毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第六巻 経世済民の巻
第三章 ネオン国

二 つきとめた真犯人


「ウーム」
としばしの間、三蔵は考えこんでしまった。
「どこの国の政府でも必ず自分らの失政を
 誰かほかの者に責任転嫁するのがならわしだが、
 転嫁されたあなた方こそいい災難だ。
 しかし、証拠なき者は罰せずの原則もあることだから、
 もしその当夜に血の雨がふったのなら、
 どうしてそれを主張して再審を要求しないのかね?」
「お察し下さい。
 こうして生き残った私どもは
 この寺でも末輩の凡人ばかりでございます。
 責任の地位にあった大先輩たちでさえも
 どうにもならなかったことを、
 どうして私どもが
 ひっくりかえすことが出来るでしょうか?」
「悟空や。今、何時頃だね?」
と三蔵は傍らにいた悟空をふりかえってきいた。
「まだ四時頃だと思います」
「それならば、もう役所へ行っても間に合わないね。
 我々がこうしてここへ来たのも、
 仏様のお引き合わせによるものだろう。
 無実の罪に泣いている人々を前にして、
 そのまま知らぬ顔も出来まい。
 何とか助けてやりたいと思うが、
 何かいい方法はないものだろうか」
「血の雨がふって、宝塔の光が失せたといっていたな?」
と悟空は衆僧の方へ向きなおってきいた。
「その通りでございます」
「それならば、先ず宝塔の中を
 調べて見ることにしようじゃありませんか。
 弁論をするにも現地踏査が必要ですからね」
「でも宝塔の中は埃だらけになったままですよ」
「ああ、もったいないことだ」
と三蔵は首をふりながら、
「それでは私たちで掃除を致しましょう。
 新しい箒があったら貸していただけませんか」

三蔵はタスキがけをして新しい箒を手に握ると、
「あなた方はお休みになって結構です」
と衆僧に向って言った。
「でも久しく誰も近寄らなかったところですから、
 お一人では危うございますよ」
「俺が一緒に行くから大丈夫だ」

悟空はそういって、明りの用意をさせると、
三蔵の前に立って、宝塔の門をひらいた。

五色琉璃塔、千金舎利峯とよばれるだけあって、
中は梯子がクルクルと螺旋状に遙か上の方まで続いている。

三蔵は下の方から埃を掃くと、
一階また一階と上の方へのぼって行った。
「どのくらい掃除しただろうか?」
「七階くらいまではきたと思います」
「やれやれ、まだ七階か」
と三蔵は腰をのばしながら、
「十三重の塔だといっていたけれど、
 本当に十三階もあるものだろうか?」
「さあ、十三階はないかもしれませんよ。
 でも、お師匠さま、
 お疲れでしたら、私が代りましょう」
「いやいや、さっき本殿で
 必ず頂上まで清めますと誓って出てきたから、
 どうしても上まで掃除をするよ」

また三階分ほど精を出して掃きあげて行ったが、
さすがの三蔵も悲鳴をあげて、
「悟空や。これから上はお前がやってくれぬか」

悟空は三蔵から箒をうけとると、十一階へ登って行き、
十一階を掃きおわると、続いて十二階に登って行った。

その時、屋上の方から
何やら人の話し合う声がきこえてきた。
「おやおや。
 夜の夜中に塔の上から声がするとは奇怪じゃないか」

悟空は箒を小脇に挟むと、塔の外へ忍び出して、
外側から塔の上を眺めた。
見ると、十三階の塔の真中に二人の化け物らしいのが、
飯碗と洒壺を前にして、しきりに酒杯を傾けている。
悟空は箒を投げすてると、素下く如意棒をふりかざして、
「やい。化け物。
 塔の宝物を盗んだのはお前たちだな」

あわてた化け物は茶碗や壺をほり出して
逃げ出そうとしたが、悟空の鉄棒にはばまれた。
「一殴りで殴り殺すのはわけないが、
 そうすると、白状をする奴がいなくなってしまう」

そういって、悟空は二人を如意棒で押しまくって、
壁にぴたりと押しつけてしまった。
「助けて下さい。お助け下さい。
 盗んだのは私たちではございません」

悟空は有無を言わさず、二人の襟首をつかまえると、
十階目までひきずりおろしてきた。
「お師匠さま。泥棒をつかまえましたよ」

居眠りをしていた三蔵はびっくりして目をあけると、
「どこからつかまえてきたんだね?」
「この上のてっべんで酒をのんでいました。
 あの世へ送り届けるのはわけないのですが、
 それでは死人に口なしだと思って、
 ここへひき立ててきました。
 お師匠さまのお口から、
 こいつらが宝物をどこにかくしたか、きいてみて下さい」

