毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第五巻 色は匂えどの巻 第八章 俺は淋しい |
二 平和的解決策なし 悟空の斗雲がジェット機並みの速度としたら、 沙悟浄の仙雲はDC4ていどであろうか。 根がセッカチの悟空は、 南海をとび立つと我先に進もうとしたが、 その袖を沙悟浄がつかまえた。 「兄貴、何もそんなに急ぐことはないでしょう。 行くなら二人で、お手手つない−で行きましょうや」 一足先に行かれて 小細工をされてはたまらないという気持があるのである。 悟空もそれと気づいて、 仕方なさそうに斗雲のスピードをおとして肩を並べた。 ほどなく二人は花果山の麓に到着した。 勝手知った山道を通り、洞門のそばへ近づくと、 はたして悟空そっくりの男が 猿どもにかこまれて酒を飲みかわしている。 赤茶けた頭髪に金の輪をはめ、 腰に虎皮のフンドシをしめた姿は 悟空と寸分かわりがないばかりか、 手に如意棒まで握りしめているではないか。 「ゥヌ」 と歯ぎしりをした悟空はツカツカと洞内へ入って行くと、 「やい、ニセモノ。 場末の酒場で俺の名前をかたるならともかく、 俺の縄張りで俺の名前をかたるとは不届き至極。 思い知らせてやるぞ」 いきなり如意棒をふりあげると、 もう一人の悟空も立ちあがって 如意棒でガチリとそれを受けとめた。 いや、驚いたのは 生命を賭けて打ちあっている当人たちよりも、 見ていた沙悟浄の方である。 二人は洞内せましとばかりに野外へとび出すと、 九天をかけめぐっての大合戦をはじめた。 しかし、どちらがホンモノでどちらがこセモノか さっばり見分けがつかないから、 助太刀をしようにも手の出しようがないのである。 眼をパチクリさせて戸惑っていると、 悟空から声がかかった。 「沙悟浄、お師匠さまのところへかえれ! 俺はこいつと南海へ行って白黒をつけてくる」 「そうだ。そうだ。 どちらが白か黒か、 この際、はっきりけじめをつけておいた方がいい」 きくと、二人は声までそっくりではないか。 沙悟浄ほますますわからなくなって、 これはひょっとしたら、 悟空が精神分裂をおこして 心の中で互いに闘争をしているうちに、 形にまで現われたのではないかと疑った。 しかし、二人の悟空は 互いにあくまで譲り合う気色はなく、 「よし、それなら南海まで行こうじゃないか」 一方が誘えば、他方も反対しない。 共に自分の正統性に自信を持っていること、 あたかも“二つの中国”に似ていて、 南海落伽山を 国連総会か何かのように考えているらしいのである。 二人が互いに悪態をつきながら、落伽山へやってくると、 潮音洞は早くも割れるような大騒ぎになった。 「こらこら。ここをどこと心得ている」 なおも如意棒をかまえている二人の悟空を見ると、 さすがの観音菩薩も声を荒立てた。 「ここは天上天下の争いを平和的に解決するところだ。 コブシのふりあいをするなら、東洋大海か西洋大海か、 それともアフリカへでも行くがいい」 「でも観音さま。これが怒らずにおられましょうか。 私の留守につけこんで私の名揃をかたる男が現われて、 私の築きあげたものを 片っ端から切り崩して行くのですよ」 一方が言うと、片一方がすぐその語尾をついで、 「人の言いたいことを先廻りしていう奴が悪党と、 むかしから相場がきまっています。 観音さま。 悟空は口から先に生まれた男であったかどうか 思い出して下さい」 観音菩薩をはじめ、居並ぶメンバーたちは 腕組みをしたまま二人の訴えをきいていたが、 いくら目を皿のようにしても、 どちらが本物か見分けがつかないのである。 「どれどれ。 いくら口で争っても仕方がないから、 そこへ並んで坐ってみておくれ」 と菩薩がいうと、 二人ともおとなしくその場にあぐらをかいた。 菩薩はそばにいる木叉と善財の二人にこっそりと、 「一人ずつ手分けをして監視をしておくれ。 私が緊箍児経をとなえるから、 とたんに頭痛をおこした方が本物だ」 ところが予期に反して、観音菩薩が緊箍児経を唱え出すと、 二匹の猿とも直ちにその場にひっくりかえって、 「やめて下さい」 「よして下さい」 と叫び出すではないか。 菩薩がお経をやめると、 二人はケロリとしてもとのところに坐りなおすのである。 これには菩薩の方が頭を抱えてしまった。 「悟空や」 「ハイ」 と二人は一せいに返事をする。 「お前はそのむかし、 天界で弼馬温をつとめたことがあったな。 むかしの同僚ならきっと どちらが本物のお前であるか見分けてくれるだろう」 「きっとそうだと思います」 「ではそう致しましょう」 二人は観音菩薩に別れを告げると、 今度は南天門へやってきた。 