毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第五巻 色は匂えどの巻 第六章 からっ風 |
二 色の道教えます さて、洞内へひきあげた女怪は、 「戸じまりには十分気をつけるんですよ」 と部下に注意をあたえると、 自分の寝室へひきあげて行った。 もう日はとっぷり暮れて、 そろそろ“夜の思想”がうごめきはじめる時刻である。 「お前たち、あの人をこちらへ連れてきてちょうだい」 女はお化粧をすませると、 腰元たちが、三蔵を連れてくるのを待った。 「おや、まあ、お葬式にでも行くような顔をなさらないで、 もう少し晴やかな気分になって下さいよ」 三蔵の沈んだ顔を見ると、 女はことさら甘ったれた声を出した。 「お葬式の方はよく慣れておるのですが、 この方はどうも……」 と三蔵は浮かぬ様子である。 「葬式よりもこの方が極楽に近いかも知れませんよ。 オッホホホ……。 おわかりにならないのでしたら、 私が教えて進ぜますわ」 手をひかれるままに、三蔵は寝室の中へ入って行ったが、 阿呆か唖のようにポカンとしている。 しかし、それがまた女には殊のほか魅力的で、 「ね、ご一緒にここへ入りましょうよ」 「でも、私は頭を剃った男でございます」 「あなたの頭の毛を お借りしようというわけじゃありませんわ。 髪の毛なんかなくてもかまわないのよ」 「それくらいのことは私でも知っています」 「じゃかまわないじゃないの。 誰も見ているわけじゃないし、 坊さんなんて百中九十九は、 口ではえらそうなことを言っているけれど、 かげではちゃんとよろしくやっておりますわ。 それとも、あなた、私のからだではご不満なの?」 「いえいえ、 あなたは世上稀に見る美しいお方でいらっしゃいます」 「ということがおわかりなら、 こんな言葉もご存じでしょう。 願わくは花の下で死なん、 死んでは風流の鬼とならん……と」 「ぇえ、こんどまた生まれてきたら、 そういう唄をうたぅことに致します」 いやはやおかたいことおかたいこと。 夜はもう間もなくあけ放たれようとしているのに、 三蔵はなかなか落城しようとしない。 さすがのお化け女も、ついにしびれをきらして、 「縄を持っておいで」 と、今まで可愛い人と耳元でささやいた相手を グルグルと縄でしばりあげて、 自分は寝台の中に入ってねむってしまった。 そとでは早くも夜明けを告げる鶏の声がしている。 あくびをしながら起きあがった悟空は、 「やれやれ、頭の痛いのはどうやらなおったらしいが、 どうも痒いような気がするな」 「痒いなら、もう一度、奴にかいてもらうとするか」 と八戒が笑った。 「冗談いうな。まだ頭がガンガン言っているんだぜ」 「ガンガンならいいが、 お師匠さまのベッドはきっと一晩中、 ギーギー鳴っていたに違いないぜ」 「冗談はともかく、早くまた戦闘を開始しましょうや」 と沙悟浄が促した。 悟空と八戒の二人は沙悟浄に荷物の番を頼むと、 山をおりて右塀のところへきた。 「どれ。また俺が一走りして中の様子をさぐって来よう。 もしお師匠さまが化け物の前にあえなく童貞を失って、 惚れたの、ハレたのとうわごとをいっているようなら、 今日限り西方遠征隊は解散してしまえばいいし、 反対にもしお師匠さまが 他人に教える通り自分も操を守っているようなら、 何としても救い出してさしあげることにしよう」 悟空がそういうと、八戒はゲラゲラ笑いながら、 「兄貴も子供のようなことをいうじゃないか。 猫に鰹節という言葉があるが、 その鰹節を枕にしてねろと 猫に言っているようなものだぜ。 同じ堅いといっても、 どこが堅いのかわかったものじゃないぜ」 「阿呆こけ。