二人の化け物はすっかり観念して、
「生命を助けて下されば何でも申しあげます。
 私ども二人は乱石山碧波潭の
 万里竜王のところから派遣されてきたものでございます」
「すると、泥棒は竜王だったのか」
「いえいえ、
 竜王には万聖公主というお嬢さんがございます。
 大そう美しいお方で、
 数年前に九頭鮒馬というお婿さんを迎えました。
 この方が神通力のあるお方で、
 先年、竜王とこちらへおでましの折に、
 一陣の血雨をふらせて、そのすきに
 塔の中の舎利子仏宝を盗んでおかえりになったのです。
 それをご自慢になったら、若奥様の方も負けてはおらず、
 ご自分で天界へおでましになって、
 霊宵殿の前で王母娘娘の九葉霊芝草を盗み、
 それを持ってかえって潭の底にお植えになりました。
 おかげで潭の中は、二つの宝で、
 目もさめるばかりに光彩を放っております」
「しかし、またどうしてお前らはここへきたんだ?
 いつもこの塔に常駐しているのか?」
「いえ、とんでもございません。
 風の噂に孫悟空という坊主が西方へ行く途中、
 ここを通りすぎるから、様子をさぐりに行って来いと
 命令を受けて出てきたばかりでございます」
「ハハハハ……。
 泥棒一家だけに一応用心はよいんだな。
 しかし、碧波潭の主が泥棒一家だとは
 ちょっと気がつかなかったわい」

悟空が感心していると、
そこへ八戒が三人の小僧を連れて下から登ってきた。
「お師匠さま。お師匠さま。
 もう夜更けだというのに、
 いつまでもそこで何をお話しになっているのですか?」
「おい、八戒。泥棒が誰だかわかったぞ」
と悟空が叫ぷと、
「へえ、バカに早いじゃないか。
 そこにしばりつけてある奴らがそうかい?」
「いや、こいつらは手先にすぎん。
 一匹は奔波児といって鮎の精、
 もう一匹は波児奔といって黒魚の精だそうだ。
 奴らの自供によって
 張本人が碧波潭の万聖竜王一家だということがわかった」
「わかったら、もう用がないから
 鍋に入れてスープにでもしようじゃないか」
「いやいや、明日、皇帝のところへ引き立てて行って、
 無実の罪を洗う証拠にしなくちゃならんからな」

その翌日、三蔵は金襴袈裟に毘盧帽をかぷると、
悟空を連れて寺を出た。
「なぜあの二人を連れて行かないのですか?」
と八戒がきくと、
「我々が申し出れば、
 いまに役人が逮捕状を持って迎えにくるから
 心配はいらんさ」

三蔵と悟空は、東華門へ行くと、
閤門大使に関文の査証をしていただきたいと申し出た。
黄門官が奥へその旨上奏すると、
国王はすぐ二人を御殿に通すように命じた。

文武百官の居並ぷなかを、
正装した三蔵法師と異様な風体の孫悟空が歩いて行く。
「ありゃ、何だ?」
「猿そっくりの和尚がいるとは驚いたな」
「いやいや、猿に似た和尚じゃニュースにならんが、
 和尚になった猿ならニュースになるぜ」

宮廷づき記者たちのささやく中を、
悟空は素知らぬ顔をして、直立不動の姿勢をとっている。
「私は大唐国から
 西方天竺へお使いにまいるものでございます」

三蔵がうやうやしく要件を申し述べると、
国王はすぐに椅子を出させて、坐るようにうながした。
「大唐国では国王のためにこうして遥々
 西方まで万里の道を遠しとせずして
 使いする高僧がおありになるというのに、
 我が国の坊主どもは泥棒を専門にしている。
 何という相違だろう」

