毎日読む小説「西遊記」 (邱永漢・著) |
第六巻 経世済民の巻 第四章 風流歌あわせ |
一 名所新跡ドラゴン・イン 悟空は二郎真君をつかまえて、 なぜ祭賽国の株価が大暴落をしたか、 その理由をあれこれかいつまんで説明した。 「国際収支の逆調がつづくと、 なぜ株価が暴落するのですか?」 と二郎真君は怪訝な顔をした。 「それはその……」 と悟空は返答につまり、八戒の方へふり向くと、 「おい、経済学者、お前が説明しろよ」 「エヘン」 と八戒は改めて咳払いをしながら、 「国際収支の逆調がつづくと、 外国に対して支払い超過になるから 外貨準備金が減少致します。 そこで中央銀行は輸入をおさえるために 輸入制限を行ったり、公定歩合の引上げを行って、 設備投資をおさえようとかかります。 設備投資がおさえられると、成長ムードが鈍ります。 近年の株高は成長ムードを先見したものでありますから、 成長ムードがストップすれば、 株もまた先見性を発揮して暴落をするわけであります」 「しかし、 株がさがって喜ぶものは一人もいないだろうに!」 「ええ、株はさがるさがると警告を発しつづけてきた 保険会社の財務部長たちを除けば、 暴落で喜ぶ人間は一人もいないと思います」 「それならば、暴落の原因をつくった 国際収支の逆調を改善すればよいではないか」 「全くおっしゃる通りであります。 ただ逆調による赤字を黒字にかえるためには、 積極的な輸出振興をやるか、 観光客を誘致してドルをおとしてもらうか、 そのどちらかをおしすすめる以外に方法がありません。 ところが、祭賽国の国民は舶来品崇拝の念やみがたく、 自国製品があるにもかかわらず、 外国製品を使うことによって 自分を他から区別しようとする傾向があります。 従って輸拙どころか、 輸入を食いとめるだけでも大童、 結局、外人観光客を誘致する以外に 抜本的な改善策がないのであります。 それなのに、観光客誘致の一枚看板である 金光寺の舎利子仏宝を、万聖竜王に盗まれたのですから、 いかに打撃が大きなものであるか、 ご想像がつくかと思います」 「一枚看板を盗んだのが万聖竜王だって?」 と二郎其君は大きな声をあげた。 「その通りです。 私どもがここへ参ったのも実はそのためなのです」 と悟空は答えた。 「ちょっと信じられないな。 万聖竜王は乱石山、碧波潭の主で、 何も他国の宝を盗まないでも 立派に暮らして行ける身分だ」 「その万聖竜王が近来、 九頭虫という妖精を娘婿に迎えたのです。 この九頭鮒馬が聞きしにまさる悪党で、 ドロボーをやるのまで夫婦共稼ぎ、 亭主が金光寺の舎利子仏宝を盗むかと思えば、 女房も負けじと 王母娘娘の九菓霊芝草を失敬するという調子なんです。 そこで私たちは無実の罪に泣いている 金光寺の坊主たちを助けるために、 ここまでやってきたのですが、 潭の中から駈けあがってきた化け物に ガンと一撃をくらわせたら、 何とそれが婿の方じゃなくて、 おやじの万聖竜王でした。 向うは一敗地にまみれて、 おやじの亡骸を抱えて逃げかえったのですが、 これから追討ちをかけたものかどうか、 八戒と相談をしているところに、たまたま、 あなた様がお通りかかりになったというわけです」 「竜王をやっつけたのなら、 時を移さず攻撃に出るべきじゃありませんか」 と二郎真君は言った。 「実は私もそう思ってはいるのですが、 いかんせん、もう日も暮れかかっています」 と八戒が答えた。 「しかし、兵法にも “出陣は時をえらばず”と書いてあるよ。 夕闇くらい、物の数じゃないと思うな」 と二郎真君はすぐに言った。 「まあ、そぅおっしゃらずに」 とそばできいていた梅山六兄弟がとめにかかった。 「竜王一家はここが縄張りだから、 夜陰にまぎれて夜逃げをすることは先ずありますまい。 今日は久しぶりに旧友にめぐりあったのですから、 ここに天幕でも設営して、 一夜ゆっくり歓談でもしたらどうですか?」 「いや、そいつはいい考えだ」 二郎真君は早速、部下に命じて、酒宴の用意をさせた。 「ご好意は有難いんですが、 ご存じの通り仏門に入ってからというもの、 生臭はいただかないことになっているんです」 と悟空がことわると、 「いやいや、お精進もあるし、 酒も葡萄酒だから、さしつかえはないだろう」 星の明りをながめながら、その夜は一同、 打ちとけて久方ぶりに酒杯を傾けることになった。 