毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第五巻 色は匂えどの巻 第七章 男泣き |
一 悟空の弔詞 驚いている強盗たちを尻目に、 如意棒の第一発が 悟空のそばに立っていた一番運の悪い男の上におちてきた。 「あれッ。よくも俺たちの親分をやりやがったな」 「ハッハハハ……」 と悟空は笑いながら、 「一人一人かかってくるか、 それとも束になってかかってくるか、 どっちでもお前らの勝手だ。 追剥がこんなにぎょうさんいては 通行人が難儀するから、 一人残らず根こそぎにしてくれるぞ」 と言いざま、またも棍棒をふりあげると、 次の一人がその場にのびてしまった。 形勢不利と見た強盗たちが 蜘蛛の子を散らすように逃げ散ったことはいうまでもない。 一方、馬を廻れ右させて トットともときた方向へ走らせた三蔵は、 すぐに八戒と沙悟浄の二人が歩いているところまで 戻ってきた。 「お師匠さま。どこへ行くんです? 方向が逆じゃありませんか?」 「八戒や、早く悟空のところへ行って、 手荒らな真似をしないように言ってきておくれ。 でないと、あの男のことだから、 どんなむごいことをしでかすかわかりゃしない」 「よしきた」 八戒は話をきくと、すぐ前方へ向って駈け出して行った。 「兄貴兄貴。 お師匠さまが手荒らなことをやっちゃいかんと 言っているぜ」 「手荒らな真似をやりたくても、相手がいないよ」 と悟空は答えた。 「強盗たちはどこへ行っちゃった?」 「皆、生命が惜しいと見えて、 足が身体についているうちに 身体を運んで行ってしまったよ。 もっとも二人だけここでねんねをしているがね」 「へえ、この寒いのに野ッ原でねんねとは 恐れ入った野郎だな」 近づいてよくよく見ると、 「おやおや、よだれを垂らしてねているぞ。 俺とそっくりじゃねえか」 「ありゃよだれじゃない。豆腐だ」 「人間の頭にも豆腐があるのか」 「だからお前は脳足りんだというんだ。 ありゃ脳味噌だよ」 ギョッとばかりに眼を見ひらくと、 八戒はあわてて三蔵のいるところへ戻って行った。 「お師匠さま。 行っちゃいました、行っちゃったですよ」 「そうか。そうか。 どの方向へ行っちまった?」 「どの方向もこの方向もありゃしませんよ。 真直ぐあの世ですよ」 「でもお前、行っちゃった、 と言っていたじゃないか」 「ガンとやられちゃ行っちゃう以外に 方法がないじゃありませんか」 「どんな具合なんだね? 行李の中に膏薬があった筈だから、 早く出しておあげ」 「お師匠さまも冗談がお好きですね」 と八戒は笑った。 「膏薬というものは生きている人の傷口に貼るもので、 死人に貼っても効き目はありませんよ」 「へえ。すると本当に殺しちゃったのか」 三蔵の顔は俄かに険しくなってきた。 三人が現場へ行って見ると、 あたりは血の色でそまっている。 三蔵は顔をそむけたまま、 「八戒や。 その熊手で坑を掘ってやりなさい。 私はお経をあげてやるから」 「でも殺したのは悟空兄貴ですよ。 兄貴の尻ぬぐいに私が土方をやらされるなんて 理窟に合わないことはありませんや」 「何をいうか、怠け者奴」 と怒鳴ったのは悟空であった。 「つべこべ抜かすと、お前も一緒に埋めてやるぞ」 三蔵はだんまりをきめこんで、 面と向って何も言わないので、 それが一しお悟空の胸にこたえる。 八戒はその場の空気を察すると、せっせと穴を掘って、 二人の死人を中へひきずりこんだ。 ほどなく土饅頭が二つできあがった。 「悟空や。線香と蝋燭を持ってきておくれ」 やっと三蔵は口をきいた。 「ここをどこだと思っていらっしゃるのですか?」 と負けずに悟空も言いかえした。 「山の中でも線香と蝋燭がなければ おとむらいが出来ないのなら、 先ずお師匠さまがここに町をつくって下さい」 「お前にはもう何も頼まないからいいよ」 三蔵はそう言って、土饅頭の前に両手をあわせると、 「こうして手を合わせる私の言葉をおききわけ下さい。 私は東唐から西方へお経をとりに参る者ですが、 たまたまこの土地を通ったところ、 どこの何者とも知れぬ人々に とりかこまれてしまいました。 私は言葉をつくして頼んだけれど、 あなたがたはどうしてもおききわけ下さらない。 かくて孫行者の犠牲となって 草葉の露と消え去ったあなたがたに、 私はいま祈りの言葉を捧げます。 どうか森羅殿へお着きの時は、 私は陳姓で孫姓でないことをご記憶の上、 間違いのない告訴をなさいますように。 あれは私の弟子で私とは何の関係もございません」 三蔵の言葉をきくと、八戒はクスクスと笑いながら、 「お師匠さま。 自分の手ばかり洗わないで、 ついでに私たちの身の潔白も証拠立てて下さいよ。 弟子は弟子でも、 私と沙悟浄にはちゃんとしたアリバイがあるのですから」 それをきくと、三蔵は本気になって、 「申しあげます。 いまおきき及びの通り、 このことは八戒及び沙悟浄とは関係がございません。 ですから訴えるなら、 どうか孫行者一人だけにして下さい」 「やれやれ。 責任転嫁はお役人の特技だけかと思ったら、 坊主の世界にまで応用されているとはね」 と悟空はこらえきれなくなって笑い出した。 「もしお経をとりに行くお師匠さまの お手伝いをしようという気持がなかったら、 何でこの俺がこいつらを殺したりするものか。 お師匠さまがそのつもりなら、俺にも言い分がある」 そう言って、悟空は如意棒をデンと土饅頭の上におくと、 「やい、盗人奴。 耳の穴をほじくってよおくきくがいい。 お前らは俺の頭をくたびれるまで殴ったじゃないか。 そこで今度は俺が一つ二つおかえしをしたら、 途端にあの世へ行って俺のことを人殺しと訴えるなんて 少し虫がよすぎるぞ。 訴えるなら訴えて見ろ。 玉皇とは昔から知り合いの仲だし、 四天王は俺の家来、 二十八宿は俺の名をきいただけでふるえあがるし、 九曜星はおそれをなしてそばにもよりつかない。 城隍爺は俺の前では顔もようあげないし、 東岳帝は膝をついたままふるえているし、 閻魔大王は俺が地獄を視察してまわる時は 自ら立って露払いをしてくれる。 ざッとそういう仲なんだから、 訴えるなら勝手にしやがれだ」 そばできいていた三蔵の方がびっくり仰天してしまった。 「悟空や。 私はお前に反省の機会をあたえようと思って、 そう言ったのに、ムキになるとはどういうことだね?」 「悪い奴らのことで、 こちらがムキになるようなことはお互いにやめましょう。 それよりも日の暮れないうちに、 今夜、泊めてもらうところをさがしましょうや」 「そうだ。そうだ。その方が肝心だ」 とすぐに八戒が賛意を表した。 一行が更に天下の大道を西へ進むと、 やがて行く手に大きな邸が見えてきた。 「あの家へ行って一夜の宿を借りようじゃないか」 「そうしましょう」 |
2001-02-04-SUN
戻る |