 お前のその口を出せ。 魔除けだ、魔除けだ」 悟空が催促すると、 八戒は本当に頭をブルンブルンとふるわせた。 「あれッ」 と、女たちは悲鳴をあげながら逃げ出した。 それもその筈、八戒は扇のような大きな耳を立て、 口をつき出して、 ブーブーと鼻を鳴らしはじめたからである。 それに呼応するかのように、悟空も肩を怒らせ、 沙悟浄も渋面をいよいよ渋くしてのそりのそりと歩くので、 女たちは怖ろしがって遠くからとりまいたまま、 馬上の三蔵を眺めている。 「ほんとにいい男ね」 「ちょっとさわらせてくれないかしら」 口々に溜息がもれてくるのが四人の耳にまできこえてくる。 一行が市場を通り、旅籠屋の前までくると、 突然、一人の女がやってきて、 「遠来のお客さまたち、ここで先ず足をとめて下さい。 旅行者名簿に名前を書き入れてからでないと 城内に入れない規則になっているのです」 この国では入国管理事務所のお役人も女なのである。 三蔵が馬をおりて、旅籠の前に近づくと、 迎陽駅と書いてある。 四人は思わず顔を見合わせた。 迎陽の陽は太陽の陽でもあるが、陰陽の陽でもあって、 それを迎え入れるところというのだから、 全くそのものズバリである。 「さっきの村で迎陽館というのがあるときかされていたが、 全くおどろき入ったな」 三蔵が感心していると、沙悟浄が、 「女が二十歳になると、子母河の水を飲んで ここの落胎泉というところで影を映して見ると 言っていたじゃありませんか。 ひとつ八戒兄貴、影が二つあるかどうか 映して見たらどうです?」 「冗談いうない。 俺は落胎泉のお世話になったから、 もう落胎泉には用はないわい」 「シーッ」 と三蔵があわてて制した。 「言葉をつつしめ、口は禍いのもとだぞ」 女の役人に案内されて駅の中に入ると、 なかで立ち働いている老もすべて女である。 お茶を持って入ってきた女の子までが、 四人を見ると、しきりに色眼を使う。 「時に、お客様はどちらからおいででございますか?」 と、さっきの役人がきいた。 「私らは大唐国王の命によつて、 西方へお経をとりに参る者。 この方は唐王の御弟三蔵法師、 私がその一番弟子の孫悟空で、 この二人は私のおとうと弟子の猪八戒と沙悟浄です」 と悟空が仲間を紹介し、西梁国を通過するにあたって 国王の査証をいただきたい旨を申しのべた。 「これは、これは、大唐国のお方でいらっしゃいますか。 やんごとなきお方とも知らず大へん失礼申しました」 と女は俄かに慇懃になり、 「申し遅れましたが、私はこの迎陽館の駅丞でございます。 早速、城に参りまして皆様の要件を 王様にご報告して参りますから、 しばしの間、ここでお待ちになって下さいまし」 駅丞は衣冠を整え、宮中に入ると、 唐土から四人の男が馬を一頭ひいて 威下へやってきたことを報告に及んだ。 それをきくと、女王はすっかり喜んで、 「実は昨夜、 金屏風がピカピカ光り出す夢を見たんだけれど、 やっばりいいことがあったのね。 その唐三蔵とかいうのはどんな顔立ちなの?」 「それはそれは、 惚れ惚れとするような美男子でいらっしゃいますわ」 と駅丞は答えた。 「これも天の賜物だわね」 と女王はすっかり興奮して、 「開闢以来、男の姿を見たことのない国に いきなり大唐国の皇弟が見えるなんて、 どうやら私にも好運がめぐってきたのよ。 男をくれるなら、私は国も要らない、財産も要らない。 あの人が承知してくれるなら、 この国をそっくりさしあげて、 私はお后になることにしますわ」 「陛下のおっしゃることはごもっともでございますわ。 ですけれど、三人の弟子の方はどうなされます?」 と駅丞はきいた。 「三人はお前たちで適当に分けあえばいいでしょう」 「ですけれど、三人は容貌も化け物みたいですし、 とても女には怖いみたいですわ」 「それならば、あとの三人には望み通り査証をあたえて、 この国から立ち去らせればいいでしょう」 「ほんとうにそれがよろしゅうございますわ」 と居並ぶ女官たちは口をそろえて言った。 「ですけれども、 結婚には何と申しましても媒人が必要ですから、 太師にお願いして 媒人をつとめていただいたらいかがでございましょう?」 「ええ、そういうことに致しましょう。 お前は駅へ帰って三蔵さんにその旨をつたえ、 向うが承知したら、私が自分で迎えに出ますわ」 女王の命令によって、 太師は駅丞とともに迎陽館へ戻って行った。 「どういうわけかしら。 女王さまの教育係りが うちの婆さんに案内されておいでになりましたよ」 と駅館の女たちがいち早く知らせに入ってきた。 「へえ? 太師がね。 我々に何の御用だろうか?」 と三蔵が首をかしげると、 「きっと女王が我々をご招待しようというのですよ」 と八戒が知ったかぷりをした。 