淋しい夜はいとも長いが、 気のあった仲間で飲みあかす夜は短い。 いつの間にか、夜のとばりはあけて、 東の空がほのばのと明るくなってきた。 「さあ、夜が明けたから、 先ず我輩が先陣をうけたまわることにしよう」 そういって八戒が熊手を持って立ちあがった。 「じゃ気をつけ給え。 無理をすることはないから、ここへおびき出してくれば、 あとは我々がひきうけるよ」 「承知のすけだ」 意気揚々として、味方の陣営を出た八戒は 分水法を使って潭底にもぐり込むと、 竜宮の中へ入って行った。 見ると、鎮まりかえった御殿の中では、 竜王の息子たちが棺桶をかこんで泣きじゃくっている。 冷酷無残の八戒は、物も言わずにそばへ近づくと、 熊手の先で息子の一人を力一杯殴りつけた。 「ぁれッ。また人殺し坊主がやってきたよ」 と竜王の未亡人が悲鳴をあげた。 九頭鮒馬は悲鳴をききつけると、 すぐ月牙をかぎして八戒に立ちむかってきた。 八戒は適当に相手をあしらいながら、 進むと見せて退き、退くと見せて進み、 次第に水の中から這い出してきた。 岸の上では悟空と梅山兄弟が今か今かと待ちかまえている。 そこへ竜子竜孫の軍勢が 八戒のあとを追ってとび出してきたので、 「それッ」と虱つぷしに襲いかかる。 形勢不利と見た九頭鮒馬はクルリと宙返りをすると、 本性を現わし、をひろげて大空高く舞いあがった。 二郎真君は素早く弓をとり出すと、矢をつがえて身構えた。 それを見た九頭鮒馬は俄かに方向を転換すると、 低空飛行をして逆に襲いかかってきた。 中腹のあたりから首が一つ伸びてきて、 二郎真君に咬みつこうとしている。 そこを目がけて真君の犬がガブリとかぷりついたので、 「イテテテテ……」 化け物は叫びながら、北海めがけて逃げ出した。 八戒がそのあとを追おうとすると、 「待て待て」 と悟空がひきとめた。 「深追いは怪我のもと、 と株式投資必勝法にも書いてあるだろう?」 「書いてあるとも」 「それなら、窮鼠に咬みつかれるようなことは やめた方がいいぜ。 それよりも俺が奴の姿に化けて水の底にもぐりこんで、 盗まれた宝物を先ずとりかえして来よう」 悟空がいうと、二郎真君は、 「逃げる者を追わないでもさしつかえはないが、 ああいう奴が生きている限り、 この世に禍の根は絶えないだろうな」 「浜のまさごは尽きるとも……というじゃありませんか。 悪党がいなくなれば、善人も存在しなくなりますから、 善人をはかる尺度として悪の種を残しておくくらいの 寛大さがあってもよろしいですよ」 そういって、八戒は熊手をとりなおすと、 再び水をかきわけて潭の底へ向った。 悟空は九頭鮒馬に化けて、 八戒に追われているような恰好をしてその先を進んでいる。 息せききって竜宮の中へとびこむと、 「まあ、あなた。 どうしてそんなにあわてているの?」 と女房がとびついてきた。 「八戒にしてやられたんだ。とても敵わない。 お前、早くあの宝物を どこか安全なところへかくしておくれ」 「そんなことをおっしゃっても、 私ではどうにもならないわ。 あなたにわたしますから、 あなたがどこかへかくしてちょうだい」 公主は奥へ走って行くと、 やがて金色の小箱を持って出てきた。 「さあ、これがあなたの宝物よ」 それから白い玉でできた小箱もとり出して、 「これは私の霊芝草だから、 一緒にどこかへかくしてちょうだい。 あなたがかくしに行っているあいだ、 私が八戒の相手をしてあげるわ」 悟空は二つの小箱をうけとると、 自分の顔をサッと撫でおろした。 と、そこに立っているのは 九頭鮒馬ならぬ悟空であったから、 公主はあわてて相手の手から小箱をもぎとろうとした。 しかし、八戒が素早く熊手で殴りつけたので、 公主はその場にぶっ倒れてしまった。 もう一人、その有様を見て逃げ出そうとした女がある。 それは竜王の未亡人であった。 八戒がこいつもついでに、といって熊手をふりあげると、 「待て待て」 といって、またも悟空が制した。 すると、 「儲けのカスも処分しちゃいけないと 株式投資必勝法には書いてないぞ」 八戒が言いかえした。 「いやいや。 一人くらいは残しておいて、 祭賽国へ連れて行って国王に見せようじゃないか」 とうとう悟空のいう通りに、竜婆さんをひき立てて、 二人は岸へあがってきた。 