毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第五巻 色は匂えどの巻
第八章 俺は淋しい

四 善人は淋し


心は一つ、身は四つ。
四人一行心をあわせて
更に西へ西へと旅を続けて行くうちに、
いつしか炎暑きびしい夏をすぎ、
またしても秋風の立つ季節がやってきた。

ところが、もうそろそろ冬仕度の頃だと思っていると、
豈はからんや、西へ進むに従って暑さが逆にぶりかえし、
蒸籠の熱気をまともに浴びたような気温である。
「秋だというのに、どうしてこんなに熱いんだろうな」
と馬の上の三蔵が言った。
「ご存じないんですか、お師匠さまは?」
と八戒が知ったかぶりをした。
「西の果て、日の落ちるところに
 斯哈哩国という国があるんですよ。
 俗に天尽頭と呼ばれているところです。
 そこでは夕方になると、
 国王が家来の者を櫓に登らせて
 海に向ってラッパを吹かせます。
 太陽がまさに海へ没しようとする時は、
 ちょうど火が水に消される時のような音を立てます。
 もしその時、ラッパの音がうまく海の音に合わないと、
 城下の子供が殺されてしまうときいています。
 この暑さはきっと日没の国まで来てしまった証拠ですよ」
「ウァッハハハハ……」
と悟空は肩を揺すぷって笑い出した。
「バカも休み休みに言った方がいいぜ。
 なるほど斯吟哩国というところがあることは
 間違いないが、
 うちのお師匠さまのような牛歩主義では
 孫の代になってもそこまで到底到着するわけがないよ」
「じゃ、おききするがね、日没の国でもないのに、
 どうしてこんなに暑いのかね?」
「そりゃきっと天候不順のためですよ。
 人間にもピントの狂う奴があるように、
 天候にもピントはずれということがあるでしょう」
と沙悟浄が言った。

三人が愚にもつかぬ議論をしながら歩いていると、
折よく赤い屋根に赤い塀をめぐらした人家が
路傍に見えてきた。
「悟空や。あの家へ行って様子をきいてきてくれないか」
悟空は如意棒を蔵い込み、服装の乱れをなおすと、
紳士のように乙にすまして赤い家の門を叩いた。

やがて奥から竹の杖をついた老人が出てきたが、
悟空の容貌を見ると驚きの眼を見ひらきながら、
「あなたは誰です? 何をしにきたのですか?」
「どうも突然で恐縮でございます。
 実は私ども師弟四人、これから西方へ参るものですが、
 ここを通りかかりましたところ、この通りの暑さで、
 一体、どうしてこんなに暑いのか、
 ここは何というところなのか、
 それをお尋ねしたいと思ってお邪魔したのです」

悟空が顔に似合わず丁寧な口をきいたので、
老人はやっと安心して、
「いや、どうも失礼致しました。
 ほかにお連れの方もおいでとのことですが、
 どこにいらっしゃるのですか?」
「あすこにいるのがそうですよ」
「なるほど。まあ、どうぞこちらへお呼びになって下さい」

悟空が喜んで手招きすると、
ほかの三人もそばへやってきた。

見ると、一行の師匠はまことに容貌端麗な僧侶だったので、
老人はすっかり機嫌をなおして
四人を家の中へ招じ入れてくれた。
「もう暦はとっくに秋だというのに、
 ここはまたどうして
 こんなに暑いのでございましょうか?」
と三蔵はきいた。
「ここは火山というところでしてね、
 一年を通じて季節のないところなんですよ」
と老人は答えた。
「火山と申しますと、
 火が燃えているのでございますか?」
「その通りでございます」
「どの方向にあるのですか?
 まさか西方へ行く道が塞がれてはいないでしょうね?」
「山そのものは
 ここから六十里ほど行ったところにありますが、
 生憎と八百里にまたがって火を吐いていますから、
 西へ行くことなど思いもよりませんよ」