「いやいや、招待なんてものじゃない」 と悟空はかぷりをふって、 「招待なんてきれいごとではなくて、 きっと結婚のプロポーズにきたのですよ。 何しろここは男ひでりで 不作をかこっているそうだからな」 「もしお前のいうように 結婚を無理強いされたらどうしよう?」 と三蔵は早くも戦々兢々としている。 「据膳食わぬは男の恥というじゃありませんか」 と悟空は笑いながら、 「お師匠さまはただハイハイとうけあっておけば、 あとは私がうまくやってさしあげますよ」 そういっているところへ、二人の女役人が入ってきた。 太師は三蔵が世にも稀な美貌であるのを見ると、 内心すっかり喜んで、 「おお、この方こそわがエリザベスにふさわしいお方だ」 二人して三蔵の右左に立つと、口をそろえて、 「おめでとうございます」 と頭を深々とさげて挨拶するではないか。 「私は出家でございますよ」 と三蔵はあわてくさって、 「出家にはおめでたいことも悲しいことも ないことになっております」 「ここは西梁女国でございます」 と太師も負けずに言った。 「この国にはむかしから男が一人もいなかったのです。 そこへ突然ふってわいたように あなた様がおいでになったので、 我らの女王の意をうけて 私が求婚の使いに参ったのでございます」 「おやおや。これはまた奇なことを! ごらんのとおり私は出家で 養子にやれるような息子もありませんし、 連れてきているのは三人の暴れ者だけです。 求婚とおっしゃるのは どういうことでございましょうか?」 「実は私が女王にあなた様のことを 上奏申しあげたのでございます」 と駅丞が言葉をついだ。 「そう致しましたら、 陛下は自分は昨夜、屏風が光を放つ夢を見た、 きっといいことがあると思ったが、果してその通りだ、 かくなる上は国をあげて悉くあなた様にさしあげ、 自分は皇后になりたいから、お前ら、館にもどって その旨お伝え申せとおっしゃられたのでございます」 それをきくと、 三蔵はかえす言葉につまって下を向いてしまった。 「男は事に臨んで決断が大切だと申します」 と太師が口をきいた。 「養子に迎えるという話は世間にザラにありますが、 一つの国を持参金にした話は 滅多にあるものではございません。 どうぞその点をよくお考えになって、 色よいご返事をして下さい」 そばできいていた八戒は三蔵がだまっているのを見ると、 いらいらして、 「太師、折角でございますが、おかえりになって女王様に、 うちのお師匠さまは石部金吉カナカブトで、 美人を愛する道を知らないから、 早く査証をあたえて国境を通してやるがいい、 とおっしゃって下さい。 そして、もし、どうしてもひとりだけ 人買をおいて行かないと承知しないというのなら、 仕方がない、私が身を殺して仁を成します」 思わぬ横槍に太師はびっくり仰天してしまった。 「なるほどあなたも男のうちかも知れないけれど」 と駅丞はあわてて、 「女王様は選り好みのはげしいお方ですから、 恐らくお気に召さないと思いますよ」 「ハハハハ……」 と八戒は口をあけて笑いながら、 「あなたはまた何という不粋なお方だ。 男とハサミは使い様、 見かけと中身はわけが違うものですよ。 ベッドの中には醜男なんて一人もありやしませんや」 「おいおい、冗談はいい加減にして、どうするか、 お師匠さまご自身にきめていただこうじゃないか」 と悟空は言った。 「悟空や」 と三蔵は思いあまったように、 「お前はどう思うかね?」 「私の考えでは」 と悟空は二ヤ二ヤしながら、 「ここへお残りになるのも悪くはありませんよ。 むかしから姻縁というものは 糸でひっばるように千里の遠路からやってくる、 と言われているじゃありませんか」 「でも、我々がここで物慾のとりこになっていたら、 誰が西方へお経をとりに行くのかね?」 「それはご心配には及びませんよ」 と太師は答えた。 「女王さまはただ あなた様をご所望になっていられるだけで、 ほかのお三方は婚礼に立ちあっていただいた上で、 査証をしてさしあげる予定ですから、 お弟子さんたちに行っていただけば よろしいではございませんか」 「ごもっともでございます。 私たちだけでも早く出国させていただければ、 私たちがお経をとりにまいればよろしいのですから、 かえりにまたこちらへ寄せていただきます」 と悟空は言った。 太師と駅丞は喜び勇んで、 「ほんとにおかげさまで私たちは顔が立ちましたわ」 「それよりも約束は必ず実行して下さいよ。 我々がうけあったのですから、 婿礼の酒を忘れないようにね」 と八戒が念をおした。 「もちろんですとも。もちろんですとも。 酒席の用意はすぐにさせます」 |
2001-01-29-MON
戻る |