毎日読む小説「西遊記」
(邱永漢・著)
第六巻 経世済民の巻
第三章 ネオン国

三 あなたも被害者


ここは乱石山碧波潭のほとりである。

狂風にのって空からおりた悟空は
如意棒に息を吹きかけて「変れ!」と叫ぶと、
忽ち一本の刀が現われた。
その刀を手にとって、黒魚怪のエラ蓋を切りおとし、
鮎の精の下唇を切りおとしながら、
「とっととかえって、お前らの親分に
 斉天大聖孫悟空がここにきていると言うがいい。
 金光寺の宝物をおとなしくかえすなら、
 生命だけは勘弁してやるが、嫌のイの字でもいってみろ。
 みずうみごとかきまわして、
 竜王と魚肉のミンチボールをつくってくれるぞ」

そういって潭の中に突きおとすと、
二人はあわてふためいて水の底へかけおりて行った。
「大へんだ。大へんだ」

縄でグルグル巻きになった二人を見た潭民の生物たちが、
竜王の宮殿へ急報した。

万聖竜王は九頭鮒馬と酒宴のさなかであったが、
孫悟空がやってきたときいただけで、顔面蒼白になった。
「ほかの奴が来たのなら、まだ交渉の余地があるが、
 奴じゃ手の施しようがないぞ。
 困った、困った」
「なあに、大丈夫ですよ」
と九頭鮒馬は笑いながら、
「私は世間で英雄豪傑と言われている連中と
 立ちまわったことがないでもありません。
 ちょっと行って奴の生首を
 お土産に持ってきてさしあげましょう」

自信満々の九頭鮒馬は、錠兜に身をかため、
手に月牙という武器を持つと、
水をかきわけて、水面へ出てきた。
「やい、斉天大聖とやらはどこにいる?」

見ると、この化け物は四方八方に目もあれば、口もあり、
首をまげないでも、四方八方を見ることも出来れば、
四方八方へ向って怒号することも出来るのである。

悟空と八戒が思わず類を見合わせて驚いていると、
「呼んでも返事がないとは、
 早くも怖気づいて逃げ出したか。
 アッハハハ……」

如意棒をグルリと一同転した悟空は、
「笑うのはまだ早いぞ。目をいくつも持っていて、
 目の前に立っているこの俺様が見えないのか」
「やあやあ。
 あんまり小さいので、うっかり目こぼしをしたが、
 お前が斉天大聖か。
 どこの馬の骨だか知らねえが、
 いつから祭賽国の宝塔守りにやとわれた?」
「やとわれたとは何ごとだ。
 いくら祭賽国がレジャーばやりで
 人手不足に悩んでいるといっても、
 そこへやってきて労働予備軍を相つとめるほど
 おちぶれちゃいない。
 こう見えても、俺は聖なる目的を持って
 西方へお経をとりに行く坊主だぞ」
「なあんだ。
 見すぼらしい恰好をしているから、
 失業者のなれの果てかと思ったら、
 西方へ行く東方のサンチョ・パンザか。
 サソチョならサソチョらしく
 ドン・キホーテ様のお守りをすればよいものを、
 何だって、俺たちの縄張りを荒らしに来るんだ」
「泥棒が天下にのさばって、善人が苦しむのを見ていては、
 じっとしておられるか」
「俺は盗むのが商売。
 お前はお経をとりに行くのが商売。
 お互いに何の関係もない仲じゃないか」
「盗人たけだけしいとは、お前のような奴のことだ。
 なるほど俺は祭賽国の国王から
 恩義をかけられた覚えはない。
 食禄をはんでいるわけでもない。
 しかし、お前が宝塔の舎利子を盗んだために、
 金光寺の坊主たちは濡れ衣をきせられて
 塗炭の苦しみをなめさせられている。
 坊主が坊主のために一肌ぬがずにおられるか」
「なかなか友達思いじゃないか。
 しかし、武力は最後の手段というように、
 互いに手をあげれば、情容赦はなくなってしまう。
 折角、お経をとりに行こうという聖なる目的をもった者が
 碧波潭のほとりで生命を果てたとなっちゃ
 惜しいじゃないか」
「なにをッ。
 だまってきいておりや、大きな口をききやがる。
 どちらがくたばるか、こっちへあがって来い」

九頭鮒馬は少しもあわてずに、月牙をふりかざすと、
如意棒に堂々と立ちむかってきた。

二人は潭のほとりを狭しと大暴れに暴れまわったが、
三十数回、打ち合っても一向に勝負がつかない。
そばで観戦していた八戒は、ジッとしておられなくなって、
熊手をとりあげると、エイッとばかりに、
化け物のうしろから打ちおろした。

