毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第六巻 経世済民の巻 第三章 ネオン国 |
一 レジャー時代の悲哀 火山を無事に通りすぎた一行が なおも西へ西へと旅を続けて行くうちに、 いつしか炎暑の夏もすぎて、 秋風の身にしみる季節となっていた。 「悟空や、あれをごらん」 馬上の三蔵が突然、前の方を指ざして叫んだ。 「久しぶりに都が近づいてきたようだね」 見ると、遙かなるあたりに 城壁を張りめぐらした大都会がくりひろげられている。 「お師匠さま。 あれはきっと国王のいる城下町ですよ」 と悟空が言った。 「フン。 中に入って見ないうちから、 どうして国王のいる都だってことがわかるんだね」 と八戒が茶々を入れた。 「そりゃわかるさ。 まわりを見てみろ。 城壁には門が十いくつもあるし、 ざっと見たところでも 一まわり百十数里はあろうというスケールじゃないか。 帝王のいる都でなければ、 とてもこんな立派な大都市にはならないよ」 「帝王がいるから大都市になったのか、 それとも大都市だから帝王が生まれたのか、 一体どちらだろうな」 と沙悟浄が思案に暮れたようにつぷやいた。 「そんなことはお前、学者先生に任せて、 我々は久々に目の保養をしようじゃないか」 と八戒が一同をせき立てた。 やがて一同は城門に辿りついた。 馬をおりて橋をわたると、城内は黒山のような人出で、 成長経済を誇るかのように 飲み屋や食い物屋が軒を並べている。 「こりゃなかなか面白そうなところだな」 と八戒が舌なめずりをしながら言った。 「いや、 こんなに飲食店ばかりある郡は消費都市に違いないよ」 と沙悟浄が首をふった。 「消費都市なら余計いいんじゃないか。 消費消費といって軽蔑するけれども、 消費あっての生産というのが近代経済学の理論なんだ。 お前、何も知っちゃいないんだな」 と八戒がちょっと威張って見せた。 「フン。 お前どこからそんな思想を仕入れてきたんだ?」 と脇から悟空が嘴を入れた。 「どこから仕入れてきたかって、 兄貴、俺やこの頃、経済の勉強をはじめたんだ。 経済がわからんことには 世の中のことをあれこれ論ずる資格はないよ」 「経済とは、しかし、経世済民のことだろう?」 と沙悟浄がきいた。 「古い古い」 「すると何だ。 お金をがっちり貯めこむ、ということかい?」 と悟空がきいた。 「それも古い古い」 「じゃ一体、何のことだ?」 「ハッハハハ……」 と八戒は笑いながら、 「いかに実働労働時間を短縮して、 レジャーをたのしむか、ということさ」 「レジャーって、そりゃ一体、どういう意味だい?」 「レジャーとは英語で余暇という意味さ。 余暇を楽しむのが労働者の目標となりつつあるのが 現代の風潮なんだ」 「なあんだ。 余暇なら余暇といえばよさそうなものを、 思わせぷりに外来語なんか使いやがって」 「いや、余暇なんて古い言葉では感じが出ないんだ。 新しい酒は新しい革袋で、 新しい風潮はやっばり新しい表現で! というわけさ」 「すると、我々はもう時代遅れというわけかい?」 と沙悟浄は心配顔になって言った。 「いやいや。 我々こそはレジャー・ブームのパイオ二アさ。 考えてもみろよ。 世間の人々があくせくと働いている間に、 我々は額に汗もせずに、真理よ、正義よ、といって、 ロマンチックな旅を続けているじゃないか。 嘘と思うなら、もうしばらく見ていてごらん。 今に土百姓までが投資信託なんか買って小金を貯めて、 世界一周の旅とシャレはじめるようになるから。 その時になったら、 我々こそは偉大なる先駆者であったと 皆が認識するようになるぜ」 「チェッ。 黙ってきいておりゃ勝手なことをまくし立てやがる」 と悟空は思わず舌打ちをした。 それもそのはず、 都大路はなるほどレジャーをたのしむ人々で溢れているが、 そのあいだをぬって、 ボロをまとった坊主が何十人となく首枷をはめたまま、 物乞いをしてまわっていたからである。 「悟空や。 ここの国ではどうして坊主たちが 首枷をはめられているんだろうか」 と三蔵は不審そうに、 「同類があんなナリをしているのを見ると、 どうも気にかかって仕方がないから、 お前、そばへ行ってわけをきいて見てくれぬか?」 悟空は言われた通り坊主たちのそばへ近づくと、 「ちょっと、和尚さん。 あんたらはどこのお寺のお方ですか?」 