「やあやあ。斉天大聖が二人いるぞ」 門を守っていた広目天王をはじめ、 天将たちは目をパチクリさせている。 二人が先を争って、事の経過を説明すると、 天将たちは驚き呆れるばかりで、 自信をもって即答の出来る者は一人もいない。 「それならば、道をよけて俺たちを通しておくれ。 玉皇上帝に白か黒か見分けてもらおうじゃないか」 「いいとも。それがいい」 霊霄宝殿では四大天師が、 早くも事の経過を玉皇上帝に奏上申しあげている。 そこへ相争いながら、二人の悟空が入ってきた。 「ここをどこだと心得ている! 生命が惜しいとは思わないのか」 「陛下。私の身にもなってみて下さい」 「私が陛下のお教え通り仏門に帰依しようとすると、 こいつが反対のことをやって邪魔立てをするのです」 「いや、邪魔立てをするのはこいつです」 こういう調子ではいつまでたっても埒があかないので、 玉皇上帝は李天王に照妖鏡を持ってきて、 どちらが本物か識別するように命じた。 ところが李天王が鏡をとり出して、 二人をうつし出して見ると、 どちらにも悟空の影がうつっていて、 金の輪から足の先までいささかの違いもないのである。 これには宇宙の支配者も困りはてて、 どこへなりと消えて失せろ、ということになった。 「玉帝さえホンモノとニセモノの区別がつかないとは!」 と一方がいうと、片方も負けずに、 「貴様のようなニセモノにはほとほとあきれちゃうよ」 「なに。俺はお師匠さまのところへ戻ることにするさ。 お前は水簾洞にかえるなり、還俗するなり、 どうにでも勝手にしやがれ」 「そうは行かないさ。 この世の中にお前がおれば、俺はない。 俺がおれば、お前はない。 ジーキルとハイドというわけには行かないぞ」 「それなら俺と一緒に来るがいい。 お師匠さまなら、どちらが本物か見分けがつくだろう」 「いいとも。いいとも。これからすぐ行こうじゃないか」 これより先、沙悟浄の方は、 二人の悟空が南海へとび立ってしまったので、 やむなく三蔵たちのいる村へ戻ってきた。 一部始終をきき終った三蔵は、 「悟空にしてやられたとばかり思っていたが、 あれは悟空をかたった二セモノだったのか。 悟空を恨んですまなかったな」 「それだけならまだよろしいんですけれど、 ニセモノの悟空は お師匠さまや八戒兄貴のニセモノまでつくりあげて、 別働隊をつくって西方へ行こうとしているのですよ」 これにはさすがの三蔵法師も、 我が党の分裂を覚悟した時よりも驚いた。 しかし、八戒は悠然たるもので、 「別働隊またよからすやだ。 大体、俺はむかしから独占資本主義には反対で、 国鉄も専売公社も電電公社も二つ、 もしくは三つ作ることに賛成だ。 そうすれば、競争してお客にサービスするようになるし、 満員電車も解消するし、煙草もうまくなるし、 電話の不足なんか立ちどころに解決してしまう。 俺と同じ恰好の人間がもう一人いて、 俺が女のことを考えている時は 真面目くさった顔をしてお経を読んでおり、 俺がお師匠さまに小言を言われている時に、 逆にお師匠さまの頭をこづいているのかと思うと、 考えるだけでも愉快になるじゃないか。 アッハハハハ……」 三人がそう言っているところへ、 突然、天から何やらふってきた。 見ると、相争う二人の悟空である。 二人は相も変らず如意棒をかまえながら、 口ではお互いに罵りあっている。 「どれどれ、俺が見分けてやろう」 と八戒がとび出して、空に向って、 「おい、兄貴、八戒がきたからもう大丈夫だぜ」 「よう。八戒か。ちょっと手をかしてくれ」 二人は八戒の姿を見ると、同時に叫んだ。 口で大きなことを言ったものの、 沙悟浄に見分けのつかなかったものが 八戒に見分けのつこう筈もないのである。 「お師匠さま。あれがあるじゃありませんか?」 と突然、沙悟浄は手を叩きながら、三蔵に耳打ちした。 「そうそう。それがいい」 三蔵が頷くと、沙悟浄は天に向って、 「悟空兄貴。お師匠さまがここに来いといってますよ」 それをきくと、 二人は争うのをやめて三蔵の前へおりてきた。 沙悟浄がこれこそと思ったのは、しかし、 観音菩薩が既に試験済みの緊箍児経である。 三蔵が口の中で唱えはじめると、 二人ながらにその場で七転八倒するのだから、 平和的話し合いで真偽のほどを解決することは 思いも及ばないのである。 「こうなったら、あの世へ行って 閻魔大王に白黒をつけてもらおうじゃないか」 「いいとも。いいとも」 二人はまたも相争いながら、三蔵たちの前から姿を消した。 |
2001-02-09-FRI
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