ところが九頭鮒馬はうしろにも目があるから、
月牙で巧みに受けとめて、逆に八戒に攻めかかってくる。
八戒がたじろぐと、前から悟空が助太刀をする。
前々後々と立ちまわっているうちに、
さすがの九頭鮒馬も疲れはてて、クルリと宙返りを打つと、
本性を現わして中空へとびあがった。
「やあやあ」

びっくりしたのは八戒である。
それもその筈、中空に蹴をひろげたのは
一丈二尺もあろうかと思われる九頭虫で、
両方の足は刃の如く鋭く、九つの頭は一カ所に集まって、
グルグルと勢いよくまわっているからである。
「兄貴。
 この世に生をうけて、
 こんな醜悪な生き物を見たことがないよ」
「全くだ。全くだ。
 天然記念物に指定するだけの値打ちはあるぞ!」

悟空は雲にのって素早く空にとびあがると、
如意棒を伸ばして化け物に打ちかかろうとした。
しかし、化け物はをひろげて斜めにとぶと、
血のしたたるような大きな口をひらいて、あっという間に、
八戒をくわえて、そのまま潭の底へ沈んでしまった。
「ああ、驚いた。驚いた。
 世の中にこんな異様な生き物が生存しているとは!」

ひとりになった悟空はまだ胸がドキドキしている。
「このままひきかえしたんじゃ大きなことをいった手前、
 男が立たないし、といって一人じゃ心細いし、
 どうしたものだろうか」

動悸のしずまるのを待って、悟空は考えた。
「やっばりこのままひきかえすわけには行かんから、
 何とかして八戒を救い出してやるようにしよう」

水の中は苦手だが、仕方がないので、悟空は揺身一変、
一匹の蟹に化けると、またしても水の中へもぐって行った。

ここは、ついこの間、
牛魔王のあとについて入ってきたことがあるから、
道はよく知っている。
真直ぐ宮殿のあるところへ来ると、
今度は目につかないように、こっそり中へしのびこんだ。

奥では竜王が九頭鮒馬と向いあって祝い酒をのんでいる。
いそがしく立ち働いている小妖怪どもに、
「珍しい豚が一世つかまったそうじゃないか。
 どこにいる?」
ときくと、
「西廊にしばりつけてあるよ。
 キーキー悲鳴をあげている」

早速、西の廻郎へまわって見ると、
はたして八戒が柱にしばりつけられている。
「おい。八戒。
 年貢のおさめ時がきたようだな」

声をきくと、八戒は泣くのをやめて、
「おお。兄貴じゃないか。
 早くそこの縄を絶ちきってくれ」

すぐに縄が絶ちきられた。
「俺の武器をとりあげられてしまったんだ」
「どこにしまいこんだか知っているか?」
「宮殿の裏の倉の中らしい」
「じゃ、お前、一足先に下へおりて待っていてくれ。
 俺がお前の熊手をとってきてやるから」

八戒を先に送り出すと、悟空は宮殿の裏手に這って行った。
見ると、八戒の熊手がおいてあったので、
すぐそれを手にとると、楼の下へかけて行った。
「おい。八戒。お前の熊手だ」
「さあ、兄貴。
 一足先に上へあがって待っていてくれ。
 俺は今から一勝負してくる」
「しかし、一人で大丈夫かい?」
「なあに。水の中なら俺の縄張りだ。任しとき」

悟空が外へ出るのを待って、
八戒はタスキをかけなおすと、猪突猛進。
勢いよく竜宮の中へ突撃して行った。
「いけねえ。捕虜が縄を切って暴れはじめたぞ」

宮殿の中は大騒ぎになったが、
九頭鮒馬は女子供を避難させると、
月牙をかざしてとび出してきた。
「やい。ブタ和尚。
 宮殿の中で狼藉を働く奴があるか。
 勝負がしたかったら外へ出ろ」
「俺をここへご招待下さったのはお前じゃないか。
 宝物をおとなしくかえすならいざ知らず、
 さもないと、宮殿ごと木端微塵にしてくれるぞ」

ところかまわず熊手をふりまわすから、
珊瑚の柱も真珠の窓飾りも粉々にくずれおちて行く。

二人がなおも立ちまわっていると、
落着きをとりもどした竜王が竜子竜孫を従えて、
ワッと八戒をとりかこんできた。
かなわじと見た八戒はあわてて熊手をかえすと、
水の中からとび出してきた。

