毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第五巻 色は匂えどの巻 第七章 男泣き |
四 忘恩の徒 さて、悟空を追いかえした三蔵は八戒に馬をひかせ、 沙悟浄に荷物を背負わせると、更に西へ西へと進んだ。 およそ五十里ほどもきただろうか。 三蔵は馬をとめると、 「やれやれ、今日はとんだ草臥れ儲けをしたな。 おかげで腹もすいたし、喉もからからだ。 どこぞへ行って托鉢をしてきてくれないか」 「ええ、そうしましょう。 お師匠さまはしばらくの間、 このあたりでお休みになっていて下さい」 八戒は三蔵を馬からおろすと、 自分は雲にのって中空へあがった。 見ると、視界のとどく限りは山また山で、 人家の煙など思いもおよばない。 八戒はもとのところへ戻ってくると、 「いやあ、 とても米の飯にはありつけそうもございませんや」 「ご飯がなければ、せめて水でも汲んできておくれ」 「水なら谷間におりれば何とかなるでしょう」 沙悟浄が鉢をわたすと、 八戒はまたも雲にのってどこぞへ消えて行った。 三蔵と沙悟浄は二人して長い間待っていたが、 八戒はいつまでたってもかえって来ない。 喉の乾きに耐えかねて、三蔵が苦しみ出したので、 見かねた沙悟浄は、 「ではお師匠さま、私が行って参りましょう」 と言って、これまた雲に乗って出かけて行った。 三蔵はひとりその場にのこつて、今か今かと待っている。 と、突然、ヒューンという音がしたかと思うと、 何やらが目の前におちてきた。 あわてて見ると、すぐそはに悟空がひざまずいている。 「私がいなければ、お師匠さまは 一杯の水にすら不自由するじゃありませんか。 さあ、水を持ってまいりましたから お飲みになって下さい。 いますぐご飯の方ももらいに行ってきますから」 「お前の水なんか飲みたくない」 と三蔵は頑なに首をふった。 「たとえこのまま悶え死んでも、 それは私の運命とあきらめる。 そこにいては目障りだから、 とっとと行ってしまうがいい」 「でも私がおそばにいなければ、 とても西天までは辿りつけませんよ」 「辿りつけようがつけまいが、お前の知ったことか。 気違い猿め、消えてなくなれ」 「何を!」 と悟空は色をなして立ちあがると、 「人をバカにするにも程度というものがあるものだ」 手に持っていた茶碗を投げすてると、 力一杯、三蔵をつきとばした。 可哀そうに三蔵はウンと一声唸ったまま その場に伏してしまった。 猿は相手が人事不省におちいったのを見ると、 そばにおいてあった二包みの風呂敷包みをとりあげて そのまま雲にのって立ち去ってしまったのである。 ところで托鉢の盆を持って、 山の南側へおりて行った八戒は、 しばらく行くと山の窪みに一軒の藁屋があるのを発見した。 さっきは山の蔭にかくれて目につかなかったのだが、 近づいて見ると、 どうやら人間が住んでいるらしい様子である。 「俺がこの恰好でニュッと出て行った日にゃ、 托鉢どころかお化けがやってきたと 思われるかも知れない。 待てよ。 どうせなら同情をひくような姿に身をやつした方が 効果的だな」 八戒は呪文を唱えて身体を七、八回も揺り動かすと、 どうやら栄養失調の痩せ細った坊主に変った。 そして、さも疲れはてたような恰好で門前に近づくと、 「もしもし、お情深い旦那様。 私は東土から西方へ参る旅の僧ですが、 師匠諸共、飢えと渇きのため路上で往生しております。 もし台所に食べ残しのおこげでもございましたら、 恵んでいただけませんでしょうか」 中には女がいて、ちょうど御飯時と見え、 飯を盆に盛ってこれから田園で働いている男のところへ 持って行こうとしているところであった。 女は八戒の哀れっぽい様子を見ると、 家の前で野垂死されちゃたまらんと思ったのか、 残飯を鉢に一杯詰めて渡してくれた。 八戒はすぐ帰途についたが、 途中で向うからやってくる沙悟浄に出会った。 「ここにきれいな水が流れているのに、 今まで一体どこへ行っていたんだ」 「いや、実はあすこに人家が見つかったので、 ついでに托鉢もしてきたところだ」 「で、いくらか収穫はあったかい?」 「これを見ろよ」 「うむ、そいつはすごい」 と沙悟浄は叫んだ。 しかし、すぐ思いなおして、 「こりゃちょっと困ったことになったな。 