毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第六巻 経世済民の巻 第二章 左 団 扇 |
三 化け合いコンクール 八戒は準備をととのえると、 土地神と連れ立って雲にのった。 しばらく行くと、上空で騒々しい声がしている。 何事ならんと眺めやると、悟空と牛魔王が 華華しく一騎打ちを展開しているところであった。 「いいところへ来ましたな」 土地神がそそのかすまでもなく、 八戒は熊手をとりなおすと、 「兄貴、助太刀をしましょう」 ふりかえった悟空は、 八戒をそこに見出だすと恨めしそうに、 「お前のおかげで俺はとんだ目にあったぞ」 「俺のおかげで? そいつはまたどういうわけですか?」 「どういうわけも、こういうわけも、 牛魔王がお前に化けてバカ面をするものだから、 てっきりお前だと思って、 折角、とって来た芭蕉扇を また逆にまきあげられてしまったのだ」 それをきくと八戒はカンカンになって、 「この鋤焼野郎奴。 人もあろうにこの俺様に化けやがるとはけしからん奴だ。 そんなことで我らの仲をひきさけるかどうか、 この熊手の味を思い知れ」 熊手をとりあげて猛進してくる。 いやはや一日中、 悟空とわたりあっていい加減くたびれた牛魔王は、 この上新敵手とわたりあう気力も失って、 すきを見ると逃げ出そうとした。 「大力王」 と土地神がその前に立ちはだかった。 「無駄な戦争はやめて、 気前よく芭蕉扇を貸してさしあげたらいかがですか? 貸して減るわけのものじゃなし、 向うは無事、火山をわたりさえすれば、 あとはちゃんとおかえしするといっているのですから」 「お前は全く何も知っちゃいないな。 大体、奴は俺の息子を誘拐し、俺の妾をおどかし、 俺の女房をだまくらかした稀代の大悪党だぜ。 俺の気持からいったら、奴をこの口でかみ殺して、 反芻して、ウンコにして、 犬にでも食わせてやりたいところだ。 殺してもあきたりない男に、人もあろうにこの俺が 芭蕉扇をかしてやれるかっていうんだ」 「貸してくれないなら、 腕ずくでウンと言わせて見せるまでのことだ」 八戒と悟空は二人して牛魔王に打ちかかって行った。 三人が死闘を続けているうちに、 とうとう夜が明けて朝になっていた。 気がついて見ると、いつの間にか、 積雷山は摩雲洞の入口まできてしまっている。 「うちの大王が昨日のトンガリ口と外で戦っていますよ」 小妖怪どもが奥に報告すると、 玉面公主は家の子郎党に命じて 手に手に武器をもたせて応援に馳せ参じさせた。 「いいところへ来てくれたぞ。 それッ。やっつけろ」 百数十人の者がドッとばかりに押しよせたので、 八戒はびっくりして退き、悟空は空にとびあがった。 そのすきに牛魔王は洞窟にかえり、 中から洞門を堅くとざしてしまった。 「やれやれ。とんだくたびれもうけになってしまったな」 と悟空はがっかりしたように言った。 「それよりも、扇一本借りるにもこう苦労するんじゃ、 この先が思いやられるよ。 いっそ火山を越えるのなんかさらりとあきらめて、 どこぞ好きな女でもいるところへ行こうじゃないか」 何かといえば八戒は脇道に行くことばかり考えている。 しかし、土地神は青天白日の身になって 天界へ戻れるかどうかの境目に立っているから、 この中にいる誰よりも真剣である。 「お二人ともよおくお考えになって下さい。 転業するといったって、一度入った坊主の道。 今更、大道をよけて抜け道を歩いたって 面白くもどうもないじゃありませんか。 あなたたちが今まで読者にもててきたのも、 もとをいえば、誰も歩こうとしない正義の道を歩こうと 努力してきたからですよ。 それを途中からちょいと横丁にそれてしまったのでは、 読者が泣いてしまいます」 「たしかにそうだ」 と悟空もすぐに応じた。 「つまらんことを考えるのはよして、 やっばりこの道一すじに邁進することにしよう。 俗世間の人が恋愛に血道をあげる場合だって、 たとえ火の中、水の中、というじゃないか。 まして我ら自ら選んで、 理想への道を歩まんとする者においてをやだ」 「そんなことを言われると俺も弱いな。 どうせ乗りかかった船だ。 一か八か、もう一押し押してみるとしようか」 二人は新しく気をとりなおすと、摩雲洞のそばへ近づいて、 力任せに洞門を叩きこわしはじめた。 「もうすぐ正門が破れてしまいそうです」 衛兵が奥へとんで行くと、 牛魔王は奮然と立ちあがって門前へとび出してきた。 