潭のほとりで、待っていた悟空が水面を睨んでいると、
俄かに水が動いて、八戒が顔を出す。
「待て」

すぐあとから声がして何やらとび出してきたので、
悟空が素早く如意棒をかまえて、
エイッとばかりに打ちおろした。
「ギャッ」
声と共にあえなく頭を打ちわられたのは、
意外にも竜王である。
潭の水は忽ち赤く染まり、
残屍の鱗が波のまにまに漂っている。
驚いた竜子竜孫は生命からがら逃げ出してしまい、
九頭鮒馬が岳父の死骸をひきとって、
水の中へ消えて行った。
「親分を打ちとられては、奴らも容易に出て来るまい。
 もう陽は暮れかかったし、どうしたものだろうか」
と八戒が言った。
「どうしたもこうしたも、戦いは勢いに乗るに限る。
 すぐに総攻撃をかけょうじゃないか」
「でも兄貴、今日は一日立ちまわったから、
 いい加減くたびれたぜ」
「こちらがくたびれた時は、向うはもっとくたびれている。
 人生万事、強気で押し通さなくっちゃ。
 お前が嫌なら、俺一人でやってもいいぜ」

二人が押し問答をしていると、
突然、一陣の風が東方から南方へ向って吹きはじめた。
見ると、造か彼方から二郎顕聖と梅山六兄弟が
鷹や犬を従えてこちらへ向ってやってくる。
「ちょうどいいところへ奴らがやってきたぞ。
 あの連中に頼めば、
 化け物退治くらい何でもないと思うな」
「じゃ、兄貴から頼んでみて下さい」
「いやいや。どうも俺から頼むのはきまり悪い。
 何しろ二郎顕聖には
 天宮荒らしの折に一本とられた覚えがあるからな。
 ひとつお前があすこへ行って、
 斉天大聖が頼みがあるけれど、
 と先に打診してみてくれんか。
 もし向うで会ってもよろしいというなら、
 俺の方から出かけて行くことにするが……」

八戒は雲に乗って、山の方へ走って行くと、
「真君。しばし車をおとめになって下さい。
 斉天大聖がお目にかかりたいと申しております」

声をきくと、二郎真君は車をとめさせた。
「斉天大聖はどこにいる?」
「山の下でお声のかかるのをお待ち申しております」
と八戒が言った。
「すぐにここへ呼んできなさい」

真君は梅山六兄弟に山の下まで迎えに行かせた。
間もなく悟空は兄弟たちにつきそわれて、
山の上へあがってきた。
「悟空、しばらくだったな。
 仏門に入って近頃は大活躍をしているときいていたが、 
 何よりだと思って喜んでいるよ」
「いや、お蔭様で
 どうやら人間らしい生き方をするようになりましたが、
 相変らず確稼ぐに追いつく貧乏ですよ。
 時に今日はどちらにおでかけでございますか?」
「この頃は天界もレジャー時代で、
 ひまをもてあましているので、
 この通りぷらぶらしているよ」
「じゃゴルフのおかえりでございますか?」
「いやいや、ゴルフなんてのは、お金持ちか、でなければ、
 税金で遊べる連中のやるものさ。
 我々老骨は、むかしとった杵づかで、
 やっばりハンティングでないと気がすまないんでね」
「いや、ハンティングこそ王侯の遊びですよ。
 ステッキの先でポールを穴に入れるよりも、
 獲物を追いつめる方が豪快なものです。
 ところで、もしおひまをもてあましておいでならば、
 ひとつ私に手をかしていただけないものでしょうか?」
「金を貸すのは旧友といえどもご免だが、
 手をかすのなら悪くはないな」
「おやおや。お賽銭のたくさんあがる二郎真君までが
 お堅いことですね」
と八戒が脇から口を出した。
「いや、何しろお賓銭のあがりを
 証券会社のセールスマンに口説かれて
 そっくり株に投じたところが、
 その後、さっぱり牙えないんで弱っているところですよ」
「どんな株をお買いになったのですか?」
と八戒がききかえした。
「どんな株だったかね?」
と二郎真君は梅山六兄弟をふりかえってきいた。
「祭賽国の株が一番たくさんありますよ」
と六兄弟が言った。
「それならば、真君とも利害関係がありますよ。
 まあ、きいて下さい」
と悟空は膝をのり出して言った。

2001-02-22-THU

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