「おかげさまで、賊を平らげ、 この通り、宝物をとりもどすことが出来ました。 皆、ひとえにあなた様のお力によるものです」 「いや、何で私の力なものか」 と二郎真君はしきりに謙遜する。 悟空と八戒は口をそろえて、 これから一緒に祭賽国へ行こうと誘うが、 二郎真君も梅山六兄弟も辞して受けつけない。 「でもあなただって、 祭宰国では株主の一人じゃありませんか。 ついでに大株主会に出席なさって、 雇われ社長どもの尻をひっばたいて下さい」 「ハッハハハ……」 と二郎真君は笑いながら、 「株主というものは、まことに弱いもので、 株がさがったからといって、 社長どものふとんをはぎに行くことは出来ん。 せいぜい、株を安値で叩き売って 無言の抗議をするのが関の山さ。 実は祭賽国の株は全部 処分してしまおうかと思っていたが、 それをしないですんだだけでも 不幸中の幸いだとせねばならんな。 アッハハハ……」 そう言って、二郎真君は家来たちを連れて、 灌口の本拠へかえって行った。 さて、二郎真君に別れた悟空と八戒は、 竜婆さんをひき立てて祭賽国へ戻ってきた。 城内は二人の凱旋をききつけて、 早くもちょうちん行列に 上場会社の広告宣伝カーまでくり出しての大騒ぎである。 「竜婆とやらは人語を解するか?」 と国王はきいた。 「竜婆は竜王の女房で、 孫子がたくさんいるくらいですから、 もちろん人間の言葉くらいはできます」 と八戒が言った。 「それならば、宝物を盗んだいきさつを申し述べよ」 と国王が言った。 「それが私には全然わからないのです。 うちの婿がやったことですから」 「じゃ、霊芝草の方は?」 「それは娘がやったことです。 娘は勝気な女で亭主が自慢にすると、 自分も負けずに天界へ打って 王母娘娘の持ち物を失敬してきたのです。 株を分けてきただけですから、 私も見て見ぬふりをしていましたが、 まさかそれがこんなことになるとは 思いもかけておりませんでした」 涙ながらに竜婆は語っている。 「ドロポーの種をまいたのはお前だから、 お前にも責任があるぞ」 と八戒が怒鳴った。 「ハイ。それは私にも責任のあることだと思っております」と 竜婆は素直にうなずいた。 「それならば罪滅ぼしに、 十三重の塔の番人になるか?」 と悟空かきいた。 「すると、 私の生命を助けて下さるとおっしゃるのですか?」 「そうだ。 もしお前が塔の番をひきうけてくれるなら」 「もう私には帰るにも帰るところがありません。 もしこの寺にとどめて下さるなら、 喜んで番人になります」 そこで、悟空は鉄の鎖を一本もらってきて、 竜婆を塔の大黒柱にしばりつけた。 そして、塔の下に霊芝草を植えて、 舎利仏に一層の光彩をあたえることになった。 「陛下。 宝物がかえってきたばかりでなく、 新しい名物が更に二つもふえましたよ」 「いや、これも皆、あなたたちのおかげだ。 株価があがったせめて半分でも、 あなた方にさしあげなければなりますまい。 もし株が私の個人所有であったとすればの話だがね」 「それよりも、金光寺という看板をおろして 新しい名前におかえになられたらいかがですか」 と悟空がきいた。 「それはまたどういうわけでですか?」 「金というものは動くもの、光というものは刹那のもの、 いずれも移りかわりの激しいもので、 永劫のシンポルとしては不適当かと存じます」 「なるほど、なるほど」 と国王は頷きながら、 「ほかに何か適当な名前はないだろうか」 「ドラゴン・インというのはいかがですか」 と八戒が早速、膝をのり出して言った。 「ご承知のように、祭賽国の人々はカナ文字に弱い。 上場会社でもカナ文字のものだと、株価がよくあがる。 伏竜寺といってもよろしいのですが、 近頃はお寺といってもお参りに行くところではなくて、 レジャーを娯しみに行くところになりました。 従って、院とイン(別荘)をひっかけて、 ドラゴン・インといえば、 名所旧跡が一変して名所新跡になって 押すな押すなの人気になることうけあいです」 八戒の弁舌にかかっては、国王は一も二もない。 名にし負う金光寺もドラゴン・インと呼称もかわって、 再び祭賽国のドル箱とは相成ったのである。 |
2001-02-23-FRI
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