関文をひらいて見つめながら、国王はつぶやいた。
「それはまたどういうことでございますか?」
と三蔵は手を合わせて、丁寧にききかえした。
「あなたは遠方からおいでだから、
 ご存じなかろうが、こう見えても、
 ここの国は西方に名の知れわたった文明国で、
 一頃は金光寺の黄金宝塔が客寄せの役割をはたして、
 外国から見える人々があとを絶ちませんでした」
と国王は言った。
「ところが、
 坊主たちが黄金宝塔の中の宝を盗んでしまったので、
 ここ三年というもの、
 外国から来る客もパタリと途絶えてしまい、
 おかげで国際収支が逆調つづきで、
 国をあげて金詰りで苦しんでいるのです」
「それは事実と違っておられますよ」
と三蔵は笑いながら、
「実は私、昨夜、こちらへ参りまして、
 町を歩いていましたら、
 とても国際収支の逆調に苦しんでいるとは見えないくらい
 皆がレジャーを楽しんでおりました。
 ただその中にあって、
 ひとり坊主だけが首伽をはめられて
 罪人扱いをうけているので、
 不思議に思って、事情をききましたところ、
 おおせのようなことを知りました。
 で、早速、宝塔の中をしらべたところ、
 たまたま泥棒の手先が現われたので、
 弟子たちが力をあわせてとりおさえてくれました」
「ほお」
と国王は思わず身体をのり出して、
「で、つかまえた泥棒はどこにおいてあります?」
「只今、金光寺の中にしばりつけてあります」

国王はそれをきくと、
直ちに錦衣衛に犯人をひき立てるように命じた。
「錦衣衛をおつかわしになるのも宜しいけれど、
 私の弟子を一緒に行かせる方が安全かと存じます」
と三蔵がいうと、
「あなたのお弟子さんとおっしゃると?」
「あそこの階段の下にひかえているあれでございます」

指ざした方を眺めた国王はびっくりして、
「あなたのような端麗な聖僧に、
 ああいう容貌魁偉なお弟子さんがおありとは
 駕きましたな」

それをきくと、悟空は階段の下から声をはりあげて、
「陛下。
 海の水はマスではかることが出来ません。
 それと同じように、
 顔立ちで人間をはかることは出来ません」
「なるほど、なるほど」
怒ると思いのほか、国王は笑顔になって、
「別に小姓を募集しているわけじゃないんだから、
 あなたのおっしゃるように、あなたのお弟子さんと、
 私の錦衣衛を同行させることに致しましょう」

当駕官が轎の用意をして、悟空をその中にのせると、
前後に家来を配備して大名行列のように、
下に下にと掛け声かしましく金光寺への道を急がせたから、
また何のカーニバルが始まったのかと
通行人のむらがりよること。

まもなく悟空と錦衣衛は王宮へ戻ってきて、
「妖賊をとらえてまいりました」
「ここへ連れて参れ」

ひき立てられてきたのを見ると、
一人は下っ腹が出て、大きな口にちょびひげを生やし、
一人は出っ歯で、見るからに荒々しい肌をしている。
「金光寺の宝物を盗んだのはお前らか。
 痛い目にあいたくなかったら、
 一部始終を正直に白状しろ」

二人はおびえきった様子で、さきに悟空に述べた通りを
もう一度はじめからくりかえした。

国王は二人を牢獄へぶちこむと、
金光寺の僧侶たちを赦免し、更に光禄寺に、
賊をとらえた人々を大盤振舞いするように命じた。
「犯人がわかったのですから、
 宴会よりも先ず犯人をとらえることをお考えになったら、
 いかがでございますか?」

三蔵は宴会よりも先ずビジネスだと思うのだが、
消費文化盛んなお国柄だけあって、国王はどうしても、
先ず飲めや唱えやをやってからでないと
次の段取りに移るべきでないという。

そこで先ず建竜宮に席を設けて、一晩、飲みあかした末に、
「で、どなたが大将になって賊をとらえに参りますか?」
と国王はきいた。
「一番弟子の孫悟空をやればよろしいかと存じます」

三蔵が答えると、悟空は大きく領いた。
「人馬はどの程度ご入用ですか?」

国王が更にきくと、そばにいた八戒がじれったそうに、
「人馬も時間も必要じゃないや。
 思い立ったが吉日。
 腹もどうやら一杯になったから、
 兄貴と俺とこれからすぐに出かけるとしようじゃないか」
「じゃ、お前も一緒に行ってくれるのか?」

三蔵が喜んでいると、国王は、
「人馬がいらないなら、
 何かご入用な兵器でもございませんか?」
「ハッハハハ……。
 お国の自衛隊で使っているような兵器では
 我々の役に立ちませんよ。
 我々はむかしから
 それぞれ身についた武器を持っておりますから」
「それじゃ、せめて出発に際して、大杯でも傾けて下さい」

国王が部下に命じて大杯をとりよせようとすると、
今度は悟空が、
「いや、酒も結構でごぎいます。
 それよりも錦衣衛にさっきの二人をひき立ててくるように
 おっしゃって下さい。
 道案内に連れて行きたいと思いますから」

国王が二人の化け物を連れて来させると、
悟空と八戒は、二人をこづくようにして、
東南方へ向って雲を走らせた。

2001-02-21-WED

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