餅を手に入れたのは結構だが、 水を入れて行く器がないよ」 「そんなことわけはないじゃないか。 お前のその服を脱いで、その中にこの飯を移せばよい。 水を着物に包むわけには行かないが、 固型物なら大丈夫だろう」 「うむ。そいつはいい考えだ」 二人は水と飯と二つながら手に入れ、 喜び勇んでもとのところへ辿ってくると、 三蔵は塵挨の中に埋もれたままになっている。 「ヤッ。お師匠さまが!」 と八戒はあわててそばへ近づくと、 「言わずと知れたこと、 こいつはさっきの強盗たちの仕業に違いない」 「ああ。困った、困った。 せっかく、ここまでやってきたのに、 ここでこんなことになってしまうなんて」 沙悟浄は死んだように動かなくなっている三蔵に しがみつくと、ハラハラと涙をおとした。 「今更泣いたところでとり返しのつかないことだ」 と八戒は言った。 「こうなったら仕方がない。 どこぞ市のあるところへ行って、この馬を金にかえて、 お師匠さまのために棺桶のひとつも 買ってきてやろうじゃないか。 お師匠さまのお弔いをすませたら、 それからそれぞれ身のふり方をきめるとしよう」 しかし、沙悟浄はなかなかあきらめきれない。 三蔵の身体を仰向けにさせて、眼に眼をよせ、 「ああ。お師匠さま。 ああ。あなたはどうしてこんなにも不仕合わせなのか」 すると、 三蔵の口元にまだいくらか温味が残っているではないか。 「やあ、来てみろ。ここをさわってみろ。 まだいくらか望みがあるぞ」 言われて八戒がそばへ近づくと、 三蔵はかすかに身体を動かした。 「お師匠さま。お師匠さま」 と激しく揺り動かすと三蔵は眼をあけ、 「猿め、私を殺すつもりか?」 「猿ですって? 一体、どの猿です?」 二人の弟子はすぐにききかえしたが、 三蔵は溜息をつくばかりで何とも答えない。 二人が汲んできた水を少しずつ口に流し込むと、 三蔵は少し元気をとりもどして、 「さっきお前らが行ってしまったあとに悟空がやってきて、 しつこく私にからんだのだ。 私が追っ払ったら、私を殴った上に 風呂敷包みまでかっさらって打ってしまいよつた」 「畜生奴、何という恩義知らずの猿だ」 と八戒は声を張りあげて怒鳴った。 「だから私は言ったでしょう。 あの猿はとんでもない悪党だって。 こうなったら、ただじゃおかん。 俺が行って話をつけてきてやる」 「話をつけるたって、兄貴と悟空とじゃ喧嘩にならんよ。 それよりもお帥匠さまもお疲れのようだから、 さっきのあの家へ行って 少し休ませてもらおうじゃないか」 沙悟浄がそういうと、 もともと自信のない八戒はすぐに賛成した。 三人が家のあるところへ辿りついて案内を乞うと、 奥から婆さんが出てきて、 「おやおや。 今日はまたどうしてこうも 西方へ行く坊さんが多いんだろう。 さっきも一人やってきたばかりですよ」 「いや、あれは私だったのです。 この通りあまり色男すぎるので、 ちょっと変装をしたまでのことですよ」 婆さんは八戒の声にきき覚えがあったので、 三蔵が病気だときくと、同情して家の中へ入れてくれた。 三人はすすめられるままにお茶や御飯のご馳走になり、 いくらか落着きをとり戻した。 「あの荷物がないことには、 これから先の旅を続けて行くことが出来ないな」 と三蔵は言った。 「じゃ私がとりかえしに行ってきましょう」 と八戒は答えた。 「前に奴がお師匠さまに追っ払われた時に、 私が出かけて行ったことがありますから 花果山の在りかは知っています」 「しかし、お前じゃ駄目だ。 お前は以前からあの猿とは仲がよくなかったから、 喧嘩にならないとも限らない。 こんな時の使いは沙悟浄に限るよ」 「じゃ、私が行ってまいります」 と沙悟浄はすぐに承知した。 「お前、あすこへ行ったらうまく交渉しておくれ。 もしどうしてもかえしてくれそうになかったら、 観音菩薩のところへ行って頼む方がいいよ」 「わかっております。 どうせまともにぷっつかって行ったのでは 勝ちっこない相手なんですから」 沙悟浄はあとを八戒に頼むと、 東勝神洲は花果山めざして雲を走らせた。 |
2001-02-07-WED
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