意外に丁寧な態度なので、 坊主たちはびっくりして手を合わせると、 「私どもは金光寺の和尚でございます」 「金光寺というと?」 「すぐそこにあるお寺でございます」 そういう坊主たちを悟空は、 手をひくようにして三蔵のそばまで連れてきた。 「この近くに寺があるというのに、 どうしてまたそんな恰好をしているのですか?」 と三蔵はきいた。 「どちらのお方か存じませんが、 何とまあ、ご親切なお方でございましょう。 でも、 ここではお話し申しあげにくいことでございますから、 お寺までご足労いただけませんでしょうか?」 「そりゃ、まあ、そうだ。 ではともかくお寺まで行くことに致しましょう」 一行が乞食坊主たちのあとについて山門までくると、 門の上に「勅建護国金光寺」と横額がかかっている。 山門をくぐると、なかは由緒あるお寺と見えて、 こんもりと樹木の繁った中に大きな本堂や 十三重の塔がそびえていた。 しかし、広い構内には参詣者の姿も見えず、 本殿に入っても、香炉の煙は絶えたままになっている。 仏の前で手を合わせた三蔵が本殿を出て、 裏手の方丈へまわると、首伽をつけた坊主が 六、七人まわりへよってきた。 「ぶしつけなことをお尋ね致しますが、 もしや皆様は、東土からおいでになられたお方では ございませんでしょうか?」 「おやおや、“坐ればピタリとあたる”は 八卦見の専売特許かと思ったら、 あなたたちも心得ておいでと見えるな」 と悟空は笑った。 「とおっしゃいますと、 皆様はやはり東土のお方でございましたか」 坊主たちは俄かに目を輝かせた。 「実は私ども無実の罪をきせられて、 日夜、苦しんで参りましたところ、 昨夜になって、近く東土から聖憎が来て お前たちを助けてくださるだろうと お告げがあったのでございます」 「それは、それは」 とお世辞に弱い三蔵法師は 忽ち相談にのる気配を見せながら、 「ここはそもそも何という国ですか?」 「ここは祭賽国と申しまして、 西方では名を知られた大国でございます。 南に月陀国、北に高昌国、東に西梁国、 西に本鉢国をひかえ、 かつては四方の諸国から上邦と仰がれ、 貢物が山をなし、国は栄え、民は富んでおりました」 「上邦と仰がれたとすれば、 国王か立派な人だったのですか? それとも文武のいずれかが他にすぐれていたのですか?」 「それがそのいずれでもないのです。 大へん不思議だと思われるかもしれませんが、 実はこの金光寺のあの塔の上に 祥雲がたちこめて夜になると光を放ち、 万里の遠くからも仰ぐことが出来るほどだったのです。 それで諸国の民が我が国を天府神京と仰いで 集まってきたのでございます」 「あ、わかった。 ネオンの大広告塔が 文化のシンボルとして異彩を放ったというわけだな」 と八戒が手を叩いた。 「お前は黙っていなさい」 と三蔵はたしなめながら、 「で、それがどうしたというのですか?」 とあとを催促した。 「ごらんのように、その不滅の輝きが、 ある夏、突然に、消えてなくなったのでございます。 それは今からちょうど三年前の 七月の朔日の夜のことでした。 天から俄かに血の雨がふりはじめたので、 家々で戸をかたくとざしていると、 その間に黄金宝塔の光が失われ、 今まで多くの人々が出入りしていたこの国に 朝貢する人々がいなくなってしまったのでございます」 「名物がなくなれば、観光客が来なくなるのは当り前だ」 と八戒がまたチャチャを入れた。 しかし、坊主たちはそれにかまわずに、あとを続けた。 「国王は大へん腹を立てて、 すぐにも国際収支のバランスをとるために、 金融引締め、公定歩合の引上げを実施しましたが、 そのために株価が大暴落を致しました。 株価の大暴落で大損害を蒙った大衆資本家たちは、 こんなことになったのも坊主たちのせいだ、 坊主が国の安寧秩序を破壊しようとして 塔の上の宝物を盗んだに違いない、 と言って私たちを訴えたのでございます。 そりゃ私たちは、国代があまり遊惰に流れ、 奢侈に親しむことに反対はしてきましたが、 でも私たち自身の飯のタネまでも 蹴とばしてしまうようなことを どうしてするわけがありましょう。 それなのに私たちが陰謀家のレッテルを貼られ、 拷問にかけられ、殺されたものも沢山ございます。 どうか、どうか、 私たちのためにお力をかして下さいませ。 お願いでございます」 |
2001-02-20-TUE
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