それをきくと三蔵はすっかり意気銷沈して、
押し黙ってしまった。
ちょうど、
そこへ餅売りが赤い車を押して門のそとを通りかかった。
「餅や、餅」

声をきくと、悟空はそとへとび出して行って、
「おい、餅をくれ」

銅銭を出すと、若者は車の蓋をあけて、
中から湯気のぽかぽか立っている餅を
一つとり出して悟空にわたした。
「アツツ……アツツ」

手にもった悟空は、
まるで真赤に焼けた釘を持たされたように扱いかねている。
「これしきの熱さで悲鳴をあげるなんて、
 お客さんもどうかしていますね、
 ここのものは何でもこんなに熱いんですよ」
と餅売りが笑った。
「しかしな、こんなに熱くっちゃ五穀もみのるまいよ。
 年中熱くってどうして餅が出来るんだね?」
「餅のことが知りたかったら、
 鉄扇仙に頼めばいいんですよ」
「鉄扇仙だって? そりゃ一体何だ?」
「鉄扇仙というのは芭蕉扇をもった仙人のことですよ。
 あの仙人が自分の持っているあの扇で一あおぎあおぐと、
 火はたちどころにしずまります。
 二あおぎあおぐと、風が生じます。
 三あおぎあおぐと、雨がふってきます。
 その雨を待って種を蒔けば、
 食糧がとれるというわけです。
 でなければこのあたりは
 それこそ草も生えないところですよ」
「いや、どうも有難う」

話をきくと、悟空はすぐ家の中へ戻ってきて、
「お師匠さま。いい話をききましたよ。
 心配しないでも火山はうまく通れそうです」

そして餅をいくつかに分けると、
「ご老人。餅をおあがりになりませんか?」
「おやおや。
 まだお茶もさしあげていないのに、
 お客さまからお餅のご馳走になるなんて、
 それではどちらがお客さまか
 わからないじゃありませんか」
「まあ、そう遠慮なさらないでも……。
 それよりも鉄扇仙というのは
 どこに住んでいるのですか?」
「鉄扇仙のことをおききになってどうなさるのですか?」
と老人はききかえした。
「さっき餅売りの若者からきいたのですが、
 この地方では田植えをする時は
 鉄扇仙に頼むそうじゃありませんか。
 それで思いついたのですが、あの扇をかりてくれば、
 我々もうまく火山を通れるし、
 土地の人も同時に田植えが出来て、
 まさに一石二鳥じゃありませんか」
「それはその通りですが、
 独占事業のようなものですから
 相当高い謝礼を払わないと、
 なかなかウンと言いませんよ」
「どんな謝礼を要求するのですか?」
「私どもでは十年に一度お願いしていますが、
 一回おいで願うためには豚四頭、羊四頭、紅い布地、
 山海の珍味、美酒佳肴と、
 礼物だけでもたいへんなものでございますよ」
「いや、そいつはまた何とでもなりますから、
 まず仙人の居所を教えて下さい」
「鉄扇仙の棲んでいるところは翠雲山と申しまして、
 この山の西南の方角にございます。
 その山の中に芭蕉洞という仙洞があります」
「じゃ、これからちょっと一走りして来ましょう」
「いやいや、西南と申しましても、
 ここから一千四百五十里もあるんですよ。
 往復に一カ月もかかるところですし、
 途中に泊まる家もありませんから、
 食糧の用意と
 お供の二人も連れて行かなければなりません」
「なあに。
 そんな手間のかかることをやっていちゃ
 商売になりませんや。
 こちらは気の早いことを売り物にしているんだから」

そう言ったかと思うと、
悟空は早くも空へ向ってとびあがっていた。
さて、一跳び十万八千里の悟空は
須臾にして翠雲山へ辿りついた。
洞門はどこだろうとさがしていると、
林の中で一人の樵夫が木を切っているのにぶっつかった。
「お尋ね致しますが……」

声をかけると、樵夫はふりかえった。
「翠雲山というのはこの山のことですか?」
「そうです」
「銑扇仙の芭蕉洞というのはどこにあるのですか?」
「芭蕉洞というのはここにありますが、
 鉄扇仙というのはおりませんね」
「でも芭蕉扇というのを持っていて、
 それで一あおぎあおぐと
 火山の火が消えてしまうときいてきましたが……」
「おっしゃる通りです。
 しかし、そいつを持っているのは鉄扇公主、
 又の名、羅刹女という女ですよ」
「なあんだ、女か」
と悟空はあてがはずれたような顔をした。
「しかし、女でも仙人とよばれているくらいですから、
 大したものですよ。
 牛魔王を尻の下に敷いている女だそうですから」
「というと、牛魔王の女房ですか?」
「そうです。その通りです」

それをきいた途端に、悟空は顔色をかえた。
それもその箸、先年ひどい目にあわせた紅孩児は
牛魔王の息子だったし、
しばらく前に水をもらいに行って
大台戦をやった如意真仙は紅孩児の叔父貴だった。
あの時も甥の仇と言われたくらいだから、
息子の仇ときた日にはとても尋常なことではすむまい。
「善人どもは隊を組まないのに、
 どうして悪党どもはこうも連絡がいいのだろう。
 俺は淋しくなってきたよ」

首をかしげて三嘆することしばしである。

            
(つぎは「経世済民の巻」)

2001-02-11-SUN

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