名誉棄損で訴えられるぞ」 悟空はそういいながらも、八戒に別れると、 また蜜蜂に化けて、洞門の中へ入って行った。 家の中へ入って見ると、夜が明けてから寝入ったせいか、 不寝番までがこっくりこっくりやっている。 「お師匠さま。お師匠さま」 悟空は奥へとんで行って小さな声で三蔵を呼んだ。 「おや。悟空じゃないか。 早く助けておくれ」 蜜蜂は三蔵の頭の上に羽をおろすと、 「どうでした? 天にのばる気持でしたか?」 「バカなことをいうものじゃない」 と三蔵は唇をかみしめた。 「でも昨日、覗いた時は、 大分、お師匠さまに色気があったようじゃありませんか。 どうしてまたこんなところに つながれてしまったのですか?」 「さんざ口説かれたけれど、 私がどうしてもウンと言わないものだから、 カンカンになって、これこの通りさ」 三蔵の話す声をきいて、化け物は目をさました。 「だから、お前、助けておくれ。 私はどうしてもお経をとりに行きたいよ」 「お経だって?」 とお化け女は癇癪をおこして起きあがった。 「夫婦になろうという話をしているのに、 お経を持ち出すなんて、 頭がどうかしているんじゃないの?」 そのヒステリックな声におどろいた悟空は、 早々に洞門を脱け出して、 「おい、八戒」 と仲間のところへ駆け戻った。 「ところで、話はどういうことになった?」 と八戒がすぐにきいた。 「まだだ、まだだ」 と悟空は見てきた通りをくりかえした。 「へえ? お師匠さまは何かおっしゃっていたかね?」 「自分がどうしても パンツの紐をしっかりと握りしめていたから、 さすがの相手もどうにもならなかったといっていたぜ」 「なるほどなあ。 坊主の中の坊主といわれるだけあって、 我々と心掛けからして違うわい。 こうなったら、 我々も無形文化財の保護に一役かわずばなるまいよ」 八戒は嬉しくてたまらないといったように 熊手をとりなおすと、洞門の前へ進み出て、 力任せに扉を叩きこわしにかかった。 「大へんです。奥さま。 昨日の二人がまたやってきて門をこわしています」 門番の女が奥へ報告に入ると、女怪は、 「小癪な奴。いいわ。 お化粧をする前に片づけてしまうから、 お湯をわかしておいてちょうだい」 三股叉を手に握って、化け物は奥からとび出してきた。 「女ばかりの家に、 大の男が二人で押し入ってきたと言われては、 あなたたち、名がすたるわよ」 「何を言っているか、淫売女」 と八戒も負けずにやりかえした。 「金を出しても誰も相手になってくれないからと言って、 何もうちの若い師匠を むりやりくわえ込むことはないだろう」 「妬けることはないじゃないの。 そんなに飢えているのなら、 あなたがたの相手もさがしてあげますわよ」 「おっしゃいましたな。 オスかメスか、まず俺の一かきを、食ってみろ」 八戒は熊手をふりあげると、 相手かまわずおどりかかって行った。 化け物は素早く身をかわすと、 鼻から火、口から煙を吐きながら、 逆に八戒めがけて襲いかかってきた。 悟空も如意棒をとり出して、八戒の助太刀にまわったが、 化け物には何本手があるのか右に左にと、 巧みにこちらの武器を受けとめる。 そのうちに何やらが 八戒のとび出した口先にふれたような気がした。 「アイテテテテ……」 八戒は口をおさえると、とぶようにして逃げ出した。 「アイテテテテ……」 沙悟浄のいるところまで逃げかえっても、 まだ悲鳴をあげつづけている。 「それ見ろ。 昨日は俺のことを 頭に穴があいてないかなんてひやかしていたが、 今日はお前が豚ペストじゃねえか」 「痛い。痛い。全く痛い。 大した蓮ッ葉女だ。大へんな女だ」 |
2001-01-01-THU
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