「押売りたかり寄附強要はお断わりと 書いてあるのが見えないのか」 「貼札を見ただけで逃げてかえる押売りがあったら、 そいつは押売りでないわい」 と八戒も負けずにいいかえした。 「誰かと思ったら糠食い野郎じゃないか。 お前じゃ勝負にならないから、猿をよんでくるがいい」 「去る者日々にうとしというが、その口のきき方は何だ。 昨日まで俺はお前を義兄弟と思って礼をつくしてきたが、 もう今日からは不倶戴天の仇敵だ。 いざ、この痛棒をくらえ」 悟空が如意棒をふりあげると、 牛魔王も混鉄棍をもって迎え討つ。 そこへ八戒が助太刀に入り、 三人は入り乱れておよそ百数十回もわたりあったが、 さすが腕に覚えのある牛魔王も二人に一人では衆寡敵せず、 折を見て摩雲洞へ逃げかえろうとした。 「待て、どこへ行く」 見ると、 洞門の前には土地神が手兵を連れて待ちかまえている。 進退きわまった牛魔王は混鉄棍をしまうと、 揺身一変、忽ち一羽の天鷲に化けて空高く舞いあがった。 それを見ると、悟空は笑いながら、 「あいつ、とうとう行ってしまいやがったよ」 「どこへ行った、どこへ行った」 八戒は草むらの中をしきりに探しまわるが、 どこにも見当らない。 「あれだよ。あすこにとんでいるじゃないか」 「ありゃ天鷲じゃないか」 「牛ちゃんの化けた天鷲だよ」 「こういう時は鉄砲でもあると有難や有難やなんだがな」 「奴は俺がひきうけるから、 お前らは摩雲洞の掃蕩戦をやってくれよ」 そういって悟空も如意棒をしまうと、 揺身一変、今度は一羽の海東青になった。 海東青は羽撃きも鋭く天鷲めがけて突進して行く。 それと知った牛魔王の天鷲は 素早く黄鷹にかわって逆に海東青に襲いかかろうとした。 海東青も間髪を入れず一羽の烏鳳に化けた。 すると、黄鷹は一羽の自鶴になりかわり、 「クー」と一声遺恨を残して南を指してとんで行く。 「奴が白鶴なら俺は丹鳳だ」 丹鳳こそは百鳥の王である。 悠然と羽撃く丹鳳を見ると、白鶴は戦意を失い、 そのまま地上に舞いおりて、今度は一匹の麝香鹿に化けた。 鹿は何食わぬ顔をして草むらの中に顔を埋めているが、 悟空はそばへおりると、 いきなり餓えた猛虎に化けて、「ウォッ」と吼えた。 びっくりした牛魔王はぶるっと身を動かすと、 まだら模様の大豹に化けて負けじと身構える。 悟空も頭を動かすと、素早く御子にかわって 逆に大豹に食ってかかろうとした。 大豹は熊に早変りして猛然と後足で立ちあがった。 それを見ると、悟空は巨象に化けて あの長い鼻で熊を捲きにかかろうとした。 「ヒヒヒヒ……」 奇妙な笑い声を立てながら、 むっくりと起きあがったのを見ると、 一匹の大白牛である。 両方の眼は鋭きこと利剣の如く、 グッと突き出した角は鉄塔の如く、 かつて見たことも想像したこともないような 一大巨牛である。 これぞ牛魔王の本性なのである。 「やい。猿め。 俺をどうにかできるものならやってみろ」 悟空ももとの姿にもどると、如意棒をとり出して、 腰をかがめ、 「大きくなれ!」 と叫ぶと、四尺の身体が筍ののびるように 忽ち万丈の高さに伸びるではないか。 頭は泰山の如く、目は日月の如く、口は血の池の如く、 牙は門の扉の如くというのは まさにこの威容を形容するための言葉であろう。 牛魔王は頭を低目にかまえて身構え、 悟空は如意棒を高々とふりあげて まさに一触即発の勢いである。 戦いは遂に開始された。 牛魔王は尻っ尾を硬直させ、猛然と立ち向ってくる。 悟空はただの一打ちで打ちとめようと、 如意棒を打ちおろす。 その気勢に呑まれて後ずさりをした牛魔王は、 形勢利あらずと見るや、 もとの姿にもどって一路翠雲山めざして逃げ出した。 そして、芭蕉洞の中へすべり込むと、 そのまま門をとざしてしまった。 あとを追ってきた悟空が 正門を打ち破りにかかろうとすると、 そこへ八戒と土地神が追いついてきた。 「摩雲洞の方はどうなった?」 「いや、もうすっかり片をつけてしまったよ。 玉面公主なんて名前をきくと、どんな美人かと思うが、 打ち殺して見たらただの狸じゃないか。 妾宅が片づいたから、 今度は本宅だと思ってやってきたところだ」 「いや、ご苦労だった。 奴はいま洞門の中へ逃げこんだところだ」 「芭蕉洞というのはあの門のところかね?」 「そうだ。羅刹女はあの中に住んでいる」 「それならば、二人とも袋の鼠じゃないか。 ホシをさがすなら女をさがせだ」 勢いに乗じた八戒は熊手をとりなおすと、 早速、芭蕉洞をこわしにかかった。 |
2001-02-18-SUN
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